ジョン・ケージの曲の生演奏を聴く(京都芸術センターにて)

Posted 2009年11月10日 by bhiroshi
Categories: フランス, 音楽

   John Cage 100th Anniversary Countdown Eventというチラシを見つけたら、急にそのコンサートを聴きたくなった。

 ジョン・ケージの名は前から気になっていた。たまたま「国際文化特殊講義」という授業でマルセル・デュシャンの作品に見られる「レディメイド」という概念を説明した直後だった。「レディメイド」とは、たとえば男性用便器に「R.MUTT 1917」と署名し、「泉Fountain」と題して美術展に出品した作品にみるように、すでに出来合いの品物や絵を使い、ほんの少し手を加えるだけでまったく違った文脈にその対象を置くことである意味を生み出す技法である。

  そのデユシャンが晩年交流していたのがジョン・ケージだと知って、より興味を持っていた。現実にはなかなか生演奏で聞く機会のないせいか、会場には200人ほどの聴衆が来ていた。

 会場には5か所にそれぞれ違った種類の「音楽」を演奏する楽器や装置が設置され、それらが交互にあるいは同時に演奏される。

  最初の「演奏者は何らかの習熟した行為を選び、音楽的な身振りを一切排除して行う。そこで発する付随的な音が、スピーカーから最大限の音量で会場に流される」と説明されている「0’00’’(1962)」という曲は、一人の女性(演奏家)が爪を切り、さらにやすりで磨く音をマイクで拾いスピーカーで増幅したものであった。極めて日常的に聞いている筈の音をこのように聴くのは初めてであった。

  会場で配布された、チラシの説明によれば、ケージは「”沈黙”とは意図されない音の集まりである」と言っているそうだ。別の「Branches(1976)」という曲の演奏で、よりこの概念は明確になった。この曲はサボテンや豆の莢など10種類の植物を机の上に置き、それらの棘を弾く音や振って鳴らす音をマイクで拾いスピーカーで増幅するものだ。

  音符であらわされるような音は他の音とくっついたとき旋律を形成してしまう。それを意図的に排除し、しかもそれらを組み合わせたとき生まれる純粋な音そのものに満ちた時空間、それがケージの言う「沈黙」の音楽なのではないかと思った。

  これはデュシャンの言う「レディメイド」という概念と非常に近いと思った。「こする」「ひっかく」「たたく」といった日常的な行為から発せられる音をまったく違った文脈に配置しなおすことで、思いもかけなかった世界が生まれる。

  中でも特に不思議な作品はRyoanji(1983)という作品であった。これは龍安寺の石庭の一五の石の配置を音で表したものだという。空間を音の連なりという時間に変換するという思考に驚かされた。この曲の説明を聞いてデュシャンの最大の謎とされ、今なお解釈が続けられている「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(大ガラス)(1915-23)という作品を思い出した。

  デュシャンのこの作品には作者の精緻なメモが残されており、極めて綿密な思考を練りあげて制作されていることがわかるが、出来上がった作品だけを見る鑑賞者のみならず、そのメモを読んだ者にも、そのメモの意味とそれがそのように形象化されているかについては理解し難い。デュシャンもケージも、かれらの作品を生み出す思考が理解し難いとしても、その現実を突き抜けた思考に基づいているからこそ出来上がった作品は今もわたしたちを惹きつけてやまないのであろう。(番場 寛)

PARK CITY(作・演出 松田正隆、写真 笹岡啓子)を見て

Posted 2009年11月04日 by bhiroshi
Categories: フランス, 身体表現

  松田正隆が主宰する「マレビトの会」の新作と聞いて見に行った。時間があったので「びわこホール」へと大津駅から歩いた。琵琶湖が近づくにつれて気のせいか、何かどぶ川のような臭いがする。それはまるでおもちゃのように動かず浮かんでいる数えきれないほど多くの鴨が浮かんでいる湖面が何か草かゴミのようなもので覆われているのを見たとき、気のせいではなかったことが分かった。もうすぐ冬を迎えようとしているこのころは同時に腐敗の季節でもあったのだ。

  劇は見る前はあまり気が乗らなかった。近年、舞台上で安易に説明的に映像を映し出している劇を見るたびに、映画を見るのは映画館で十分で、こんなものを見にわざわざ劇場に来たんじゃないとどなりたくなる経験を何度かしていたからだ。観客はある時間、その場でのみ発せられる舞台上のアウラ(ベンヤミン)を感じたいがために見に行くのだ。

  PARK CITYという今回の新作は、広島を題材にし、そこを作品として写真に撮った笹岡啓子の作品を劇中でスライド上映したものと、その前で看護師やさまざまな人物が自分の体験をモノローグで語ってゆくことで進行する。

  劇の中で唯一演劇らしい対話と行為が行われるのは島と呼ばれる青年である。彼は、正確には再現できないのだが、「広島は僕だ」「僕は島だ」と執拗に繰り返し、「Hiroshimaはフランス語ではHを発音しないのでiroshimaイロシマだ」と、自分の名が広島を表していることを強調する。彼は倒され水をかけられボートのオールでたたかれる。これは、戦争でアメリカ軍に空襲を受け、原爆を投下された広島を擬人的に描いていると同時に、どんなに広島に同一化しようとしても傍観者としてしかありえず、そこで歴史を経験した者からはたたかれるにも等しい受け止められ方をする人物をも表していた。裸にされた彼を台の上に横たえさせ、その体を広島の地図に見たて説明する場面には感嘆した。

  思い出すのは「二十四時間の情事」という題で上映されたマルグリット・デュラス原作、アラン・レネ監督の「ヒロシマ、私の恋人Hiroshima, mon amour」という作品である。映画の冒頭から交わされ、何度か繰り返される日本人の男とフランス人の女の会話、「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」「わたしはすべてを見たの。すべてを」を思い出させる。

  このPARK CITYという作品も、広島を見極めたいという欲望と、どんなに努力して探索したつもりでも、「何も見なかった」に等しいと感じてしまう焦燥感によって成立しているように思えた。

 しかし、スクリーンに映し出される笹岡の写真を見て、同時に演じられている役者の演技と台詞に集中し、時々は手元のモニターに映し出されている広島の映像を見るという鑑賞はかなり忙しく、意識の集中の対象を移動させながら緊張を保つのは難しかった。

 広島を空間的(地理的)と時間的(歴史的)に把握しようという試みと、いまそこに現前している役者たちの身体の演技で成り立っている舞台は危ういところで成立していた。「マレビトの会」の最近の他の作品に多く見られた、台詞を音楽や音で意図的にかき消し、観客にストレスを与えるような演出も今回はなされず、マイクを使ったためもあり台詞はすみずみまでよく聞こえた(個人的にはワークショップで演技指導をしていただいた山口春美さんの台詞も明確に聞こえて嬉しかった)。

 上演後、劇中でなぜ「月光の囁き」という映画の題名が引用されていたのかと松田に訊ねた。高校生の純愛をフェティシズムとマゾヒズムで描いた、ぼくの好きな映画がなぜこの劇で引用されていたのかと疑問に思ったからだ。松田は、あまり話したくない個人的な思い出にまつわることだが、その映画の最後には、好きなスピッツの曲「運命の人」が使われていたせいだと答えた。

 さらに松田から、だんだん自分だけで書いた台詞で上演するのが少なくなっている。今回も練習をする過程で役者の意見で書き換えたところが何か所かあるとうかがった。数多くの引用、何人もの役者やスタッフ、ドラマトゥルクの田辺剛に加えてついに共作者までも加えた創作を松田は行うようになった。まさに「詩は一人でなく、万人によって作られねばならない」と書いたイジドール・デュカス(ロートレアモン)の詩学を実践している。

 再び大津駅へ向って歩いて帰るとき琵琶湖のほとりを歩いた。どぶ臭さは変わらなかったが頬をなぶる風は心地よかった。(番場 寛)

 

ルイーズ・ブルジョワについての講演を聞いて

Posted 2009年10月27日 by bhiroshi
Categories: フランス, 展覧会

  10月22日に大谷学会研究発表会があり、国際文化学科では、芦津かおり先生が「大岡昇平と太宰治―それぞれの『ハムレット』、それぞれのシェイクスピア―」というタイトルで発表された。日本における対照的な二人の作家(奇しくも1906年という同じ年に生まれていることを初めて知った)の『ハムレット』受容の違いを分析し、そこに二人の作家の表現技法の特徴と『ハムレット』の日本における影響の強さがみられるという発表であった。

 同日、京都工芸繊維大学でニューヨーク大学から招かれたリンダ・ノックリンLinda Nochlin教授のルイーズ・ブルジョワについての講演を聞いた。

 写実主義の画家と思われるギュスターヴ・クールベの専門家と伝えられている女史が、それとまったく違って、前衛的で攻撃的な作品を生み出しているブルジョワについてどんなことを語るのだろうと興味を持った。

 「ルイーズ・ブルジョワ-OLD Age style: Late Louise Bourgeois」という講演の題目通り、98歳の現在なお創作を続けている彼女の後期の作品を解説してくれた。ノックリン教授の作品解読の方法は美術史家の方法で、たとえば美術史上に見られる似たモチーフの作品を併置し、ブルジョワの作品の独自性を説明しようとするものだった。

 中でもノックリン教授が注目したのは、初期において大理石や金属や石膏など堅い素材を用いていたブルジョワが、後記に同じモチーフを、詰め物を布で縫い合わせて覆う方法で作成していることである。そこには製作者としての肉体的に扱いやすい素材を選んだという理由も考えられるかもしれないが、幼いころ見た彼女の母親が仕事としていた刺繍の技法の影響が見られるということで、わざと縫い目を粗く見せ糸さえも見えるのは老いによる技術的な欠如によるものではなく、彼女も母親に倣って試みたであろう少女期への回帰とも考えられるという説明であった。

 確かに2年前にポンピドゥーセンターでみたブルジョワの特別展にも近年の作品には縫い閉じた布で作成された作品が殆どだったように覚えている。しかし疑問は消えない。

 講演後、なぜ、ブルジョワの作品では重要だと思われる「少女Fillette」という作品(題名とは裏腹に男性の性器の彫刻)と「父の破壊The Destruction of The Father」という作品(洞窟のような空間の上下に球状や突起物の物体が置かれ赤い光を当てられている)について触れないのかと質問した。その際、会場に多くの女性がおられることに躊躇ったが、ブルジョワには明らかにフロイトの言う「ペニス羨望」と父親に対する特別な感情が明らでありそれを抜きにしては彼女の作品は語れないのではないかと主張した。

 会場におられた女性の方で不愉快な思いをされた方がいたら許してほしいが、今もその主張は変わらない。美術作品は作家が受けた他の作品からの影響関係、作家が生きた時代、作家の伝記的事実といろいろな角度から解読されるべきだろう。しかしブルジョワに関しては精神分析的方法が極めて有効だと思う。どんなに老いても彼女の作品に見られるセクシュアリティをむき出しにした「攻撃性」と、そしてそれと同じくらい溢れている「優しさ」「温かさ」が好きだ。

 とここまで書いて、芦津先生の発表に対してなされた門脇先生の質問を思い出した。大岡と太宰が書き換えの対象として『ハムレット』を選んだのは、芦津先生が援用したハロルド・ブルームが指摘した、「影響の不安」から逃れるための、いわば比喩的にとらえたオイディプス的な「父殺し」のようなものなのか(その場合はシェイクスピアが父親の位置に来る)、作品としての『ハムレット』自体に隠れている「父殺し」のテーマを選んだのかという質問は興味深かった。自分でも考えてみたい。(番場 寛)

ナイロン100℃「世田谷カフカ」(本多劇場)を見て

Posted 2009年10月23日 by bhiroshi
Categories: 身体表現

  東京へ行く機会があったのでというより、用を作ってついでにケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「世田谷カフカ」という劇を見てきた。休憩時間を挟んで3時間余りの舞台はあっという間に終わった。

 しかし何が今思い出せるかと振り返ると少ないことに気づく。同じ劇団の舞台では前に「カフカズ・ディック」を見た。それはカフカの生涯をなぞっているのにちゃんと誰でもが楽しめるエンターテインメントになっていることに驚いた。

 今回はカフカの「審判」と「失踪者」(「アメリカ」)と「城」との長編三部作を換骨奪胎して創り上げた脚本に基づいている。 最初はこの劇を演じる舞台俳優が、劇ではなく日常生活において経験した不条理な経験(例えば、先日初めて自分が父親の娘でないことを知り、自分の部屋で泣いていたのに、逆に姉に自分が悪いかのように言われてしまった女性の話)を客に向かって告白するのだが、それもこの全体の劇の一部だったということをやがて客は知る。次に日常で経験するカフカ的状況がコントのように演じられる。病院の待合室で待っているのになかなか呼ばれない。そのうち後から来た人の名が呼ばれ、診察室に入っていく。どうしてかと看護師を問いつめると、あなた方は名前が呼ばれてないからだめだという。それはなぜかと聞いても答えない。しまいには他人の名前を呼ばれても、入っていこうとして止められる。これはおそらく「律法(掟)の門前」をまったく違った日本の日常にあてはめたものに思えた。

 このように、日常で経験されるカフカ的世界の不条理と、カフカの三部作のいずれもKという頭文字を持つ3人の主人公が経験する不条理が交差する。さらには、カフカが自分が死んだらすべての原稿を焼くようにと指示した友人マックス・ブロートも登場する。

 しかし前の「カフカズ・ディック」と同様、これで、カフカに対する新たな視点が提示されるというのではなく、カフカ的世界が日常的に経験されることの再認である。

 劇の休憩時間に、ぼくのすぐ後ろに座っていた3人の連れの中の、この劇が難しいという女性に対し、一人が、「俺も『いつ虫になるのかとずっと見ていた』と語る劇の登場人物と同じレベルだ」と自嘲して笑わせていた。

 俳優たちがそろって白い服と白だけの仮面を身につけ、そこに映像を映し出し、顔と服の模様を映し出す技法や、登場人物が、一人でちゃぶ台の上で人形劇をやりそれをビデオカメラで実況中継して大きくスクリーンに映し出していたかと思うと、それが実況でなくあらかじめ製作していた人形の劇映画にすり替わっている技法など随所に工夫と楽しさで溢れていた。

 宮沢賢治の「雨にもマケズ・・・」の言い回しのパロディも演じられていたが、実はこれよりもずっと昔にすでに、これをパロディにした寺山修司の傑作『奴婢訓』がある。また、客席に俳優が入り込んで演じる演出も寺山の劇ではありふれていた。

 つまりこの「世田谷カフカ」は、小劇場で演じられてきた劇の総決算のような劇で、人間存在の不安をのぞかせるカフカが、エンターテインメントにもなることを鮮やかに見せてくれた。しかし見終わって今振り返っても強烈に残る印象はとぼしい。それは、以前に何度かカフカの作品を演劇化したものを見ており、今もそれはぼくの記憶の中で生き続けているからだ。それについて語るのは次回に譲りたい。(番場 寛)

セイの美しい「醜さ」から目をそらさないで(「空気人形」を見て)

Posted 2009年10月14日 by bhiroshi
Categories: 映画

  ようやく「空気人形」本編を見ることができ、圧倒され、今は言葉を失ったような気分だ。

 「生」を描くには「死」を対比させなくてはならず(「ワンダフルライフ」)、「人間」の本質は「人間以外のもの」たとえばロボットか人形を対比させることで浮かび上がってくるのだろう。 

 前にこのブログで、セドリック・クラピッシュの「Paris」を、「末期の目」を設定してパリを見たらどう見えるかという撮り方だと指摘した。 そういう言葉があるのかどうか知らないが、これは「生まれて初めて世を見る眼差し」でこの世を見たらどう見えるかという映画だと思う。

 その眼差しは「誰も知らない」の幼い妹のあどけなさからくる可愛らしさを引き継いでいる。「心を持ってしまった」人形(ペ・ドゥナ)が、初めて外へ出て、人の歩き方をまねて歩く動作、初めて一つ一つ言葉をたどたどしく覚えていくシーン、レンタル・ショップで純一(ARATA)のまねをしてソフトを吹くしぐさ、これらは、大人のまねをしてひとつひとつ覚えていく幼児のしぐさに似ている。

 メイドの服を初めとする衣装はすべて手脚の長いペ・ドゥナに似合っており、演出家、カメラマン、衣装、メイクとペ・ドゥナの作り上げる人形は完ぺきで、それを前にすると「可愛い」という言葉はありきたりで、恥じ入り顔を赤らめうつむいてしまうだろう。

 「わたしの体をあなたの息で満たして」と人形は頼む。空気を吹き込む行為はセックスの隠喩だと監督が説明する通り、人形と彼女が好きになった純一が裸で抱き合い、空気を抜かれた人形が、息で膨らませられて次第に顎から胸にかけてのび、せりあがっていく場面は悦びと美しさに満ちており、映画史に残ることであろう。

 しかし驚かせるのは、相手に今度は自分の息を吹き込もうとする人形が、息を吹き込む栓を相手の体に探す果てに、相手を傷つけ血まみれになり殺してしまう場面である。これは大島渚の「愛のコリーダ」(フランス語の原題L’empire des sens(感覚の王国)の方が映画の主題に忠実だと思う)の定が性交の際、吉蔵の首を絞めることで快感が増すということで、それが過ぎて吉蔵を殺してしまった後、性器を切り取ってしまうシーンを思い出させずにおれない。性愛の極限の姿は美しさを突き抜けたエゴイズムという醜さにまで行きついてしまう。

 「わしも同じだ。からっぽだ」とつぶやく老人を初め、他の登場人物もみな孤独だ。「ワタシは誰かの代用品」と繰り返す人形は、「普通の人形に戻ってくれ」と叫ぶ持ち主に対し、「なぜわたしなの?ノゾミというのは昔の彼女の名前なのでしょう?」と詰め寄る。しかし、その持ち主も職場の上司に「いやならやめてもらってもいいんだよ。お前の代わりなんていくらでもいるんだから」と言われる。人形が恋をしたレンタル・ショップの店員の純一でさえ、人形が彼にバイクに乗せてもらう時にかぶらせてもらったヘルメットは彼の昔の恋人のものだった。

 何よりも、純一と人形が働くのがレンタル・ショップであり、店長の「本当は映画はこんなんでなく映画館で見る方がいいんだけどね」と言う台詞にもあるとおり「代用品」というテーマはこの映画を貫いている。 オンリーワンである筈のわたしたちはみな、自分がこの世で代わりのいないかけがいのない存在として誰かに認められることに飢えている。

 人形が自分を作った人形師の所を訪ねていくシーンにおいて、オダギリ・ジョーが演じる人形師は、再び返却され、廃棄を待つばかりになっている人形の山を見ながら、これらを見ているとどれだけ人に愛されたか分かると言う。そして人形に言う「君が見た世界は美しくないものばかりじゃなかった筈だ」と。是枝自身は否定するがどう考えてもこの人形師は神の隠喩にしか見えない。

 殺してしまった純一を人形はごみ捨て場に置いてしまい、自身も空気を入れないまま、ごみ捨て場に横たわり、その生を終える。しかしその前に、捨てられていた空きビンをバースディケーキのロウソクのように自分の周りに並べておく。すでにいらなくなった筈の空きビンを光にかざしその美しさにみとれる人形。醜いはずのゴミも先に述べた眼差しによれば輝いて見えることに驚かされる。

 常に「誰かの代用品」として生きるわたしたちは、生きることでゴミを出し続け、やがて自身もいつか処分されてしまう。しかしそれは悲しいだけではない。「空気人形」というタイトルが風に吹かれて散っていくかのようなオープニングで始まり、その散った文字が、人形がその生を終えたとき、まるで人形の空気がタンポポの種のように世に散っていき人々の所にとどくかのようなエンディングの意図は明らかだ。

 そのタンポポの種のひとつが部屋に舞い降りたとき、そこに引き籠ってゴミの山の中で生活していた過食症の少女は初めて窓を開け、人形が生を終え、空きビンに囲まれて横たわっているごみ捨て場を見て「まあ、きれい」と声をもらす。ここを見たとき観客は改めて、人形がただの人形でなく「空気」人形であったことの意味と、吉野弘の「生命は」という詩が引用されていたわけを知る。

「誰かの代用品」としてのセイを生きる「互いに欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせずばらまかれている者同士」の私たちは、おなじような誰かに働きかけることができたとき初めてその存在の呪いから解放されるのかもしれない。

 セイ(性、生)は美しいが、とてつもなく醜くもある。その美しい「醜さ」から目をそらしてはいけない。(番場 寛)

能舞台とミニスカート

Posted 2009年10月07日 by bhiroshi
Categories: フランス, 身体表現

   菊池 晃さん、博士号授与おめでとうございます。指導された教員のみなさんや後につづく学生たちにも励みとなることでしょう。 それに比べれば少し恥ずかしくなるような考察を書かせてもらいます。

 先日の4年生のゼミの授業で、「ミニスカートの文化」というテーマで研究を続けている女子学生が、60年代に若者に社会秩序や当時の価値観に対する反抗が芽生え、それがパンクに見られるような新しい音楽やファッションを生み出していったのだと説明した。ミニスカートも、当時の「脚を露出するのは、はしたない」という価値観への反抗心の表れだったのではないかというのが、彼女の現時点での仮説であった。

 他の学生からは、既成の価値観を覆そうという動きは他の時代にも見られるので、その説明では不十分だという意見が出された。

 ぼくが説明を聞きながら思ったのは、3月2日にこのブログ(「ミニスカートが好き」を考える)で書いた疑問だった。それは「スカートを穿かない女に未来はない」と言い放っていたココ・シャネルが、当時流行り始めたミニスカートについて「あんな醜いものを穿く気持ちがわからない」という内容のことを言っていたことである。女性の脚を最も美しく見せるスカートの丈は膝が隠れるくらいだという考えを彼女は変えなかった。

 シャネルブランドのデザインを引き継いで成功したカール・ラガーフェルドはミニスカートをデザインし成功しているのだが、その二人の差は男女差によるものなのか、時代的な制約によるものなのかを知りたいと思っている。

 しかし今日このブログのタイトルをこう書いたのは、しばらく前になるのだがミニスカートについてある先生と話したときの疑問がまた浮かんだからだ。

 ショートパンツスタイルが流行っていたときのことだ。どうしてミニスカートの方に心が動いてしまうのだろう?とぼくが話したときのことだ。その先生が「そうなんだよね。でもショートパンツを穿いた上に一枚の布を巻きつけただけで心が動くんだから不思議だね」というようなことを言った(学生のみなさん!先生はいつもこんなアホなことを議論している訳ではありません)。

 単なる脚の露出という点だけではミニスカートの謎は解けない。その謎が解けたと自分で思えたのは、ひょんなことからである。

 もう前になるが、ぼくが能を教えていただいている河村晴久先生が、5月6日に、大学の授業で教えている学生やお弟子さんたちを引き連れて奈良の能の舞台となっているところを案内してくださる催しに参加した。

 奈良県新公会堂にある能楽ホールの能舞台を案内してくださったときのことである。そこは能の上演だけでなく会議にも使われる場所のため能舞台の柱が外れるように造られている。その日はたまたま左正面の柱が外されていた。「よかった。ここを皆さんに見せることができて。ほら柱がないといかに間の抜けた感じになるかおわかりでしょう」と先生が解説された。

 舞台の柱は、面をつけているため、視界が限られている能を演ずる役者たちにとって空間を把握するための目安となるのだということは知っていた。しかし能をみるたびに、その柱が観るときの邪魔になって、なければいいのにといつも思うのだった。

 しかしその柱がない舞台を見たことで河村先生の説明が納得できた。つまり柱があることで舞台に奥行のある空間が生まれるのだ。視界の一部を遮られることはその奥行きを生むために必要なのだ。

 そのことを聞いて、ずっと抱いていたミニスカートへの疑問が氷解したように思えた。ミニスカートは能舞台の柱の役割を果たしているのではないか? 見えてしまえばそれだけの部分を視線からさえぎることで、空間に奥行を与えているのだ。

 でも新たな疑問が生まれる。それはあくまで能の観客にあたる見る人への効果からの推測にすぎない。能でいえば役者にあたるミニスカートを穿く女性にとっては、それはどのような働きをしているのだろう? 

 ふわふわとひらひらとその持ち主の身体の動きに合わせ、呼吸しているかのように動く、名もなきデザイナーたちによって生み出されている素敵なその姿をみるたびに、こんなとりとめのないことを考えてしまう。(番場 寛)

学位授与式が行われました!

Posted 2009年10月06日 by tingmo
Categories: イベント

9月30日、学位授与式が行われました。国際文化学科では菊池晃さんに博士(文学)の学位が授与されました。

論文のタイトルと要旨は以下の通りです。

「古代インドにおける放捨のヨーガとナーラーヤナ信仰」

本論文は、これまであまり注目されてこなかった『マハーナーラーヤナ・ウパニシャッド』という中期ウパニシャッド文献の解読を中心に考察を行ったものである。この解読を通して、世俗を捨て出家し苦行を行う苦行主義と、後のヒンドゥイズムの要素とされる人格神崇拝の思想とが独立したものではなく、結合した思想であったことを明らかにした。


劇「日本国憲法」(小嶋一郎演出、京都芸術センターにて)を観て

Posted 2009年10月02日 by bhiroshi
Categories: 身体表現

 限りある時間の中でこれを読んでくれるあなたのためにできるだけリアルタイムで書きたいのだが、執筆が現実に追いつかない。

 9月25,26日の二日間しか上演されなかった劇だが、書いておきたい。驚いた。チラシを読むと、日本国憲法をそのまま台詞にし、しかも小学生にもわかる劇を目指したのだという。現実ではなく理想の日本を描いたのだと演出家である小嶋一郎は説明している。 日本国憲法の精神を演劇にするという試みだけでも斬新なのに、台詞にそのまま憲法の文章を使うとは、一体どうなるのだろうという好奇心を抱いた。

 舞台は京都芸術センターのフリースペースと呼ばれる、入口横にある広い板張りの部屋に設置されたが、普通の演劇のようにそこに板を敷いて舞台を作ることはせず、床に一つのソファを置いただけの簡素なものだった。

 最初は一人の若い男が床に横たわり小さな動きで体をよじる。おそらく赤ん坊か、人間の誕生を象徴的に意味しているのだと思う。立ち上がってもなかなか言葉を発しない。ようやく言葉にならない発声をするまでの10分にも満たない時間が苦痛を伴う緊張感を与える。若い女が出てきて男と向かい合っても最初は言葉にならない発声で呼応し、ようやく日本国憲法をそのまま会話のように発声する。 「(…)戦争と、武力により威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。

 それを聞くのはおそらく高校生以来だと思うが、なんて美しい言葉の連なりなのかと驚いた。まるで現実離れしていて、ちょうどあのジョン・レノンの「イマジン」を聞いたときと同じ気持ちになる。

 しかし劇はなかなか展開しない。女が出てきても、向き合い、微笑み、距離を変えても、何らかの二人の関係に大きな変化は起こらない。それが狙いだとしても退屈だ。これで分かったと思ったか、30分もたたないのに観客の中のひと組のカップルが立ち上がり、観客席から外へ出て行った。登場人物が増え、最後にはすべての人物が手拍子を打ちながら微笑み、日本国憲法の朗読が音楽なしで、いつしか歌に変わっている。

 これが小嶋が説明する、「現実ではなく、理想を描いた」ということなのだろうが、演劇作品としてはもっと何かできなかっただろうかと思わずにおれない。たとえば他人の戯曲をそのまま使い、発声と動きを極限にまで制御し、別の現実を作る三浦基だったら全く別の舞台を作るだろう。

 劇自体の物足りなさとは別の次元で、演出家の意図した以上の効果を上げていたことがある。それは劇が行われた部屋の外に面した戸を開け払っていたことだ。これ自体は演劇の終わり方の手法として頻繁ではないが見られる手法だ。いわゆる日本庭園の「借景」と呼ばれるものと同じで、外の眺めを庭の眺めと連続させる手法である。

 例えば、太田省吾も昔、劇の最後で舞台背後の戸が開けっ放しになり東京の住宅街が広がる演出をしたことがあるし、今も毎年続けられている唐十郎の劇の最後は必ず背後の戸が払われ外に主人公が出て行く。劇場内の虚構の時間が現実の時間へと接続されていることを示す瞬間である。

 この劇の演出家がどこまでこの効果を考えて演出したのかは分からない。近所の犬の吠える声が劇の間中聞こえ、劇の妨げになると同時に外には劇と違った「現実」の時間が流れていることを常に観客に意識させる。もう暗くなっており、中に開いているのはカフェだけで他も催し物もない筈なのに、芸術センターに入るために通り過ぎていく人が絶えない。彼らは最初、部屋の中の方を見るが、まるで無関心であるかのように通り過ぎていく。

 演劇も、日本国憲法も、慌ただしく過ぎていく日常の中では意識されず忘れられている。自分の意志でチケットを買うか、手に取り文章を読む人にしか作用を及ぼさない。しかし目には見えなくても、演劇も憲法もその日常のど真ん中にある。それをこの「日本国憲法」という劇は伝えることに成功している。 (番場 寛)

「コールセンターの恋人」(朝日放送)の最終回

Posted 2009年09月30日 by bhiroshi
Categories: 雑感

  今回フランスにいるとき日本に帰ってそれを見ることを楽しみにしていた「コールセンターの恋人」という連続ドラマ(現在はYou Tubeで見ることができます)が終わった。

 それはテレビショッピングの客の苦情を処理する目的で設置されたコールセンターが舞台だ。小泉孝太郎演ずる都倉渉は、仕事のミスからそのコールセンターに飛ばされる。くさりながらもそこで成果を上げて本社に戻れることを夢見て働くわけだが、毎回、その回ごとに紹介される新商品を買った客からそのコールセンターに届くクレームに対応するのはその彼だ。

 ただひたすら謝るだけで逆に客を怒らせてしまうこともある彼を、冷静な分析と適切な対応で救うのが、ミムラ演ずる青山響子(アオキョウと呼ばれている)だ。他の登場人物と同様、彼女も極端なまでに個性化された人物として演出されている。いつも黒い服装をしていて横に爆発したようなパーマをかけた髪をしている。なによりも不思議なのは、いつも水道の水を入れた大きな黄色い水筒を持参し、契約社員なのに夜、そのセンターに寝泊まりして24時間、客からかかってくるクレームの電話に対応することだ。

 極端なまでに誇張され類型化された殆どすべての登場人物像は放映を重ねても殆ど変化しない。テレビショッピングで商品を派手に紹介する名取裕子演ずる南極アイスという名は、それを必要としない客にも欲望をかきたて買わせようという、テレビショッピングの本質をおかしいまでに表している。

 最終回でそのアオキョウの全ての謎が明らかになる。幼い頃父親に連れられて旅を続ける時、父親は飲食店に詐欺をしてクレームをつけることで糧を得ていた。いつか父親が電話でクレームを言ってくるのではないかという可能性に期待して彼女はコールセンターで働いていたのでは?という推測がなされる。そんなときある町の福引で当たった3等の景品が黄色い水筒であり、父親はそれに水道の水を入れ彼女の方にかけ、よかったと頭を撫でてくれた思い出の品である(彼女にとってそれは父親のファルスとも言える)。

 感動的なのは、犯罪者の娘であることが皆に知られ、迷惑をかけることを恐れ置手紙を置いて失踪したアオキョウが、やがて父親の死を知らされ、ぼろぼろになったときふと自分が働いていたコールセンターに真夜中に電話するシーンである。電話に出るのはアオキョウに代わってそこに寝泊まりしていた都倉である。この連続ドラマのすべてはこのシーンのためにあると言っても言い過ぎではない。

 都倉がアオキョウをモデルにして書いて出版した『クレームの女王』が成功したことでテレビに出演した都倉は番組中に彼女に戻るよう呼び掛けたことに対し、「苦情です。テレビで人の名を呼ばないでください」と青山は鼻をつまんで電話口で言う。それに対して都倉の言った言葉はそれだけを取り上げたらいかにも説教じみた、いわゆるくさい台詞なのだが、それまで連続してこのドラマを見た人、とくに数回前のシーン、都倉が自分の客への対応のミスで仕事がらみで再会した昔の友人を救うことができず、本社にいる恋人にもふられてしまってぼろぼろになって絶望した彼が、ふと例のコールセンターに真夜中に電話したときにアオキョウが答えた台詞を、今度は職場を去らねばならないまでに追い詰められ、しかも長年探し求めていた父親が死んだことを告げられ、打ちひしがれて電話をかけたアオキョウに、同じ内容を返す。

 これはまるでラカン言っている「主体は自分のメッセージを<他者Autre>から逆向きに受け取る」をそのまま映像化したものにも思える。

   「そこに水筒があるでしょう、その水を飲んでみてください」と言う都倉の指示に従ったアオキョウは「しょっぱいです」と答える。それに対し「ある人が教えてくれたんです。人生はペットボトルの水ではありません。思い通りにならない人生を生き続けてください」と、都倉は自分が前にそのアオキョウから言われた同じ言葉を繰り返す。それに胸を打たれたアオキョウはゆっくりと自分で自分の頭を撫で、泣きじゃくる。つまりかつて自分が電話で都倉を慰めた言葉が今度は、幼い頃頭を撫でてくれた父親と同じくらい自分を慰めたのだ。

   驚かされたのは会話だけではない。アオキョウが真夜中に電話しているとき、公園のジャングルジムか何かの遊具が背景に映し出されるが、その遊具がはっきりと分かるように黄色に塗られているのが強調されている映像である。それはアオキョウの大切にしている水筒の色であるばかりでなく、コールセンターの職員が着ている作業服の色でもあったことに気づかされる。

   つまり都倉が悟ったように、コールセンターに苦情を言う人は、もっとよりよく生きたいという願望をクレームという形で表しているのだとしたなら、その黄色はその苦情という形で求めている電話口にいる人へのコールセンターで答える人の思いやりの隠喩でもあったのだ。

   エンディングは、アオキョウが都倉のおかげで職場に戻ったときにかかってきたシュウマイが一個たりないというクレームに、アオキョウが的確に対応するシーンである。彼女の対応で、結局足りなかったシュウマイは蓋の裏にくっついていたことが分かる。

   なんて粋な終わり方だろう。教えているのだ。つまり、欠けているものは目に見えないが、つねにそこにあるのだと。(番場 寛)

理想のレストラン

Posted 2009年09月27日 by bhiroshi
Categories: フランス

      「悲しけりゃ、ここでお泣ーきよ…」著作権のことがよく分からないのでこれ以上書けないが、ふと「失恋レストラン」という歌を口ずさむことがある。落ち込んだときにそこにいくだけで慰められるレストランがあればいいのにと思う。

  パリでは(も)一人で食べることが多く適当なレストランを探すのに苦労する。うっかり一人でまともなフランス料理のレストランに入ってしまい出てくる料理と料理の間に耐えきれない思いをすることもある。6・7年前に一年間住んだとき以来、とにかく料理を待つ時間が惜しいことと、それほど食事にお金をかけたくないという理由でもっぱらあるレストランに通う。

     大学では、フランスの社会や文化を紹介し、それについて考える授業をする機会が多い。学生には、フランス料理に関する関心を抱いて、そこからフランスという国とその文化に興味を持つ者が多い。

  それで授業で使う映画でも、大勢で食べているシーンにフランスの社会情勢や国民性が現れる『パリのレストラン』や、「舌の快楽」を追求するカトリック教徒と「舌は神を賛美するためだけにある」ともっぱらその食の快楽を禁じる敬虔なプロテスタント教徒との葛藤を描いた『バベットの晩餐会』という映画を教材として使うことがある。前者では和気あいあいとおしゃべりしながら、後者では沈黙のうちに食べ続けるという点で対照的だが、どちらも映画を観た学生のコメントにはよだれが出そうだというものが目立つ。 

  しかし、ぼくがパリに行くと実際によく通うレストランは、パリの3区、Arts et Métiers(技術と職業という意味。近くにある工芸学校の名からつけられた)という地下鉄の駅を出て、ポンピドゥーセンターの方向に10メートルほど歩いたところの路地を入ってすぐのところにある中国料理のレストランである。

  その地域はパリに何カ所かある中華街の一つで、その路地には中国人の経営する小さなスーパーや理髪店を始め、レストランも数件あるが、そのレストランだけがなぜかいつも人で溢れている。そのため一人で入っても大抵、細長いテーブルに会い席で座ることになる。

  驚くのはどの料理もおいしくてしかも待つ時間が短いことである。殆どが炒めるか、蒸すかで調味料がよいのか分からないが注文してから10分程度でできてくるのには驚かされる。夜遅くまで開いているのでポンピドゥーセンターの横の映画館で観た帰りには助かる。住まいのある人はショーケースに並べられたものから選び、ご飯と一緒に発砲スチロールの容器に入れてもらって買っていく人も多い。

  しかしなぜそこに通ってしまうのかというと、味や安さや待ち時間の少なさのせいばかりではない。店内は明るく、客の活気が満ちている。2人以上で食べている者は会い席でいる一人の客のことなど気にせず、大声で話す。フランス人の中国人が多く、ぼくはいつも中国語で話しかけられる。3人連れで親が幼い子の口に箸で料理を運んでやっている光景にも出会う。 一人で食べているのに大勢で一緒に食べているような気になってくる。

    店内は多くの人種、様々な年齢層の客で溢れ、一人者を含むあらゆる組み合わせの連れがいる。あるとき中年のフランス人らしき男が、匂い立つように官能的な若い娘と食べていた。こんなところで一緒に食べるのだから親子だろうと思い、会話に耳を傾けるとどうも恋人同士なのだ。うらやましくてならなかった。

  日本でも一人でレストランで食べる機会が多いのだが、なぜか一人で黙っている他人が悲しそうに見える。二人で食べているカップルもひそひそ話していてそんなに楽しそうに見えない。

  確かにフランスで食べる、フォアグラもエスカルゴもカモのオレンジソース煮もとても美味しい。授業でフランス料理について説明するぼくが、あの例のレストランで食べる、ただチンゲンサイを油で炒めたものをご飯に添えただけのものlégume vert sauté avec du rizやナスaubergineの油炒めを恋しがっているのを知ったら学生は失望するだろうか?    

       レストランrestaurantの語源は「元気を回復させる」という意味のrestaurerという動詞から来ていると聞いている。ぼくにとってはあの明るく、活気で満ちているレストランが今でも理想のレストランなのだ。(番場 寛)

 

精神分析は「パンドラの匣」なのだろうか?

Posted 2009年09月25日 by bhiroshi
Categories: フランス, 雑感

      今回もパリに行き短い滞在期間だったが、セミナー期間は夜一回、それが過ぎてからは一日2回計10回の分析を受けてきた。分析と言っても聞いて人が普通想像するように、分析家が被分析者の話を聞いて、あなたの問題点はこれこれです、というように「分析」してくれるというのでは、まったくない。特にラカン派の分析では、分析を受ける人は「被分析者」という意味の、analysé(「分析するanalyser」の過去分詞の名詞化したもの)ではなくて、能動的な意味を帯びた現在分詞から作ったanalysantと呼ばれ、普通「分析主体」と訳される。

  自由連想法により心に浮かぶことを分析家に話すだけで、分析家の役目はもっぱらそれを聞き、分析を受ける人がいかに無意識を開放して言葉として自由にでてくるよう手助けをすることにある。

  もう7年前になるが大学から一年間の研究休暇をもらってパリに滞在したとき、あるラカン派の分析家に、分析を受けるべきかどうかたずねたことがある。彼が、分析を受けないでどうして精神分析が何であるか分かるだろうかと断言したことが心に引っかかった。

  治療のための分析ではなく、分析家になるための「教育分析」を終えるには十年以上もかかるとも聞いていた。滞在の期間も一年だし、それ以後渡仏して続ける気はなかった。しかしそれ以上にぼくをたじろがせたのは、分析に対するイメージであり、それは「パンドラの匣」のイメージであった。

  つまり決して開けてはならない箱であり、それを開けてしまったら心の奥底にあるすべての醜いもの、おぞましいものが出てきてしまい、どうにか安定した心の状態で送っている日常を失うことになるのではないか、そういった恐れであった。

   しかし、チビエルジュ氏の奥さんで、パリで自身も精神分析家として働いている那須恵理子さんに会ったとき、もし分析を始めて途中でやめたら何か問題があるだろうかと尋ねた。彼女は、今ぼく自身に何か問題がないのなら、分析を始めてもいつやめても大丈夫だと断言した。それでぼくも分析を始めたのだった。まるで、好奇心に負けてしまったパンドラのように。

  待合室で分析を受けたばかりの人を見ると、やはり暗い表情で出てくる人が目につく。あるときぼくが分析を終えて出たら待合室に4人の女性が待っていた。いずれも若い女性だ。改めてどうしてなのだろうと思う。パリの電話帳のイエローページで確認したら、分析家だけが掲載してある頁が5頁もあった。

  チビエルジュ氏に、分析を受けている女性が多いのを見て驚いたことを言ったら。彼もそうだと言った後、では日本では若い女性たちは悩みをだれに相談しているのかと尋ねられた。そう言われるとフランスが異常なのか、分析など必要ないかに見える日本が不思議なのかわからなくなる。(皆さんは一体どうしているのでしょう?)

  もう十数年以上前になる。ラカンの弟子の一人で、現在は自分の派を形成して大成功している分析家のJ-D.ナシオ氏を大谷大学に招いて講演会をしてもらったことがある。かれに「分析家は何を分析の目標としているのですか?」と誰かが尋ねたときのことである。ナシオ氏は答えた。「それは分析を受ける人が分析家と別れられるようになることです」と。

  何と深い言葉だったのかと今は分かる。分析のときには「転移」と呼ばれる恋愛のような親密な心理状態に陥る。もし恋愛だったら、人は別れるために恋人に会い続けるのだとは言わない。やがて別れることができる日を目指して会い続けるとは、何と倒錯的とも言える関係なのだろう。

   「パンドラの匣」の話はぼくを恐れさせたが、それは同時にぼくの好きな話でもある。それは、この世のすべての災いが出て行ったあとに、その匣の底にたったひとつ残っていたもの、それが「希望」であったからだ。(番場 寛)

  

異文化の風にふれる:インド舞踊を体験してみよう

Posted 2009年09月15日 by otaniis
Categories: イベント

来る9月19日(土)に、大谷大学でオープン・キャンパスがおこなわれます。

その時の目玉イベントが国際文化学科のモニカ・ベーテ先生による模擬授業「異文化の風にふれる:インド舞踊を体験してみよう」(11時10分〜12時40分、於:講堂)です。

舞踊の振り付け・所作にはどんな意味が込められているのか、同じ動作でも地域によって意味の違いはあるのか・・・そんなことなどを、長年、能など舞台芸術の研究や教育に携わってきたベーテ先生に、わかりやすく解説していただきます。

非常勤講師ダシュ・ショバ・ラニ先生と学生たちによる東インド・オリッサ地方に伝わる古典舞踊オディッシーやフォークダンスの実演と指導あり。

身体を通した比較文化研究の実践を体験してみませんか?

「彼女たちElles」展-ジョルジュ・ポンピドゥーセンター近代美術館にて-

Posted 2009年09月14日 by bhiroshi
Categories: Uncategorized

   パリで、今回もポンピドゥーセンターに行った。今回の企画展の「彼女たちElles」というタイトルが建物の正面に大きく掲げられていた。3階が近代美術館の入口になっていて館内に入るとニキ・ド・サンファルのおなじみの「花嫁あるいはエヴァ・マリア」と「1965年頃の磔刑」という作品が目に入る。

 ある部屋に入って戸惑った、アバカノヴィッチの巨大な女性器の造形や、他の作家による男女の結合した性器そのものの写真が展示され女性の観客がくすくす笑っている。こんなのが表現だろうか、そのままじゃないか? 少し失望して部屋を移っていく。次第にそれぞれの作家の意図が伝わってくる。あまりにも多様な作品があるのだが、たとえばビデオで映し出されていたSigalit Landauというイスラエルのテルアヴィヴ生まれの女性の作品は一目瞭然の作品だ。女性が裸でフラフープのように何かを腹で回している。よく見るとそれはフラフープではなく、鉄条網の針金を輪にしたものだった。それが回るたびに女性の裸は傷だらけになっていく。「これは、肉体を活発に無限に包んでいる目に見えない、皮膚の下にあるもろもろの限界に関する個人的で政治的、官能的なパフォーマンスなのです」と作者は説明している。

 もう一つ忘れられないというより、その作品を見たときの感情の原因を自分で分析しきれてない作品がある。それは暗い部屋の中いっぱい、次々と、男と女、男と男、(女と女があったかどうかは覚えていない)というカップルが愛し合っている様のスライド写真が映し出され、それに女性の歌が音楽とともにかぶさるというHeartbeat, 2000-2001という作品であった。

 何でそれだけの作品に感動したのか分からない。普段、映画でもカップルが抱き合うシーンは見たくないし、ましてや男同士のラヴシーンには目を背ける。それなのにこの作品には嫌悪感を抱かない、なぜだろう。まるで何か一面に葉をつけた木と木が風にそよぎ揺らぎこすれ合うのに、立ち会っているような気になってくる。二つの肉体がからまっているがそれは単なる偶然で、見ているとふたつの孤独と孤独がお互いをいつくしんでいるようにしか見えない。

 美しいというより、何か宗教的な静謐な感じになるのはなぜだろうと思うと、流れている言葉が分からない、祈りにも叫びにも似た女性のボーカルのせいだろうかと思い出口で確認するとビョークの歌っているPrayer of Heartという曲だった。

 さらに驚いたのはこのインスタレーションビデオの作者はぼくと同じ年に生まれていたことだ。なぜ、この会場のあちこちに展示されている女性たちは、男性の芸術家に比べて、これほどストレートに性を造形化している者が多いのだろう? 「彼女たちElles」という展示企画は成り立っても「彼らIls」という企画は成立しないだろう。フランス語のilsは、男性だけの場合だけではなく、女性の中に、男性が一人以上含まれている場合も指すからだ。

 分析の時に、このインスタレーション作品を見たとき、なぜかは分からないが、これがラカンの言う「性関係はないIl n’y a pas de rapport sexel」ということなのかと思ったと語ったときである。驚いた。分析家は「そうですね。ラカンは『性的行為はないIl n’y a pas d’acte sexel』とも言ってます」と言ったからだ。

  まだまだ解読され続けているが、ラカンが「性関係はない」と言ったのは、たとえば論理的に説明できるように記述できるような関係というものは、「性」にはないという意味なのだと普通には理解されている。当然、常識的に性交はなされているので、それがないと言っているのではないと一部の学生には話すこともあった。それなのに、「…行為はない」と言っているという指摘は戸惑わせる。日本に帰ってから検索してみると確かにラカンは数箇所でそう言っていることが分かった。

 どう考えればいいのだろう? 今思い浮かぶのはあのHeart Beatという作品である。もし「性関係はない」としたなら、男と女、男と男、女と女はどう絡み合っていてもそれは性関係ではないし、それは性的行為でもないことになる。ではあの絡み合った二つの肉体を結びつけていたものは何だったのだろう? それが「欲望」か「愛」だとしてもなぜそれがその二つの肉体であるのかは、おそらく分からないだろう。(番場 寛) 

「国際ラカン協会」の夏のセミナーに参加して

Posted 2009年09月08日 by bhiroshi
Categories: Uncategorized

   「もう勘弁して」耳と頭が悲鳴を上げている。出発前は、どの程度理解できるだろうか不安だった。3年前の同じ「国際ラカン協会」の「精神分析的行為」という講義録対象の夏のセミナーに参加した時は絶望的に分からなかったので、今回はできるかぎり準備したつもりだった。セミナーで扱うラカンの講義録のうちまだ読み終えてなかった2つを読んだし、ホームページで公開されている関係する過去のセミナーで発表された内容を飛行機の中でもまだ読んでいた。

 それなのにやはり分からない。発表者はゆっくりと明瞭に発声しているので単語が分節されないというより、知らない単語、言い回し、レトリックがあるのだろう。自分の体の不安もあったし、遠く離れて住んでいる母親も行かないでくれと言われたのに来たのだ。必死で耳を傾けた。

 それでも分からない。聞き取れる部分はぞくぞくするほど面白いところを語っているのに分からない部分が多いことが悔しい。しかし異なった発表者の言葉に耳を傾けていると同じ言葉と概念が何度も繰り返されていることが分かってくる。

lettreという言葉には「手紙」と「文字」という意味があるが、シニフィアンの中でも特殊なのは、それは「パロール(ことば)」と違い、書かれたとたんに「現実的なものle réel」になってしまう点である。また日常的には何の疑問も抱かず使われている「一」という概念が実は考えれば考えるほど理解の困難な概念であり、それをラカンはYad’lUn(日本人には「宿らん」と聞こえる)という概念で表したということ。これは普通の書き言葉で文法的に正しく表せば、Il y a de l’Un(いくらかの一がある)となるがこれだけでも意味的にはかなり変な文で、ラカンが参照しているプラトンの『パルメニデス』の訳を出発前に読んでいたが、分かり難い。

 セミナーの二日後に、そこで発表したステファヌ・チビエルジュという分析家と会ったとき、「主語を省いたとしてもなぜ Y a de l’Unではなくて、Y a d’lUnなのか?」と質問した。

 チビエルジュ氏によれば、もちろん書き言葉で書けばIl y a de l’Unとなるのだが、まず話し言葉では主語が省略されたり音がくっついたりするのでそうなったということである。では、普通だったらIl y a l’Un(一がある)ではないか?という質問には、「もしそうなってしまったら「一神教」になってしまう。そうではないということを強調したいがためにラカンはこんな変な言い方をしたのだ。つまりラカンは思想を表す「言説discours」を話し言葉であえて表したのであり、言い換えれば言表に言表行為を押し込んだのだ」とチビエルジュ氏は説明してくれた。

 セミナーの二日目のプログラムに、普通プログラムとは別に、夜場所を変えカクテルパーティーを行うと書いてあったので参加した。それは、サンジェルマン大通りにあるフロイトの師であるシャルコーが昔住んだことのある「ラテンアメリカの館」というまるで博物館のように豪華な建物の中庭で行われた。「これおいしいから食べてみなさい」話しかけてきた老婦人が教えてくれた普通に見えたそのマカロンを口に入れると、少し甘みも加えてあるフォアグラが口の中一杯に広がった。不思議な信じられない味だった。

 改めて参加者を見回してみると殆どが中年、熟年、高齢者で若い人は殆どいない。セミナーの時は徐々に参加者が増え、最終的には300人くらいはいたのだが、各発表の後には司会者の注釈があり、会場に問いかけると必ず質問か、コメントを述べる人がいる。みな相手を論破するというのではなく、相手の説を受け質問というより、それに共鳴して自説を述べるという風で、みなとても幸せそうだ。

 分かったのは、結局やはりラカンは分からないということだ。たとえば、有名な様相論理記号とラカン特有の矢印を用いた男女の「性別化」の表にしても、「みな思うように、なぜ女性の側に「主体S/(Sに斜めの線を重ねてください)」がないのか分からない」とある人が言ってくれたことで、別な意味で安心した。みなそう思うのだ。だから斎藤環氏のように「ラカンによれば、人間にとって欲望の対象は常に女性になるので、男性を欲望する女性は同性愛者となる」(『関係の化学としての文学』にあった文です。手元になくて正確な引用文ではありませんが趣旨は同じです)と言う人まで出てくる。この見方をパーティーにいたB.ヴェンデルメルシュに提示したら、それは間違っているとは言ったが、ではどう解釈すべきかについては教えてくれなかった。

 ラカンの理論は理解し難い内容に満ちているが、その謎にみな共鳴して何か語らずにおれない。 思った。ラカンよ、あなたはひょっとして絶対に解けない謎をばらまいたペテン師かもしれない。でもあなたの残した謎は毎年こんなにも多くの人をその謎で結びつけ、幸せにしている。ちょうど口の中に入れたあのマカロンの味のように。(番場 寛)

「あなたに会いたいのですが・・・」

Posted 2009年09月06日 by bhiroshi
Categories: フランス, 雑感

    出発の前日ここで書いたが、わざわざ飛行機に乗っていくのが億劫だったし、健康上の不安もあった。でも本当に行ってよかった。短期間にあまりにも多くのことを経験して頭の中がまだ整理できてない。

  4日間はラカンの1970年から72年にかけての講義録を対象にした「国際ラカン協会」の夏のセミナーに参加し、その後4日間に、美術館(オルセー、ポンピドゥーセンター)に行き、ペールラシェーズ墓地を訪れ、買い物をした。その間、土日を除き、パリに行くたびに受けている精神分析家の寝椅子に横になり、分析を受けた。それから劇と映画も一本ずつ見ることができた。

  その合間をぬって5人の友人と会ってきた。直前まで行けるかどうか分からなかったので直前にメールやファックスをしたのだが、ありがたいことにみな会ってくれた。服飾デザイナーのEさんはフランス人の夫に子供を預けて会ってくれたし、バカンスに行っていて連絡のとれなかったC氏はホテルに直接連絡をくれ会いに来てくれた。またセミナーで再会した分析家のT氏はよかったら後日会おうといってくれたので、二日後に会った。みなこちら以上に忙しい中を何とか調整して会ってくれた。どうしても時間のとれない大使館につとめるW氏とは、入口で久しぶりに厳重なチェックを受け、彼のオフィスで30分だがお話できた。

  こちらが会いたいと思って会えるのは、なぜパリだと可能なのだろう。それはわざわざ遠くから来たのだからと相手が思うのだろうか? それよりもたとえばこの京都で「あなたに会いたい」と言葉に出す機会が果たしてどのくらいあるのだろうと自問してみると殆どないことに気づく。

  人が人に会うためには理由がいる。仕事なり情報の交換なり明確な目的があるか、もしくは友情なり恋愛感情なり性的欲望なりを相手に感じているかを相手に伝えないと会えない。それがそこでは、ただ気持ちをそのまま伝えるだけで会えるのだ。

    「あなたに会いたいのですが・・・」こう言うためだけでもパリに行った価値はあった。     (番場 寛)