10月22日に大谷学会研究発表会があり、国際文化学科では、芦津かおり先生が「大岡昇平と太宰治―それぞれの『ハムレット』、それぞれのシェイクスピア―」というタイトルで発表された。日本における対照的な二人の作家(奇しくも1906年という同じ年に生まれていることを初めて知った)の『ハムレット』受容の違いを分析し、そこに二人の作家の表現技法の特徴と『ハムレット』の日本における影響の強さがみられるという発表であった。
同日、京都工芸繊維大学でニューヨーク大学から招かれたリンダ・ノックリンLinda Nochlin教授のルイーズ・ブルジョワについての講演を聞いた。
写実主義の画家と思われるギュスターヴ・クールベの専門家と伝えられている女史が、それとまったく違って、前衛的で攻撃的な作品を生み出しているブルジョワについてどんなことを語るのだろうと興味を持った。
「ルイーズ・ブルジョワ-OLD Age style: Late Louise Bourgeois」という講演の題目通り、98歳の現在なお創作を続けている彼女の後期の作品を解説してくれた。ノックリン教授の作品解読の方法は美術史家の方法で、たとえば美術史上に見られる似たモチーフの作品を併置し、ブルジョワの作品の独自性を説明しようとするものだった。
中でもノックリン教授が注目したのは、初期において大理石や金属や石膏など堅い素材を用いていたブルジョワが、後記に同じモチーフを、詰め物を布で縫い合わせて覆う方法で作成していることである。そこには製作者としての肉体的に扱いやすい素材を選んだという理由も考えられるかもしれないが、幼いころ見た彼女の母親が仕事としていた刺繍の技法の影響が見られるということで、わざと縫い目を粗く見せ糸さえも見えるのは老いによる技術的な欠如によるものではなく、彼女も母親に倣って試みたであろう少女期への回帰とも考えられるという説明であった。
確かに2年前にポンピドゥーセンターでみたブルジョワの特別展にも近年の作品には縫い閉じた布で作成された作品が殆どだったように覚えている。しかし疑問は消えない。
講演後、なぜ、ブルジョワの作品では重要だと思われる「少女Fillette」という作品(題名とは裏腹に男性の性器の彫刻)と「父の破壊The Destruction of The Father」という作品(洞窟のような空間の上下に球状や突起物の物体が置かれ赤い光を当てられている)について触れないのかと質問した。その際、会場に多くの女性がおられることに躊躇ったが、ブルジョワには明らかにフロイトの言う「ペニス羨望」と父親に対する特別な感情が明らでありそれを抜きにしては彼女の作品は語れないのではないかと主張した。
会場におられた女性の方で不愉快な思いをされた方がいたら許してほしいが、今もその主張は変わらない。美術作品は作家が受けた他の作品からの影響関係、作家が生きた時代、作家の伝記的事実といろいろな角度から解読されるべきだろう。しかしブルジョワに関しては精神分析的方法が極めて有効だと思う。どんなに老いても彼女の作品に見られるセクシュアリティをむき出しにした「攻撃性」と、そしてそれと同じくらい溢れている「優しさ」「温かさ」が好きだ。
とここまで書いて、芦津先生の発表に対してなされた門脇先生の質問を思い出した。大岡と太宰が書き換えの対象として『ハムレット』を選んだのは、芦津先生が援用したハロルド・ブルームが指摘した、「影響の不安」から逃れるための、いわば比喩的にとらえたオイディプス的な「父殺し」のようなものなのか(その場合はシェイクスピアが父親の位置に来る)、作品としての『ハムレット』自体に隠れている「父殺し」のテーマを選んだのかという質問は興味深かった。自分でも考えてみたい。(番場 寛)
Archive for 10月, 2009
ルイーズ・ブルジョワについての講演を聞いて
2009年10月27日ナイロン100℃「世田谷カフカ」(本多劇場)を見て
2009年10月23日 東京へ行く機会があったのでというより、用を作ってついでにケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「世田谷カフカ」という劇を見てきた。休憩時間を挟んで3時間余りの舞台はあっという間に終わった。
しかし何が今思い出せるかと振り返ると少ないことに気づく。同じ劇団の舞台では前に「カフカズ・ディック」を見た。それはカフカの生涯をなぞっているのにちゃんと誰でもが楽しめるエンターテインメントになっていることに驚いた。
今回はカフカの「審判」と「失踪者」(「アメリカ」)と「城」との長編三部作を換骨奪胎して創り上げた脚本に基づいている。 最初はこの劇を演じる舞台俳優が、劇ではなく日常生活において経験した不条理な経験(例えば、先日初めて自分が父親の娘でないことを知り、自分の部屋で泣いていたのに、逆に姉に自分が悪いかのように言われてしまった女性の話)を客に向かって告白するのだが、それもこの全体の劇の一部だったということをやがて客は知る。次に日常で経験するカフカ的状況がコントのように演じられる。病院の待合室で待っているのになかなか呼ばれない。そのうち後から来た人の名が呼ばれ、診察室に入っていく。どうしてかと看護師を問いつめると、あなた方は名前が呼ばれてないからだめだという。それはなぜかと聞いても答えない。しまいには他人の名前を呼ばれても、入っていこうとして止められる。これはおそらく「律法(掟)の門前」をまったく違った日本の日常にあてはめたものに思えた。
このように、日常で経験されるカフカ的世界の不条理と、カフカの三部作のいずれもKという頭文字を持つ3人の主人公が経験する不条理が交差する。さらには、カフカが自分が死んだらすべての原稿を焼くようにと指示した友人マックス・ブロートも登場する。
しかし前の「カフカズ・ディック」と同様、これで、カフカに対する新たな視点が提示されるというのではなく、カフカ的世界が日常的に経験されることの再認である。
劇の休憩時間に、ぼくのすぐ後ろに座っていた3人の連れの中の、この劇が難しいという女性に対し、一人が、「俺も『いつ虫になるのかとずっと見ていた』と語る劇の登場人物と同じレベルだ」と自嘲して笑わせていた。
俳優たちがそろって白い服と白だけの仮面を身につけ、そこに映像を映し出し、顔と服の模様を映し出す技法や、登場人物が、一人でちゃぶ台の上で人形劇をやりそれをビデオカメラで実況中継して大きくスクリーンに映し出していたかと思うと、それが実況でなくあらかじめ製作していた人形の劇映画にすり替わっている技法など随所に工夫と楽しさで溢れていた。
宮沢賢治の「雨にもマケズ・・・」の言い回しのパロディも演じられていたが、実はこれよりもずっと昔にすでに、これをパロディにした寺山修司の傑作『奴婢訓』がある。また、客席に俳優が入り込んで演じる演出も寺山の劇ではありふれていた。
つまりこの「世田谷カフカ」は、小劇場で演じられてきた劇の総決算のような劇で、人間存在の不安をのぞかせるカフカが、エンターテインメントにもなることを鮮やかに見せてくれた。しかし見終わって今振り返っても強烈に残る印象はとぼしい。それは、以前に何度かカフカの作品を演劇化したものを見ており、今もそれはぼくの記憶の中で生き続けているからだ。それについて語るのは次回に譲りたい。(番場 寛)
セイの美しい「醜さ」から目をそらさないで(「空気人形」を見て)
2009年10月14日 ようやく「空気人形」本編を見ることができ、圧倒され、今は言葉を失ったような気分だ。
「生」を描くには「死」を対比させなくてはならず(「ワンダフルライフ」)、「人間」の本質は「人間以外のもの」たとえばロボットか人形を対比させることで浮かび上がってくるのだろう。
前にこのブログで、セドリック・クラピッシュの「Paris」を、「末期の目」を設定してパリを見たらどう見えるかという撮り方だと指摘した。 そういう言葉があるのかどうか知らないが、これは「生まれて初めて世を見る眼差し」でこの世を見たらどう見えるかという映画だと思う。
その眼差しは「誰も知らない」の幼い妹のあどけなさからくる可愛らしさを引き継いでいる。「心を持ってしまった」人形(ペ・ドゥナ)が、初めて外へ出て、人の歩き方をまねて歩く動作、初めて一つ一つ言葉をたどたどしく覚えていくシーン、レンタル・ショップで純一(ARATA)のまねをしてソフトを吹くしぐさ、これらは、大人のまねをしてひとつひとつ覚えていく幼児のしぐさに似ている。
メイドの服を初めとする衣装はすべて手脚の長いペ・ドゥナに似合っており、演出家、カメラマン、衣装、メイクとペ・ドゥナの作り上げる人形は完ぺきで、それを前にすると「可愛い」という言葉はありきたりで、恥じ入り顔を赤らめうつむいてしまうだろう。
「わたしの体をあなたの息で満たして」と人形は頼む。空気を吹き込む行為はセックスの隠喩だと監督が説明する通り、人形と彼女が好きになった純一が裸で抱き合い、空気を抜かれた人形が、息で膨らませられて次第に顎から胸にかけてのび、せりあがっていく場面は悦びと美しさに満ちており、映画史に残ることであろう。
しかし驚かせるのは、相手に今度は自分の息を吹き込もうとする人形が、息を吹き込む栓を相手の体に探す果てに、相手を傷つけ血まみれになり殺してしまう場面である。これは大島渚の「愛のコリーダ」(フランス語の原題L’empire des sens(感覚の王国)の方が映画の主題に忠実だと思う)の定が性交の際、吉蔵の首を絞めることで快感が増すということで、それが過ぎて吉蔵を殺してしまった後、性器を切り取ってしまうシーンを思い出させずにおれない。性愛の極限の姿は美しさを突き抜けたエゴイズムという醜さにまで行きついてしまう。
「わしも同じだ。からっぽだ」とつぶやく老人を初め、他の登場人物もみな孤独だ。「ワタシは誰かの代用品」と繰り返す人形は、「普通の人形に戻ってくれ」と叫ぶ持ち主に対し、「なぜわたしなの?ノゾミというのは昔の彼女の名前なのでしょう?」と詰め寄る。しかし、その持ち主も職場の上司に「いやならやめてもらってもいいんだよ。お前の代わりなんていくらでもいるんだから」と言われる。人形が恋をしたレンタル・ショップの店員の純一でさえ、人形が彼にバイクに乗せてもらう時にかぶらせてもらったヘルメットは彼の昔の恋人のものだった。
何よりも、純一と人形が働くのがレンタル・ショップであり、店長の「本当は映画はこんなんでなく映画館で見る方がいいんだけどね」と言う台詞にもあるとおり「代用品」というテーマはこの映画を貫いている。 オンリーワンである筈のわたしたちはみな、自分がこの世で代わりのいないかけがいのない存在として誰かに認められることに飢えている。
人形が自分を作った人形師の所を訪ねていくシーンにおいて、オダギリ・ジョーが演じる人形師は、再び返却され、廃棄を待つばかりになっている人形の山を見ながら、これらを見ているとどれだけ人に愛されたか分かると言う。そして人形に言う「君が見た世界は美しくないものばかりじゃなかった筈だ」と。是枝自身は否定するがどう考えてもこの人形師は神の隠喩にしか見えない。
殺してしまった純一を人形はごみ捨て場に置いてしまい、自身も空気を入れないまま、ごみ捨て場に横たわり、その生を終える。しかしその前に、捨てられていた空きビンをバースディケーキのロウソクのように自分の周りに並べておく。すでにいらなくなった筈の空きビンを光にかざしその美しさにみとれる人形。醜いはずのゴミも先に述べた眼差しによれば輝いて見えることに驚かされる。
常に「誰かの代用品」として生きるわたしたちは、生きることでゴミを出し続け、やがて自身もいつか処分されてしまう。しかしそれは悲しいだけではない。「空気人形」というタイトルが風に吹かれて散っていくかのようなオープニングで始まり、その散った文字が、人形がその生を終えたとき、まるで人形の空気がタンポポの種のように世に散っていき人々の所にとどくかのようなエンディングの意図は明らかだ。
そのタンポポの種のひとつが部屋に舞い降りたとき、そこに引き籠ってゴミの山の中で生活していた過食症の少女は初めて窓を開け、人形が生を終え、空きビンに囲まれて横たわっているごみ捨て場を見て「まあ、きれい」と声をもらす。ここを見たとき観客は改めて、人形がただの人形でなく「空気」人形であったことの意味と、吉野弘の「生命は」という詩が引用されていたわけを知る。
「誰かの代用品」としてのセイを生きる「互いに欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせずばらまかれている者同士」の私たちは、おなじような誰かに働きかけることができたとき初めてその存在の呪いから解放されるのかもしれない。
セイ(性、生)は美しいが、とてつもなく醜くもある。その美しい「醜さ」から目をそらしてはいけない。(番場 寛)
能舞台とミニスカート
2009年10月07日 菊池 晃さん、博士号授与おめでとうございます。指導された教員のみなさんや後につづく学生たちにも励みとなることでしょう。 それに比べれば少し恥ずかしくなるような考察を書かせてもらいます。
先日の4年生のゼミの授業で、「ミニスカートの文化」というテーマで研究を続けている女子学生が、60年代に若者に社会秩序や当時の価値観に対する反抗が芽生え、それがパンクに見られるような新しい音楽やファッションを生み出していったのだと説明した。ミニスカートも、当時の「脚を露出するのは、はしたない」という価値観への反抗心の表れだったのではないかというのが、彼女の現時点での仮説であった。
他の学生からは、既成の価値観を覆そうという動きは他の時代にも見られるので、その説明では不十分だという意見が出された。
ぼくが説明を聞きながら思ったのは、3月2日にこのブログ(「ミニスカートが好き」を考える)で書いた疑問だった。それは「スカートを穿かない女に未来はない」と言い放っていたココ・シャネルが、当時流行り始めたミニスカートについて「あんな醜いものを穿く気持ちがわからない」という内容のことを言っていたことである。女性の脚を最も美しく見せるスカートの丈は膝が隠れるくらいだという考えを彼女は変えなかった。
シャネルブランドのデザインを引き継いで成功したカール・ラガーフェルドはミニスカートをデザインし成功しているのだが、その二人の差は男女差によるものなのか、時代的な制約によるものなのかを知りたいと思っている。
しかし今日このブログのタイトルをこう書いたのは、しばらく前になるのだがミニスカートについてある先生と話したときの疑問がまた浮かんだからだ。
ショートパンツスタイルが流行っていたときのことだ。どうしてミニスカートの方に心が動いてしまうのだろう?とぼくが話したときのことだ。その先生が「そうなんだよね。でもショートパンツを穿いた上に一枚の布を巻きつけただけで心が動くんだから不思議だね」というようなことを言った(学生のみなさん!先生はいつもこんなアホなことを議論している訳ではありません)。
単なる脚の露出という点だけではミニスカートの謎は解けない。その謎が解けたと自分で思えたのは、ひょんなことからである。
もう前になるが、ぼくが能を教えていただいている河村晴久先生が、5月6日に、大学の授業で教えている学生やお弟子さんたちを引き連れて奈良の能の舞台となっているところを案内してくださる催しに参加した。
奈良県新公会堂にある能楽ホールの能舞台を案内してくださったときのことである。そこは能の上演だけでなく会議にも使われる場所のため能舞台の柱が外れるように造られている。その日はたまたま左正面の柱が外されていた。「よかった。ここを皆さんに見せることができて。ほら柱がないといかに間の抜けた感じになるかおわかりでしょう」と先生が解説された。
舞台の柱は、面をつけているため、視界が限られている能を演ずる役者たちにとって空間を把握するための目安となるのだということは知っていた。しかし能をみるたびに、その柱が観るときの邪魔になって、なければいいのにといつも思うのだった。
しかしその柱がない舞台を見たことで河村先生の説明が納得できた。つまり柱があることで舞台に奥行のある空間が生まれるのだ。視界の一部を遮られることはその奥行きを生むために必要なのだ。
そのことを聞いて、ずっと抱いていたミニスカートへの疑問が氷解したように思えた。ミニスカートは能舞台の柱の役割を果たしているのではないか? 見えてしまえばそれだけの部分を視線からさえぎることで、空間に奥行を与えているのだ。
でも新たな疑問が生まれる。それはあくまで能の観客にあたる見る人への効果からの推測にすぎない。能でいえば役者にあたるミニスカートを穿く女性にとっては、それはどのような働きをしているのだろう?
ふわふわとひらひらとその持ち主の身体の動きに合わせ、呼吸しているかのように動く、名もなきデザイナーたちによって生み出されている素敵なその姿をみるたびに、こんなとりとめのないことを考えてしまう。(番場 寛)
学位授与式が行われました!
2009年10月06日9月30日、学位授与式が行われました。国際文化学科では菊池晃さんに博士(文学)の学位が授与されました。
論文のタイトルと要旨は以下の通りです。
「古代インドにおける放捨のヨーガとナーラーヤナ信仰」
本論文は、これまであまり注目されてこなかった『マハーナーラーヤナ・ウパニシャッド』という中期ウパニシャッド文献の解読を中心に考察を行ったものである。この解読を通して、世俗を捨て出家し苦行を行う苦行主義と、後のヒンドゥイズムの要素とされる人格神崇拝の思想とが独立したものではなく、結合した思想であったことを明らかにした。
劇「日本国憲法」(小嶋一郎演出、京都芸術センターにて)を観て
2009年10月02日 限りある時間の中でこれを読んでくれるあなたのためにできるだけリアルタイムで書きたいのだが、執筆が現実に追いつかない。
9月25,26日の二日間しか上演されなかった劇だが、書いておきたい。驚いた。チラシを読むと、日本国憲法をそのまま台詞にし、しかも小学生にもわかる劇を目指したのだという。現実ではなく理想の日本を描いたのだと演出家である小嶋一郎は説明している。 日本国憲法の精神を演劇にするという試みだけでも斬新なのに、台詞にそのまま憲法の文章を使うとは、一体どうなるのだろうという好奇心を抱いた。
舞台は京都芸術センターのフリースペースと呼ばれる、入口横にある広い板張りの部屋に設置されたが、普通の演劇のようにそこに板を敷いて舞台を作ることはせず、床に一つのソファを置いただけの簡素なものだった。
最初は一人の若い男が床に横たわり小さな動きで体をよじる。おそらく赤ん坊か、人間の誕生を象徴的に意味しているのだと思う。立ち上がってもなかなか言葉を発しない。ようやく言葉にならない発声をするまでの10分にも満たない時間が苦痛を伴う緊張感を与える。若い女が出てきて男と向かい合っても最初は言葉にならない発声で呼応し、ようやく日本国憲法をそのまま会話のように発声する。 「(…)戦争と、武力により威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。
それを聞くのはおそらく高校生以来だと思うが、なんて美しい言葉の連なりなのかと驚いた。まるで現実離れしていて、ちょうどあのジョン・レノンの「イマジン」を聞いたときと同じ気持ちになる。
しかし劇はなかなか展開しない。女が出てきても、向き合い、微笑み、距離を変えても、何らかの二人の関係に大きな変化は起こらない。それが狙いだとしても退屈だ。これで分かったと思ったか、30分もたたないのに観客の中のひと組のカップルが立ち上がり、観客席から外へ出て行った。登場人物が増え、最後にはすべての人物が手拍子を打ちながら微笑み、日本国憲法の朗読が音楽なしで、いつしか歌に変わっている。
これが小嶋が説明する、「現実ではなく、理想を描いた」ということなのだろうが、演劇作品としてはもっと何かできなかっただろうかと思わずにおれない。たとえば他人の戯曲をそのまま使い、発声と動きを極限にまで制御し、別の現実を作る三浦基だったら全く別の舞台を作るだろう。
劇自体の物足りなさとは別の次元で、演出家の意図した以上の効果を上げていたことがある。それは劇が行われた部屋の外に面した戸を開け払っていたことだ。これ自体は演劇の終わり方の手法として頻繁ではないが見られる手法だ。いわゆる日本庭園の「借景」と呼ばれるものと同じで、外の眺めを庭の眺めと連続させる手法である。
例えば、太田省吾も昔、劇の最後で舞台背後の戸が開けっ放しになり東京の住宅街が広がる演出をしたことがあるし、今も毎年続けられている唐十郎の劇の最後は必ず背後の戸が払われ外に主人公が出て行く。劇場内の虚構の時間が現実の時間へと接続されていることを示す瞬間である。
この劇の演出家がどこまでこの効果を考えて演出したのかは分からない。近所の犬の吠える声が劇の間中聞こえ、劇の妨げになると同時に外には劇と違った「現実」の時間が流れていることを常に観客に意識させる。もう暗くなっており、中に開いているのはカフェだけで他も催し物もない筈なのに、芸術センターに入るために通り過ぎていく人が絶えない。彼らは最初、部屋の中の方を見るが、まるで無関心であるかのように通り過ぎていく。
演劇も、日本国憲法も、慌ただしく過ぎていく日常の中では意識されず忘れられている。自分の意志でチケットを買うか、手に取り文章を読む人にしか作用を及ぼさない。しかし目には見えなくても、演劇も憲法もその日常のど真ん中にある。それをこの「日本国憲法」という劇は伝えることに成功している。 (番場 寛)
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