能舞台とミニスカート
菊池 晃さん、博士号授与おめでとうございます。指導された教員のみなさんや後につづく学生たちにも励みとなることでしょう。 それに比べれば少し恥ずかしくなるような考察を書かせてもらいます。
先日の4年生のゼミの授業で、「ミニスカートの文化」というテーマで研究を続けている女子学生が、60年代に若者に社会秩序や当時の価値観に対する反抗が芽生え、それがパンクに見られるような新しい音楽やファッションを生み出していったのだと説明した。ミニスカートも、当時の「脚を露出するのは、はしたない」という価値観への反抗心の表れだったのではないかというのが、彼女の現時点での仮説であった。
他の学生からは、既成の価値観を覆そうという動きは他の時代にも見られるので、その説明では不十分だという意見が出された。
ぼくが説明を聞きながら思ったのは、3月2日にこのブログ(「ミニスカートが好き」を考える)で書いた疑問だった。それは「スカートを穿かない女に未来はない」と言い放っていたココ・シャネルが、当時流行り始めたミニスカートについて「あんな醜いものを穿く気持ちがわからない」という内容のことを言っていたことである。女性の脚を最も美しく見せるスカートの丈は膝が隠れるくらいだという考えを彼女は変えなかった。
シャネルブランドのデザインを引き継いで成功したカール・ラガーフェルドはミニスカートをデザインし成功しているのだが、その二人の差は男女差によるものなのか、時代的な制約によるものなのかを知りたいと思っている。
しかし今日このブログのタイトルをこう書いたのは、しばらく前になるのだがミニスカートについてある先生と話したときの疑問がまた浮かんだからだ。
ショートパンツスタイルが流行っていたときのことだ。どうしてミニスカートの方に心が動いてしまうのだろう?とぼくが話したときのことだ。その先生が「そうなんだよね。でもショートパンツを穿いた上に一枚の布を巻きつけただけで心が動くんだから不思議だね」というようなことを言った(学生のみなさん!先生はいつもこんなアホなことを議論している訳ではありません)。
単なる脚の露出という点だけではミニスカートの謎は解けない。その謎が解けたと自分で思えたのは、ひょんなことからである。
もう前になるが、ぼくが能を教えていただいている河村晴久先生が、5月6日に、大学の授業で教えている学生やお弟子さんたちを引き連れて奈良の能の舞台となっているところを案内してくださる催しに参加した。
奈良県新公会堂にある能楽ホールの能舞台を案内してくださったときのことである。そこは能の上演だけでなく会議にも使われる場所のため能舞台の柱が外れるように造られている。その日はたまたま左正面の柱が外されていた。「よかった。ここを皆さんに見せることができて。ほら柱がないといかに間の抜けた感じになるかおわかりでしょう」と先生が解説された。
舞台の柱は、面をつけているため、視界が限られている能を演ずる役者たちにとって空間を把握するための目安となるのだということは知っていた。しかし能をみるたびに、その柱が観るときの邪魔になって、なければいいのにといつも思うのだった。
しかしその柱がない舞台を見たことで河村先生の説明が納得できた。つまり柱があることで舞台に奥行のある空間が生まれるのだ。視界の一部を遮られることはその奥行きを生むために必要なのだ。
そのことを聞いて、ずっと抱いていたミニスカートへの疑問が氷解したように思えた。ミニスカートは能舞台の柱の役割を果たしているのではないか? 見えてしまえばそれだけの部分を視線からさえぎることで、空間に奥行を与えているのだ。
でも新たな疑問が生まれる。それはあくまで能の観客にあたる見る人への効果からの推測にすぎない。能でいえば役者にあたるミニスカートを穿く女性にとっては、それはどのような働きをしているのだろう?
ふわふわとひらひらとその持ち主の身体の動きに合わせ、呼吸しているかのように動く、名もなきデザイナーたちによって生み出されている素敵なその姿をみるたびに、こんなとりとめのないことを考えてしまう。(番場 寛)