PARK CITY(作・演出 松田正隆、写真 笹岡啓子)を見て
松田正隆が主宰する「マレビトの会」の新作と聞いて見に行った。時間があったので「びわこホール」へと大津駅から歩いた。琵琶湖が近づくにつれて気のせいか、何かどぶ川のような臭いがする。それはまるでおもちゃのように動かず浮かんでいる数えきれないほど多くの鴨が浮かんでいる湖面が何か草かゴミのようなもので覆われているのを見たとき、気のせいではなかったことが分かった。もうすぐ冬を迎えようとしているこのころは同時に腐敗の季節でもあったのだ。
劇は見る前はあまり気が乗らなかった。近年、舞台上で安易に説明的に映像を映し出している劇を見るたびに、映画を見るのは映画館で十分で、こんなものを見にわざわざ劇場に来たんじゃないとどなりたくなる経験を何度かしていたからだ。観客はある時間、その場でのみ発せられる舞台上のアウラ(ベンヤミン)を感じたいがために見に行くのだ。
PARK CITYという今回の新作は、広島を題材にし、そこを作品として写真に撮った笹岡啓子の作品を劇中でスライド上映したものと、その前で看護師やさまざまな人物が自分の体験をモノローグで語ってゆくことで進行する。
劇の中で唯一演劇らしい対話と行為が行われるのは島と呼ばれる青年である。彼は、正確には再現できないのだが、「広島は僕だ」「僕は島だ」と執拗に繰り返し、「Hiroshimaはフランス語ではHを発音しないのでiroshimaイロシマだ」と、自分の名が広島を表していることを強調する。彼は倒され水をかけられボートのオールでたたかれる。これは、戦争でアメリカ軍に空襲を受け、原爆を投下された広島を擬人的に描いていると同時に、どんなに広島に同一化しようとしても傍観者としてしかありえず、そこで歴史を経験した者からはたたかれるにも等しい受け止められ方をする人物をも表していた。裸にされた彼を台の上に横たえさせ、その体を広島の地図に見たて説明する場面には感嘆した。
思い出すのは「二十四時間の情事」という題で上映されたマルグリット・デュラス原作、アラン・レネ監督の「ヒロシマ、私の恋人Hiroshima, mon amour」という作品である。映画の冒頭から交わされ、何度か繰り返される日本人の男とフランス人の女の会話、「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」「わたしはすべてを見たの。すべてを」を思い出させる。
このPARK CITYという作品も、広島を見極めたいという欲望と、どんなに努力して探索したつもりでも、「何も見なかった」に等しいと感じてしまう焦燥感によって成立しているように思えた。
しかし、スクリーンに映し出される笹岡の写真を見て、同時に演じられている役者の演技と台詞に集中し、時々は手元のモニターに映し出されている広島の映像を見るという鑑賞はかなり忙しく、意識の集中の対象を移動させながら緊張を保つのは難しかった。
広島を空間的(地理的)と時間的(歴史的)に把握しようという試みと、いまそこに現前している役者たちの身体の演技で成り立っている舞台は危ういところで成立していた。「マレビトの会」の最近の他の作品に多く見られた、台詞を音楽や音で意図的にかき消し、観客にストレスを与えるような演出も今回はなされず、マイクを使ったためもあり台詞はすみずみまでよく聞こえた(個人的にはワークショップで演技指導をしていただいた山口春美さんの台詞も明確に聞こえて嬉しかった)。
上演後、劇中でなぜ「月光の囁き」という映画の題名が引用されていたのかと松田に訊ねた。高校生の純愛をフェティシズムとマゾヒズムで描いた、ぼくの好きな映画がなぜこの劇で引用されていたのかと疑問に思ったからだ。松田は、あまり話したくない個人的な思い出にまつわることだが、その映画の最後には、好きなスピッツの曲「運命の人」が使われていたせいだと答えた。
さらに松田から、だんだん自分だけで書いた台詞で上演するのが少なくなっている。今回も練習をする過程で役者の意見で書き換えたところが何か所かあるとうかがった。数多くの引用、何人もの役者やスタッフ、ドラマトゥルクの田辺剛に加えてついに共作者までも加えた創作を松田は行うようになった。まさに「詩は一人でなく、万人によって作られねばならない」と書いたイジドール・デュカス(ロートレアモン)の詩学を実践している。
再び大津駅へ向って歩いて帰るとき琵琶湖のほとりを歩いた。どぶ臭さは変わらなかったが頬をなぶる風は心地よかった。(番場 寛)