Archive for the 'チベット' Category

チベットの民話(2)

2009年07月16日

チベット専門ゼミの授業成果として、今回はBlo bzang ‘jam dpal & Tshe ring sgrol ma (eds.), A khu ston pa. Grong khyer lha sa’i phyogs sgrig khag gsum rtsom sgrig pu’u, Grong khyer lha sa’i mang tshogs sgyu rtsal khang, 2001. 所収の笑い話を紹介します。欲深い先生を弟子が智慧でぎゃふんといわせるお話です。

先生のモモ
 
 昔、一人の先生に三人の弟子がいました。
その先生は、いつも自分が満腹になるだけの肉入りモモを七つしか作りませんでした。そのように度々作っていましたが、三人の弟子に全く与えたことがなかったので、モモを造るあるときに、一人の弟子が「今日のこのモモを先生に一つも召し上がる事がないようにして、私が奪う」と話すと、すぐに他の弟子二人が「あのケチな先生の手から奪うことができるのなら、私たち二人の家から肉やバターやお菓子、あるもの全てをあなたに渡そう」と言い、彼ら三人は賭けをしました。
 
 その日、先生の御前にお食事であるモモが捧げられると同時に、弟子が先生の御前に行き、頭をかいて舌を伸ばし、何か申し上げるようなことがあるような素振りを見せたので「何を言いたいのだ?」と先生がおっしゃると、弟子の彼は「昨日、私たちの国に豪雨が降ったために洪水で建物の壁が崩れたのですが、その下から金銀と銀貨が大きな鍋一杯ほど出てきました」と申し上げました。
 
 先生は「それで?」と言いながら、彼にモモを一つ与えました。彼はそのモモを食べ終わってから「父が『これを全部先生に差し上げたらどうか』とおっしゃいました」と話した時、先生がモモをまた一つ彼に与えてから尋ねると、弟子の彼は「母が『それでは、半分ほど先生に差し上げれば良いでしょう。先生には大きな恩があるけれど、家に少し置いておいて子供の将来のために使いましょう』と言いました」と申し上げた時、先生はまたモモを一つ彼に与えました。「その後、兄と姉は『全て母の言うとおりにしましょう』と言いました」と申し上げたので、モモを彼に全て与えました。その先生はお金がとても好きなので、弟子の彼にさらに話せとおっしゃいました。弟子の彼はモモを全て食べ終わった後、「そして、今朝の夜明けに私は目覚めました」と申し上げました。その日、先生はモモを一つも食べることはありませんでした。
(澤井志保美訳)

「モモ」というのは、チベット風の餃子のことです。「頭をかいて舌を伸ばし」というのは、高貴な人に対する礼法です。
(三宅伸一郎)

チベットの民話(1)

2009年05月20日

チベット専門ゼミでは、リングル・トゥルクという高僧が編纂したチベットの民話集(Acharya Ringu Tulku, Tibetan Folk Tales, Book one. Dharamsala, Library of  Tibetan Works and Archives, 1977)を読んでいます。もちろんチベット語です。ゼミ生は昨年1年間、「チベット語入門」という授業で、ひととおり文法を学んでいます。ゼミでは、チベット語に慣れ、その文化を考えることを目標に、文法の復習も兼ねながら、ゆっくり・じっくりとテキストを読んでいます。今回、ゼミ生が、短いものですが、授業で読んだお話の翻訳を作ってくれましたので、この場を借りて披露したいと思います。(三宅伸一郎)

泥棒とラマ
 
昔、ある洞窟に善良なラマが住んでらっしゃいました。彼は、七つでひとくみの銀の供水杯以外、何も持っていませんでした。その国に悪い泥棒がいて、彼は、ラマの七つの供水杯を見ると、次のように考えました。「これを盗んで売れば、大金が手に入る」と。
ある晩、日が暮れると、泥棒はラマのいる洞窟へ向かい、丑三つ時になるとゆっくりとラマの家の窓から中へと手を伸ばしました。しかしラマは、一晩中手足を動かさずに瞑想をしていたので、眠ってはいませんでした。泥棒の手をご覧になると、左手で泥棒の手を掴み、右手で木の棒を持ち、泥棒の手の甲を叩いて、
「ラマに帰依します。
仏に帰依します。
法に帰依します。
僧伽に帰依します」
とおっしゃって、泥棒を放しました。
泥棒は、木の棒で叩かれた手がとても痛むので、ラマのおっしゃった言葉がはっきりと心に刻まれ、道中、ラマの言葉を何度も唱えながら帰っていきました。
泥棒が橋のたもとに着いたとき、橋の向こうの方から馬に乗っている人らしきたくさんの大きな人がやって来ました。彼らは、橋の中程まで来ると、泥棒が唱える声を聞き、急いで後ろを向いて逃げるように消えていきました。
その馬に乗った人らしき者達は、悪霊でした。しかし、彼らには、帰依を唱える人に危害を加えることは出来ませんでした。このように、三宝のお名前を唱えることだけにも、そのような力が備わっているのです。
(Acharya Ringu Tulku, Tibetan Folk Tales, Book one. Dharamsala, Library of  Tibetan Works and Archives, 1977, pp.51-52)

「学ぶ」ということから

2009年04月08日

昨日7日(火曜日)より授業が始まった。毎週火曜日の1限目に国際文化学科1回生必修の「国際文化演習I」が割り当てられているため、国際文化学科の新入生にとって、この授業が、大学で初めて受講する授業となった。担当者である私にとっても、これが本年度最初の授業であった。
チベット語に「ロプ(སློབ་, slob)」という語がある。「教える」という意味で使用されることの多いこの語の意味をあらためて確認するために、チベット語の辞書として権威を持つ『蔵漢大辞典』を引いてみると、次のような記述がみられる。
ロプ 〔他動詞〕 他より学問を「ロプ」すること、あるいは、他に学問を「ロプ」すること。
つまり「ロプ」というこの語は、「学ぶ」「教える」という2つの意味を有しているのである。このことは、「学ぶ」「教える」という一見対照的な行為が一体のものであるという事実に改めて気づかせてくれる。「教える」者がいなければ、「学ぶ」ことはできないし、「教える」ることに対するレスポンスが何らかの気付きを与えてくれること、換言すれば「教える」ことによって「学ぶ」ことは何度でも経験させられる。2つの行為がうまくかみ合い何かを生み出せる一体感を持った「場」を創出すること、それこそが「学び」なのではないか。「ロプ」という語から、そんなことを考え、年度最初の授業で少し提起してみたのであった。[三宅 伸一郎]
 

チベット語の電子辞書

2009年03月13日

 今年度(2008年度)のチベット語入門の授業で、受講生から「チベット語の電子辞書ってありますか?」という質問を受けました。即座に「そんなものはない!」と答えたのだが、ありました。
ロプサンというチベット人の起こした会社が開発・発売している「LZ828 Tibetan Chinese English Electronic dictionary(チベット語=中国語=英語電子辞書)」。
『蔵漢大辞典』『トゥンカル蔵文大詞典』『新編蔵文詞典』といった主要な辞書に加え、ことわざやチベット文化に関する小文のE-Bookが入っています。チベット語を入力できるメモ帳もあり、チベット語を勉強する人にとって、とにかく便利なツールです。
まあとにかく、辞書の重さから解放されます。