Archive for the '授業' Category

アルモドヴァル「オール・アバウト・マイ・マザー」に見る「父-の-名」

2009年11月25日

まえにこのブログで松田正隆作(マレビトの会)の「声紋都市―父への手紙」について紹介したとき、その作品に「父-の-名」というJ.ラカンの概念が表現されていると指摘した。最近、国際文化特殊講義という授業でアルモドヴァルの映画を扱ったとき、そこにもこれが現れていることに気づいた。 
 主人公マヌエラは、シングルマザーとして一人で育ててきた大切な息子をその17歳の誕生日に目の前で起きた事故で亡くす。 それをきっかけにマヌエラは17年ぶりにバルセロナに戻るがその目的はその息子の父親にこのことを告げるためだったことがやがて分かる。衝撃的なのはその逃げるように別れた夫とは、男性の性器をとらないまま乳房をつけ性転換したロラであり、彼(彼女?)はマヌエラと別れたあとロサという若い女性を妊娠させエイズに感染させやがて死なせてしまうことである。
この映画で重要なのは、ロサが死ぬ前に生まれたばかりの自分の息子にマヌエラの息子と同じエステバンという名をつけることである。やがて分かるのであるが、その名は二人の女性の夫の名、つまりその息子の父親の名でもあった。
 ここで困ってしまった。授業ではエディプス期における主体の母親との関係をラカンの「父性隠喩」と呼ばれるつぎのような定式を紹介して説明したのである。
 
父-の-名(Nom-du-père) 母の欲望         →父-の-名( A   )
母の欲望        主体にとってのシニフィエ           ファルス
 
つまり子にとって自分は母親の欲望の対象だという思いは「父-の-名」の出現により挫折させられる(言い換えれば、自分は母親の想像的ファルスでもなければ、それを持ってもいないということを思い知らされる)。しかしそれにより自らもやがて象徴的ファルスを持つことができるようになるのである。
 授業ではこの定式で示される「父-の-名」は、決して「現実の父親の名前」ではなく象徴的に父の機能を果たす存在というように説明していた。しかしこの映画では、偶然だが、「エステバン」という二人の息子につけられた父親の名が「父-の-名」を表しているのである。
 17歳の誕生日を迎えたエステバンは「写真とおなじように僕の人生も半分が欠けている」と言うが、その半分とは父親のことである。映画のタイトルに「オール・アバウト・マイ・マザー」と「マイ」とついているのは息子、エステバンを主体の位置においてタイトルがつけられていることが分かる。エステバンは目に見えない「父-の-名」に支配されているのだ。
 こうしたことは映画だけではなく、現実でも起きている。「父-の-名」が明確に機能していると思われるのが彫刻家のルイーズ・ブルジョワである。詳細は2008年度の日本病跡学会で発表したが、彼女の父親は男の子を切望していたのに女の子が生まれたことで大変失望し、自らの名Louisを女性形にしたLouiseを娘につける。父に対する複雑な思いを抱いて成長したブルジョワは「父の破壊」という攻撃的なタイトルのもとに奇妙なインスタレーションを作成する。
 驚いたことにそうしたブルジョワが、自分の息子の一人にその父親と同じLouisという名をつけたのである。
 また、分数式をまねた疑似数学的な、ラカンの式は無味乾燥的に思えるかもしれないが、この概念がラカンに生まれた頃の彼の実生活のことを知ると驚かずにおれない。ルディネスコによれば、ラカンは当時まだジョルジュ・バタイユと離婚していないシルヴィア・バタイユ(ジャン・ルノワールの「ピクニック」に出ている彼女はなんと眩いのだろう)とつきあっており、彼女のお腹にはすでに、娘がやどっていたのだ(その娘はのちに結婚し、ジュディット・ミレールとなる)。 象徴的で現実の父親ではないと強調するのだが、その概念が生まれた状況を考えるととたんに生々しいものに思えてくる。
現実においても確かに「父-の-名」はわたしたちに影響を及ぼしているのだ。(番場 寛)

チベットの民話(2)

2009年07月16日

チベット専門ゼミの授業成果として、今回はBlo bzang ‘jam dpal & Tshe ring sgrol ma (eds.), A khu ston pa. Grong khyer lha sa’i phyogs sgrig khag gsum rtsom sgrig pu’u, Grong khyer lha sa’i mang tshogs sgyu rtsal khang, 2001. 所収の笑い話を紹介します。欲深い先生を弟子が智慧でぎゃふんといわせるお話です。

先生のモモ
 
 昔、一人の先生に三人の弟子がいました。
その先生は、いつも自分が満腹になるだけの肉入りモモを七つしか作りませんでした。そのように度々作っていましたが、三人の弟子に全く与えたことがなかったので、モモを造るあるときに、一人の弟子が「今日のこのモモを先生に一つも召し上がる事がないようにして、私が奪う」と話すと、すぐに他の弟子二人が「あのケチな先生の手から奪うことができるのなら、私たち二人の家から肉やバターやお菓子、あるもの全てをあなたに渡そう」と言い、彼ら三人は賭けをしました。
 
 その日、先生の御前にお食事であるモモが捧げられると同時に、弟子が先生の御前に行き、頭をかいて舌を伸ばし、何か申し上げるようなことがあるような素振りを見せたので「何を言いたいのだ?」と先生がおっしゃると、弟子の彼は「昨日、私たちの国に豪雨が降ったために洪水で建物の壁が崩れたのですが、その下から金銀と銀貨が大きな鍋一杯ほど出てきました」と申し上げました。
 
 先生は「それで?」と言いながら、彼にモモを一つ与えました。彼はそのモモを食べ終わってから「父が『これを全部先生に差し上げたらどうか』とおっしゃいました」と話した時、先生がモモをまた一つ彼に与えてから尋ねると、弟子の彼は「母が『それでは、半分ほど先生に差し上げれば良いでしょう。先生には大きな恩があるけれど、家に少し置いておいて子供の将来のために使いましょう』と言いました」と申し上げた時、先生はまたモモを一つ彼に与えました。「その後、兄と姉は『全て母の言うとおりにしましょう』と言いました」と申し上げたので、モモを彼に全て与えました。その先生はお金がとても好きなので、弟子の彼にさらに話せとおっしゃいました。弟子の彼はモモを全て食べ終わった後、「そして、今朝の夜明けに私は目覚めました」と申し上げました。その日、先生はモモを一つも食べることはありませんでした。
(澤井志保美訳)

「モモ」というのは、チベット風の餃子のことです。「頭をかいて舌を伸ばし」というのは、高貴な人に対する礼法です。
(三宅伸一郎)

チベットの民話(1)

2009年05月20日

チベット専門ゼミでは、リングル・トゥルクという高僧が編纂したチベットの民話集(Acharya Ringu Tulku, Tibetan Folk Tales, Book one. Dharamsala, Library of  Tibetan Works and Archives, 1977)を読んでいます。もちろんチベット語です。ゼミ生は昨年1年間、「チベット語入門」という授業で、ひととおり文法を学んでいます。ゼミでは、チベット語に慣れ、その文化を考えることを目標に、文法の復習も兼ねながら、ゆっくり・じっくりとテキストを読んでいます。今回、ゼミ生が、短いものですが、授業で読んだお話の翻訳を作ってくれましたので、この場を借りて披露したいと思います。(三宅伸一郎)

泥棒とラマ
 
昔、ある洞窟に善良なラマが住んでらっしゃいました。彼は、七つでひとくみの銀の供水杯以外、何も持っていませんでした。その国に悪い泥棒がいて、彼は、ラマの七つの供水杯を見ると、次のように考えました。「これを盗んで売れば、大金が手に入る」と。
ある晩、日が暮れると、泥棒はラマのいる洞窟へ向かい、丑三つ時になるとゆっくりとラマの家の窓から中へと手を伸ばしました。しかしラマは、一晩中手足を動かさずに瞑想をしていたので、眠ってはいませんでした。泥棒の手をご覧になると、左手で泥棒の手を掴み、右手で木の棒を持ち、泥棒の手の甲を叩いて、
「ラマに帰依します。
仏に帰依します。
法に帰依します。
僧伽に帰依します」
とおっしゃって、泥棒を放しました。
泥棒は、木の棒で叩かれた手がとても痛むので、ラマのおっしゃった言葉がはっきりと心に刻まれ、道中、ラマの言葉を何度も唱えながら帰っていきました。
泥棒が橋のたもとに着いたとき、橋の向こうの方から馬に乗っている人らしきたくさんの大きな人がやって来ました。彼らは、橋の中程まで来ると、泥棒が唱える声を聞き、急いで後ろを向いて逃げるように消えていきました。
その馬に乗った人らしき者達は、悪霊でした。しかし、彼らには、帰依を唱える人に危害を加えることは出来ませんでした。このように、三宝のお名前を唱えることだけにも、そのような力が備わっているのです。
(Acharya Ringu Tulku, Tibetan Folk Tales, Book one. Dharamsala, Library of  Tibetan Works and Archives, 1977, pp.51-52)