このとてつもない忙しい時期にもかかわらず、朝7時42分の新幹線に乗り、東京に行ったのは、雑誌で目にした『神曲』三部作の紹介の記事である。普通、日本に呼ぶことのできる劇やダンスの作品は、その評価がすでに高く、製作者がその力量の頂点に達している場合が殆どであるのに対し、この作者であるロメオ・カステルッチは評価の頂点のへの途上にあるという紹介であった。しかもこの『神曲』は2008年のアヴィニョン演劇祭で圧倒的な評価を受けたという。
是が非でも見にいかなくてはと思った。日程を調べると、「天国篇」と「煉獄篇」も同日に見ることができる。あわててネットで予約した。また同日の2時には下北沢の「スズナリ」で、寺山修司の『田園に死す』を天野天街が舞台化したものも当日券があるということで、それも見ることにする。
せっかく東京に行くのだから何か興味のある展覧会も見ようと思い、3本の劇・インスタレーションの前に森美術館(六本木)で「医学と芸術展」を見る。
時間を気にしながら一筆書きのように東京を駆け巡って展覧会と3本の劇・インスタレーションを観終えて、頭の中に混在している印象を整理すると、今残っているテーマは「老いと死」である。
森美術館で見たもので印象深かったのは、やなぎみわの「The three fates 2008年」である。3人の少女たちのすぐ横に並べられたのは、乳房が垂れ、皺がより、髪は白髪になった3人の老婆である。展示は右に少女たちの写真が置かれていたが、左から右に見れば若返るという解説が見事だった。同じ発想で別の作者により製作されたのは、白い若い女性の顔の彫刻なのだが、空気を抜かれることで一気に老婆に変身するものだ。
またきれいな模様のウエディングドレスが目についたがそれは「記念日」という作品であるが、近くで見ると貼り付けられていたのは6500個もの「経口避妊薬」であった。解説者も指摘しているが、この「結婚」と「避妊」という表面上の対立をどのように考えるべきだろうか?
この展覧会で一番衝撃的だったのは、年齢も性も異なる人物の顔の大きく引き伸ばされた何枚かの写真である。左側は目を開いており、右は眠ったように眼を閉じている。死後すぐに撮られた写真だという。それぞれの死に直面した人の経歴が添えられていたが、不思議なことに生きていたときの写真ではなく、死んだ直後の目を閉じた写真の方がより生々しくまるで生きているように感じられたことだ。その中でも生まれて数年もたっていない少女の顔である。天使も死ぬのだろうかと思わずにおれない写真であった。
前にこのブログで「セイの美しい「醜さ」から目をそらさないで」と書いたが、「生」のリアリティを感じにくい現代にあってそれを感じることのできるのは、「若さ」と「老い」、「誕生」と「死」を暴力的に接近させるときなのであろう。(次回へ続きます) (番場 寛)
Archive for the '身体表現' Category
12月19日のカンゲキツアー(ロメオ・カステルッチ『神曲』他)
2009年12月22日「恋重荷」を観る
2009年12月09日 先週、金曜日にファスビンダー原作、田中章義演出の「塵、都会、死」という劇を観て、日曜日に三浦基演出の「追伸」と題された、A.アルト-のテキストに基づく朗読劇を見たが、それに挟まるように土曜日に、河村能楽堂で能を観た。
そこで観た能のひとつの「恋重荷(こいのおもに)」という作品にまず惹かれたのは、その題目である。シテは老人で、かれが恋するのは高貴な身分の若い女性だという設定だけでもうイメージが広がってしまった。
手持ちのテキストの中では岩波古典文学大系版にしか載っていなかったが、そこで演じられたものとはかなり謡が異なっているようだった。能はときどきではあるが、何年も前から見ており、2年ほど前から直に先生につき習っているのだが、良く見る現代劇のようには、なかなか分からない。
それでもこの「恋重荷」については十分楽しめた。その天皇の女御に恋した庭師である老人は苦しさのあまり、その恋を忘れようとする。しかしその恋を忘れることは、それがかなわないことよりもっと耐えがたいのだという。そこで出される試練が「恋重荷」という物体の箱である。それを持ち上げて何度が庭をめぐることができれば、もういちど老人の前にその女御は姿をあらわすと言う。老人は必死にそれを持ち上げようとするができず、絶望のあまり狂い死んでしまう。
老人は鬼のような面に変わった怨霊となって、その女御を責めさいなむが、最後には、自分を弔ってくれるなら、あなたの守り神となろうと言って消える。最後まで忘れられないのである。
とても悲しく身につまされる話なのに、恋の苦しみを、「重荷を持ち上げる」という視覚的な行為に転換しているので、喜劇的なものへと変化している。こうした観念の視覚化という技法はひょっとして寺山修司が能から学んだ技法でもあるのだろうか?
もう何年か前に現実に起きたことだが、ある老人が女子高生に恋をして、想いを打ち明けて訴えられたということがニュースになった。 身分の差ということは殆どなくなったとしても、越え難い年齢差という「重荷」はどうにもし難い。この作品のように死ねない老人は、現代だったらストーカーになってしまうのだろうか? 恋した若い女の心をつかむため、メフィストに魂を譲り渡してまで若返ろうとしたファウスト同様、「恋重荷」の老人を笑うことはできない。
しかし、この能にはまだ救いがあるのでは、とふと思った。もしこの主人公が若くて、身分も高くて十分美しくて、それでもその恋した女の心をつかむことができなかったとしたら。それこそ、現代においてあり得る「恋重荷」ではないか。この能のリアリティは、その「恋重荷」を持ち上げることが不可能なのに、それよりも恋を捨てる方がより苦しいという告白である。
ところで、あなたはあなたの「恋重荷」を持ち上げられますか? (番場 寛)
ダンス、ダンス、ダンスな一日(土方巽、dumb type、インド舞踊、そしてGAGA)
2009年11月17日 11月14日は大学のホームカミングディーで卒業生を大学に迎える日だった。短期大学部のときに教えたI君が奥さんを連れてきて挨拶してくれた。会えないときは毎年研究室のドアのところに伝言を置いていてくれるので、いつか会いたいと思っていたのだが、ようやく望がかなった訳だ。
その後ホテルで行われた懇親会で、大谷大学の行事にたびたび参加され、このブログでも紹介されていた、ダシュ ジョバ ラニさんと大谷の有志学生のインド舞踊を見た(解説をされた三宅先生、ありがとうございました)。
学生たちが男女の組で踊るダンスは、うまいかどうかより見ていて楽しく、化粧のせいもあるがそれらしく見えることに驚いた。
映像でしか見たことのなかったインド舞踊を、ショバさんのおかげで初めて生でみることができた。原則的に体か顔を正面に向け、絶えず視線を観客に向ける。体をよじることで生まれる曲線の動きと静止した型の組み合わせ。体の大部分を静止しているがゆえに、際立つ指の動き。極めて様式化された美しさと計算されたエロティシスム、初めて見るのになぜか既視感があり、なぜだろうと考えてたら、日本舞踊の身のこなし方、よじり方、静止の仕方に似ているように見えたからだと気づいた。
しかしぼくがダンス(踊り)ということを考えさせられたのはこの催しに挟まる2つのシンポジウムとトーク・セッションである。
京都造形芸術大学で「土方巽~言葉と身体をめぐって」という公開研究会が行われた。そこで、森下隆先生の「土方舞踏のマトリクス、あるいはクリエイション」という発表で初めて土方の考案して残した「舞踏譜」を映像で見た。土方の「舞踏譜」というのは踊りのある瞬間の型を、そのまま直接に絵で表したものではなく、主に言葉で表した指示のようなものであり、それをもとに実際にダンサーで再現したものが、映像で示された。森下先生によれば、土方の残した何百、何千とあるこの「舞踏譜」を組み合わせれば、原理上は無数の舞踏ができるという説明であった。
これを聞いて、音符の組み合わせは無数の可能性があるとしてもそれをある意図のもとに組み合わせることができるのは特殊な才能であり、その組み合わせこそが謎で知りたいと思った。
そうした疑問の答えに思われるものが、渡辺守章先生の「土着性とジェンダー」という発表のなかにあった。先生は、森下先生によって紹介された土方の「舞踏譜」の映像について、ひとつひとつのその静止した「舞踏譜」が彼の舞踏の本質ではなく、その動きの連続性のうちに彼の舞踏の美しさがあるのだと説明された。
それを聞きながら思ったのは、僕自身が以前参加したダンスの二つのワークショップで感じたことである。その一つは、前にこのブログでも書いた岩下徹さんのワークショップにおいて、それを見ていた学生がスケッチした絵の中から各自が自分で選んで、今度はそれをイメージしながら踊った経験である。「即興」をいうことを目指すダンスでも予め念頭におくイメージは必要であり、それを意識するときには言語に置き換えないと肉体に動きとして伝えられないということが分かった。
また「イメージを通して身体に呼びかける」という触れ込みのGAGAと呼ばれるイスラエルで生まれたダンスメソッドに基づくワークショップに参加したときのことも思い出した。そのときはイスラエルのダンサーが、身体をそれに合わせるべく目指すイメージを絶えず英語で指示し、各自それに合わせて身体を動かした。
いずれも身体を解放し、動きの可能性を拡張することを目指すのだが、そのもととなるのは「言葉」だった。
ホテルでの同窓会の後、京都芸術センターに行き、砂連尾理さんとブブ・ト・ラ・マドレーヌさんのトーク・セッションを聞いた。二人は、ダンスという創作活動を通じて獲得した、価値観の違う他者と出会い、コミュニケーションする難しさと喜びについて話された。
二人は多くの非常に豊かな内容を話されたが、ぼくが特に聞きたかったのはブブさんが参加していたdumb type という集団が十数年前に演じた「S/N」という作品についてであった。なぜあのような作品が奇跡のように生まれたのか、それ以後dumb typeはなぜ似た水準の作品を作れないのか、伺いたいことは多かった。
驚いたのはそこにおられたブブさんは、その「S/N」で娼婦の役を演じ、ぼくが涙がこぼしそうになった台詞を言ったその人だったことだ。電話での「ぼくはエイズなのですがいいですか?」という患者からの問い合わせに、彼女は「どうぞいらしてください。私はプロですから大丈夫です」と答えたのだった。
彼女の説明で分かったのは、当時dumb typeは集団で自由に話し合って作品を作り上げていたのだが、そのときだけは古橋悌二さんが指導力を発揮して作り上げということ、引用されていたM.フーコーの「権力が同性愛者を恐れるのは、人が人を本当に愛するのを恐れるからだ(記憶で書いています)」という言葉もみな分かっていたわけではないということなどである。
言葉から逃れるかのように人が求めるダンスが、実は、それでも言葉に基づいていることにはやはり驚いた。(番場 寛)
PARK CITY(作・演出 松田正隆、写真 笹岡啓子)を見て
2009年11月04日 松田正隆が主宰する「マレビトの会」の新作と聞いて見に行った。時間があったので「びわこホール」へと大津駅から歩いた。琵琶湖が近づくにつれて気のせいか、何かどぶ川のような臭いがする。それはまるでおもちゃのように動かず浮かんでいる数えきれないほど多くの鴨が浮かんでいる湖面が何か草かゴミのようなもので覆われているのを見たとき、気のせいではなかったことが分かった。もうすぐ冬を迎えようとしているこのころは同時に腐敗の季節でもあったのだ。
劇は見る前はあまり気が乗らなかった。近年、舞台上で安易に説明的に映像を映し出している劇を見るたびに、映画を見るのは映画館で十分で、こんなものを見にわざわざ劇場に来たんじゃないとどなりたくなる経験を何度かしていたからだ。観客はある時間、その場でのみ発せられる舞台上のアウラ(ベンヤミン)を感じたいがために見に行くのだ。
PARK CITYという今回の新作は、広島を題材にし、そこを作品として写真に撮った笹岡啓子の作品を劇中でスライド上映したものと、その前で看護師やさまざまな人物が自分の体験をモノローグで語ってゆくことで進行する。
劇の中で唯一演劇らしい対話と行為が行われるのは島と呼ばれる青年である。彼は、正確には再現できないのだが、「広島は僕だ」「僕は島だ」と執拗に繰り返し、「Hiroshimaはフランス語ではHを発音しないのでiroshimaイロシマだ」と、自分の名が広島を表していることを強調する。彼は倒され水をかけられボートのオールでたたかれる。これは、戦争でアメリカ軍に空襲を受け、原爆を投下された広島を擬人的に描いていると同時に、どんなに広島に同一化しようとしても傍観者としてしかありえず、そこで歴史を経験した者からはたたかれるにも等しい受け止められ方をする人物をも表していた。裸にされた彼を台の上に横たえさせ、その体を広島の地図に見たて説明する場面には感嘆した。
思い出すのは「二十四時間の情事」という題で上映されたマルグリット・デュラス原作、アラン・レネ監督の「ヒロシマ、私の恋人Hiroshima, mon amour」という作品である。映画の冒頭から交わされ、何度か繰り返される日本人の男とフランス人の女の会話、「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」「わたしはすべてを見たの。すべてを」を思い出させる。
このPARK CITYという作品も、広島を見極めたいという欲望と、どんなに努力して探索したつもりでも、「何も見なかった」に等しいと感じてしまう焦燥感によって成立しているように思えた。
しかし、スクリーンに映し出される笹岡の写真を見て、同時に演じられている役者の演技と台詞に集中し、時々は手元のモニターに映し出されている広島の映像を見るという鑑賞はかなり忙しく、意識の集中の対象を移動させながら緊張を保つのは難しかった。
広島を空間的(地理的)と時間的(歴史的)に把握しようという試みと、いまそこに現前している役者たちの身体の演技で成り立っている舞台は危ういところで成立していた。「マレビトの会」の最近の他の作品に多く見られた、台詞を音楽や音で意図的にかき消し、観客にストレスを与えるような演出も今回はなされず、マイクを使ったためもあり台詞はすみずみまでよく聞こえた(個人的にはワークショップで演技指導をしていただいた山口春美さんの台詞も明確に聞こえて嬉しかった)。
上演後、劇中でなぜ「月光の囁き」という映画の題名が引用されていたのかと松田に訊ねた。高校生の純愛をフェティシズムとマゾヒズムで描いた、ぼくの好きな映画がなぜこの劇で引用されていたのかと疑問に思ったからだ。松田は、あまり話したくない個人的な思い出にまつわることだが、その映画の最後には、好きなスピッツの曲「運命の人」が使われていたせいだと答えた。
さらに松田から、だんだん自分だけで書いた台詞で上演するのが少なくなっている。今回も練習をする過程で役者の意見で書き換えたところが何か所かあるとうかがった。数多くの引用、何人もの役者やスタッフ、ドラマトゥルクの田辺剛に加えてついに共作者までも加えた創作を松田は行うようになった。まさに「詩は一人でなく、万人によって作られねばならない」と書いたイジドール・デュカス(ロートレアモン)の詩学を実践している。
再び大津駅へ向って歩いて帰るとき琵琶湖のほとりを歩いた。どぶ臭さは変わらなかったが頬をなぶる風は心地よかった。(番場 寛)
ナイロン100℃「世田谷カフカ」(本多劇場)を見て
2009年10月23日 東京へ行く機会があったのでというより、用を作ってついでにケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「世田谷カフカ」という劇を見てきた。休憩時間を挟んで3時間余りの舞台はあっという間に終わった。
しかし何が今思い出せるかと振り返ると少ないことに気づく。同じ劇団の舞台では前に「カフカズ・ディック」を見た。それはカフカの生涯をなぞっているのにちゃんと誰でもが楽しめるエンターテインメントになっていることに驚いた。
今回はカフカの「審判」と「失踪者」(「アメリカ」)と「城」との長編三部作を換骨奪胎して創り上げた脚本に基づいている。 最初はこの劇を演じる舞台俳優が、劇ではなく日常生活において経験した不条理な経験(例えば、先日初めて自分が父親の娘でないことを知り、自分の部屋で泣いていたのに、逆に姉に自分が悪いかのように言われてしまった女性の話)を客に向かって告白するのだが、それもこの全体の劇の一部だったということをやがて客は知る。次に日常で経験するカフカ的状況がコントのように演じられる。病院の待合室で待っているのになかなか呼ばれない。そのうち後から来た人の名が呼ばれ、診察室に入っていく。どうしてかと看護師を問いつめると、あなた方は名前が呼ばれてないからだめだという。それはなぜかと聞いても答えない。しまいには他人の名前を呼ばれても、入っていこうとして止められる。これはおそらく「律法(掟)の門前」をまったく違った日本の日常にあてはめたものに思えた。
このように、日常で経験されるカフカ的世界の不条理と、カフカの三部作のいずれもKという頭文字を持つ3人の主人公が経験する不条理が交差する。さらには、カフカが自分が死んだらすべての原稿を焼くようにと指示した友人マックス・ブロートも登場する。
しかし前の「カフカズ・ディック」と同様、これで、カフカに対する新たな視点が提示されるというのではなく、カフカ的世界が日常的に経験されることの再認である。
劇の休憩時間に、ぼくのすぐ後ろに座っていた3人の連れの中の、この劇が難しいという女性に対し、一人が、「俺も『いつ虫になるのかとずっと見ていた』と語る劇の登場人物と同じレベルだ」と自嘲して笑わせていた。
俳優たちがそろって白い服と白だけの仮面を身につけ、そこに映像を映し出し、顔と服の模様を映し出す技法や、登場人物が、一人でちゃぶ台の上で人形劇をやりそれをビデオカメラで実況中継して大きくスクリーンに映し出していたかと思うと、それが実況でなくあらかじめ製作していた人形の劇映画にすり替わっている技法など随所に工夫と楽しさで溢れていた。
宮沢賢治の「雨にもマケズ・・・」の言い回しのパロディも演じられていたが、実はこれよりもずっと昔にすでに、これをパロディにした寺山修司の傑作『奴婢訓』がある。また、客席に俳優が入り込んで演じる演出も寺山の劇ではありふれていた。
つまりこの「世田谷カフカ」は、小劇場で演じられてきた劇の総決算のような劇で、人間存在の不安をのぞかせるカフカが、エンターテインメントにもなることを鮮やかに見せてくれた。しかし見終わって今振り返っても強烈に残る印象はとぼしい。それは、以前に何度かカフカの作品を演劇化したものを見ており、今もそれはぼくの記憶の中で生き続けているからだ。それについて語るのは次回に譲りたい。(番場 寛)
能舞台とミニスカート
2009年10月07日 菊池 晃さん、博士号授与おめでとうございます。指導された教員のみなさんや後につづく学生たちにも励みとなることでしょう。 それに比べれば少し恥ずかしくなるような考察を書かせてもらいます。
先日の4年生のゼミの授業で、「ミニスカートの文化」というテーマで研究を続けている女子学生が、60年代に若者に社会秩序や当時の価値観に対する反抗が芽生え、それがパンクに見られるような新しい音楽やファッションを生み出していったのだと説明した。ミニスカートも、当時の「脚を露出するのは、はしたない」という価値観への反抗心の表れだったのではないかというのが、彼女の現時点での仮説であった。
他の学生からは、既成の価値観を覆そうという動きは他の時代にも見られるので、その説明では不十分だという意見が出された。
ぼくが説明を聞きながら思ったのは、3月2日にこのブログ(「ミニスカートが好き」を考える)で書いた疑問だった。それは「スカートを穿かない女に未来はない」と言い放っていたココ・シャネルが、当時流行り始めたミニスカートについて「あんな醜いものを穿く気持ちがわからない」という内容のことを言っていたことである。女性の脚を最も美しく見せるスカートの丈は膝が隠れるくらいだという考えを彼女は変えなかった。
シャネルブランドのデザインを引き継いで成功したカール・ラガーフェルドはミニスカートをデザインし成功しているのだが、その二人の差は男女差によるものなのか、時代的な制約によるものなのかを知りたいと思っている。
しかし今日このブログのタイトルをこう書いたのは、しばらく前になるのだがミニスカートについてある先生と話したときの疑問がまた浮かんだからだ。
ショートパンツスタイルが流行っていたときのことだ。どうしてミニスカートの方に心が動いてしまうのだろう?とぼくが話したときのことだ。その先生が「そうなんだよね。でもショートパンツを穿いた上に一枚の布を巻きつけただけで心が動くんだから不思議だね」というようなことを言った(学生のみなさん!先生はいつもこんなアホなことを議論している訳ではありません)。
単なる脚の露出という点だけではミニスカートの謎は解けない。その謎が解けたと自分で思えたのは、ひょんなことからである。
もう前になるが、ぼくが能を教えていただいている河村晴久先生が、5月6日に、大学の授業で教えている学生やお弟子さんたちを引き連れて奈良の能の舞台となっているところを案内してくださる催しに参加した。
奈良県新公会堂にある能楽ホールの能舞台を案内してくださったときのことである。そこは能の上演だけでなく会議にも使われる場所のため能舞台の柱が外れるように造られている。その日はたまたま左正面の柱が外されていた。「よかった。ここを皆さんに見せることができて。ほら柱がないといかに間の抜けた感じになるかおわかりでしょう」と先生が解説された。
舞台の柱は、面をつけているため、視界が限られている能を演ずる役者たちにとって空間を把握するための目安となるのだということは知っていた。しかし能をみるたびに、その柱が観るときの邪魔になって、なければいいのにといつも思うのだった。
しかしその柱がない舞台を見たことで河村先生の説明が納得できた。つまり柱があることで舞台に奥行のある空間が生まれるのだ。視界の一部を遮られることはその奥行きを生むために必要なのだ。
そのことを聞いて、ずっと抱いていたミニスカートへの疑問が氷解したように思えた。ミニスカートは能舞台の柱の役割を果たしているのではないか? 見えてしまえばそれだけの部分を視線からさえぎることで、空間に奥行を与えているのだ。
でも新たな疑問が生まれる。それはあくまで能の観客にあたる見る人への効果からの推測にすぎない。能でいえば役者にあたるミニスカートを穿く女性にとっては、それはどのような働きをしているのだろう?
ふわふわとひらひらとその持ち主の身体の動きに合わせ、呼吸しているかのように動く、名もなきデザイナーたちによって生み出されている素敵なその姿をみるたびに、こんなとりとめのないことを考えてしまう。(番場 寛)
劇「日本国憲法」(小嶋一郎演出、京都芸術センターにて)を観て
2009年10月02日 限りある時間の中でこれを読んでくれるあなたのためにできるだけリアルタイムで書きたいのだが、執筆が現実に追いつかない。
9月25,26日の二日間しか上演されなかった劇だが、書いておきたい。驚いた。チラシを読むと、日本国憲法をそのまま台詞にし、しかも小学生にもわかる劇を目指したのだという。現実ではなく理想の日本を描いたのだと演出家である小嶋一郎は説明している。 日本国憲法の精神を演劇にするという試みだけでも斬新なのに、台詞にそのまま憲法の文章を使うとは、一体どうなるのだろうという好奇心を抱いた。
舞台は京都芸術センターのフリースペースと呼ばれる、入口横にある広い板張りの部屋に設置されたが、普通の演劇のようにそこに板を敷いて舞台を作ることはせず、床に一つのソファを置いただけの簡素なものだった。
最初は一人の若い男が床に横たわり小さな動きで体をよじる。おそらく赤ん坊か、人間の誕生を象徴的に意味しているのだと思う。立ち上がってもなかなか言葉を発しない。ようやく言葉にならない発声をするまでの10分にも満たない時間が苦痛を伴う緊張感を与える。若い女が出てきて男と向かい合っても最初は言葉にならない発声で呼応し、ようやく日本国憲法をそのまま会話のように発声する。 「(…)戦争と、武力により威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。
それを聞くのはおそらく高校生以来だと思うが、なんて美しい言葉の連なりなのかと驚いた。まるで現実離れしていて、ちょうどあのジョン・レノンの「イマジン」を聞いたときと同じ気持ちになる。
しかし劇はなかなか展開しない。女が出てきても、向き合い、微笑み、距離を変えても、何らかの二人の関係に大きな変化は起こらない。それが狙いだとしても退屈だ。これで分かったと思ったか、30分もたたないのに観客の中のひと組のカップルが立ち上がり、観客席から外へ出て行った。登場人物が増え、最後にはすべての人物が手拍子を打ちながら微笑み、日本国憲法の朗読が音楽なしで、いつしか歌に変わっている。
これが小嶋が説明する、「現実ではなく、理想を描いた」ということなのだろうが、演劇作品としてはもっと何かできなかっただろうかと思わずにおれない。たとえば他人の戯曲をそのまま使い、発声と動きを極限にまで制御し、別の現実を作る三浦基だったら全く別の舞台を作るだろう。
劇自体の物足りなさとは別の次元で、演出家の意図した以上の効果を上げていたことがある。それは劇が行われた部屋の外に面した戸を開け払っていたことだ。これ自体は演劇の終わり方の手法として頻繁ではないが見られる手法だ。いわゆる日本庭園の「借景」と呼ばれるものと同じで、外の眺めを庭の眺めと連続させる手法である。
例えば、太田省吾も昔、劇の最後で舞台背後の戸が開けっ放しになり東京の住宅街が広がる演出をしたことがあるし、今も毎年続けられている唐十郎の劇の最後は必ず背後の戸が払われ外に主人公が出て行く。劇場内の虚構の時間が現実の時間へと接続されていることを示す瞬間である。
この劇の演出家がどこまでこの効果を考えて演出したのかは分からない。近所の犬の吠える声が劇の間中聞こえ、劇の妨げになると同時に外には劇と違った「現実」の時間が流れていることを常に観客に意識させる。もう暗くなっており、中に開いているのはカフェだけで他も催し物もない筈なのに、芸術センターに入るために通り過ぎていく人が絶えない。彼らは最初、部屋の中の方を見るが、まるで無関心であるかのように通り過ぎていく。
演劇も、日本国憲法も、慌ただしく過ぎていく日常の中では意識されず忘れられている。自分の意志でチケットを買うか、手に取り文章を読む人にしか作用を及ぼさない。しかし目には見えなくても、演劇も憲法もその日常のど真ん中にある。それをこの「日本国憲法」という劇は伝えることに成功している。 (番場 寛)
シャネルと本谷有希子
2009年08月23日 先に見た友人が、自分にとってはつまらなかったと言っていたが、授業でモードも扱っているのでクリチャン・デュゲイ監督「ココ・シャネル」を見てきた。映画はココ・シャネルについての新しい見方、視点を提示するものではなく、すでに知られている数多くのエピソードから父親に孤児院に置き去り同然に預けられてから愛に飢えていたシャネルが経験した二つの恋愛に焦点を絞り、展開していく。
一度目のカムバックのショーの大失敗で、二度目のショーを禁じられたのを振り切り奇跡的な大成功を収める流れを現在と設定し、随所に回想する過去が流れるという作りがされており、オーソドックスな映画だと思った。本物のシャネルの作品を何点も見られた以外は何かを発見したという映画ではなかった。
映画館は年配の女性で溢れていたが、映画が始まると私語は消え、部屋全体が感動しているのが伝わってきた。これはありふれたサクセスストーリーなのになぜこれほど人を惹きつけるのだろうか?
2度目のショーを阻止しようとするビジネス相手の助言を「私はシャネルよ」とはねつけ果敢にショーを成功させてしまう姿は傲慢なのに見ていて気持ちいい。
映画を見た翌日大阪で本谷有希子作・演出の「来来来来来」(ライ…と読む)を見た。小説は何作読んだし、彼女の作品原作の映画(「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」)も見たが、演劇だけを見てなかった。
ストーリー自体はとても分かりやすい。ある家庭の長男と結婚した女性が、長男の失踪後まるで人質のようにこきつかわれるという設定である。なぜ逃げないのかという問いかけにも「逃げるのではなく、乗り越えたい」と答え、イジメにも似た扱いにも耐える。
劇場は満員で、今話題の本谷とはいえ、改めて彼女の魅力とは何かと考えた。何よりもデビュー当時世間を驚かせたのは「劇団本谷有紀子」という名で旗揚げしたことだ。強烈な自己顕示欲は「わたしはシャネルよ」と言い、自己ブランドのマークにココの頭文字を使ったシャネルと同じだ。
過剰に感情をむき出しにした登場人物の本谷の演出に注意し、台詞に耳を傾けていると多くの人を惹きつける秘密の一部が分かるような気がしてくる。
確かに舞台で演じられる行為は常軌を逸しているが、それらはわたしたちが日常誰でもが感じているが、敢えて言葉にしなかったり、行動に表さなかったりすることだ。本谷は普通の人の感情を分析し、それをまるで電子顕微鏡で拡大するかのように見せてくれる。
たとえば、あれほどいじめられていた姑(昔、劇団「青い鳥」で活躍していた木野花さんが演じていて嬉しい)が認知症になったとき、頭を撫でられたことで自分をよくやったと初めて認められたと思い、彼女を連れてそこから脱出する決心をするところは、誰でもが持っている自分を認めてもらいたいという感情とは、それほど強いのかと感動させる。(小劇場の先輩、木野に頭をなでてもらうという演出は無意識的なものなのか?)
唯一主人公の味方の女子高生が言う。「努力してないと生きている実感がないなんて言わないでよ(…)わたし蓉子ちゃんのことが好きなのか嫌いなのか分からなくなった。好きと嫌いは似ている」(覚えているまま)
彼女の人気の秘密はだれでもが感じるがそれを認めたくない、強く惹かれる他者への愛と憎しみの感情が強く絡み合っている様をむき出しに見せてくれるからだ。 それは誰でもが美しいと感じるが、自分では気づかない「色」「形」「手触り」を「わたしはシャネルよ」と言って、組み合わせて見せてくれるシャネルと共通している。
終演後、俳優たちと一緒に舞台に立った本谷は細く、どこからこんな過激な世界を生みだすのかと思わせるような美少女(?)だった。(番場 寛)
ピナ・バウシュの思い出
2009年07月23日巷ではマイケル・ジャクソンの訃報が駆け巡っていたが、コンテンポラリー・ダンスのダンサーであり、世界最高の振付師の一人であったピナ・バウシュの死の反響はこの国においては、その偉業に比べてあまりにも静かなものだった。
このブログを読んでいるという知り合いからピナ・バウシュの思い出を書いてほしいと言われたのだが、なかなか書けない。そしてようやく分かったのは、強烈な感動を与えるのにそれについて書こうとすると逃れ去ってしまうものそれが彼女のダンスなのだと。そして記憶がおぼろげなのは、演劇のような明確なストーリーもそれに基づいた台詞もなく、あるのは言語化するのが困難な、極限にまで練り上げられた時間と空間と身体とのせめぎ合いがあるばかりだからだと。
それでも、はっきりと思いだすのは2003年にパリで見た「ネフェス(呼気)」だった。パリ市立劇場の年間プログラムのひとつとして見られるのだが、チケット発売日にはすでにその劇場の年間契約者である会員に買い占められてしまうため一般人は買えない。
それで、「チケットを売ってください」と紙に書いて胸に掲げて立ったのだ。地下鉄の出口付近からすでに立っている女の子が目立ち、劇場の入口付近には多くの人が同じようにして立っていた。すでに完全にあきらめかけたとき、入口で劇場の職員にもう完全にチケットはないのかと聞いている人がいた。すると職員はだめだとは思うが、もしキャンセルが出た場合は入れるかもしれないのでここで待つように言った。奇跡的に入れた。
初めに覚えているのは、男が一人で机に不安定な形で横たわっており、その傍らにもう一人の男がいる場面である。横たわっている男が落ちると観客が思った瞬間、想像できなかった動きでその傍らの男が支える。
個人の身体の動きはそれぞれ見事だが、中でも肌の色の濃い少女に見えてしまう小柄の女性の動きが見事だった。他の女性もそうなのだが、ピナ・バウシュの劇団の女性たちは全て髪を長くしており、上半身の動きで起こる遠心力や振動を増幅させ身体のフォルムとして衣装以上に雄弁に機能していた。
ピナ・バウシュの振り付けは個人対個人のときのそれが記憶に残っている。たとえば女性が二人向き合い、一人が相手の服を脱がすとそれが同時に脱がした相手に服が移って着られているといった動き。「ネフェス」での、女性の顔にマッチョな男の体を一人の人間のように重ねた動き。また、舞台のかなり離れた位置にうつぶせになり、視線を合わせた二人のうちの一方の動きが、他方に連動した動きを生み出すのを見るとき、観客は不思議な感覚に襲われる。それはちょうど夢の中で、ある動作がまったく不条理に別の動作へのつながっていくのを見るときの説得のされ方に似ている。夢の中の論理性のような動きの論理性といったものに驚き、感心させられた。
ソロでの踊り、2人ないしは3人、4人の踊りと集団での踊りとはかなり違った印象を受けた。個人が何らかの欲望なり意志なりで動き、それに反応した別の人が動くが、それが人数が増えるに従って単なる論理と因果関係で動くのではなく、空間のバランスとして動くよう演出されている。それがダンスの振り付けなのだろう。
そんなピナ・バウシュの振り付けを身をもって体験するという機会を得た。2008年の5月に「京都の暑い夏」というコンテンポラリー・ダンスのワークショップの催しがあったとき、昔ピナ・バウシュの劇団にいたという日本人の女性から彼女が受けたという「春の祭典」の一部の振り付けを他の参加者と一緒に受けた。
まったくの初心者の自分にとって、無謀だということは分かっていたのだが、どうしてもピナ・バウシュがどのように振り付けをしたのかを知りたかった。
結果は散々で、ついていけず途中で脱落して立ち尽くしてしまった。しかしどうにかついていっている他の参加者を見ていると、確かにピナ・バウシュの劇団の踊りに近づいているのだ。改めて振り付けというものが言語と身体によって再現できるということに驚かされた。
思えばピナ・バウシュは、身体と音楽で織りなすダンスに必ず一部台詞を入れた。日本での講演のときはたどたどしいほんの片言の日本語が緊張した舞台の中でどれほど効果的であっただろう。それは他の大部分の言語化されないものがあるからこそ効果的だったのだと思う。
1999年のびわ湖ホールでのことだったと思う。 スクリーンに大きく映しだされた金魚の映像をバックに黒い衣装に身を包み、大きな舞台にたった一人で踊るピナ・バウシュの姿が今も言語化されない記憶としてぼくの心に残り続けている。(番場 寛)
俳優とダンサーの肉体-青年団「鳥の飛ぶ高さ」、勅使川原三郎「ダブル・サイレンス-沈黙の分身」を見て
2009年06月16日 12日に青年団の「鳥の飛ぶ高さ」(京都芸術センター)、13日に「ダブル・サイレンス-沈黙の分身」(兵庫県立芸術文化センター)を見て年齢ということを思ってしまった。
「鳥の飛ぶ高さ」はそのまま上演すると6時間以上もかかってしまう、フランスの作家の作品を平田オリザが2時間あまりの、彼自身「経済戯曲」と呼ぶ作品に全面的に書き換えた作品だ。
温水トイレの販売不振に悩む企業にフランスの企業から買収の話が持ち上がり、それを拒絶し何とか企業を立て直そうとする社長のグループと新たなやり方で会社を自分のものにしようともくろむ長男の話がメインなのだが、それに日本のアマテラスによるオオクニヌシノミコトの出雲の国の支配という神話と、ルワンダのフツ族によるツチ族の大量虐殺の話が並行して盛り込まれ、それらをつなぐものとしてその劇を書いた劇作家が語り手として登場する。
複雑なのに破綻をきたさない歌あり踊りありの楽しい舞台で、日仏の俳優によって両言語によって演じられた。アルノー・ムニエというフランス人の演出のせいか、「間」のなさ、場面の転換の速さ、理屈っぽい説明、まるでフランスで演劇を見ているような気になった。特に、新製品を開発するため社員でブレーンストーミングするときの、排泄物をどうとらえるかについての掛け合いは見事だった。
グローバル経済の中で起こる企業買収の現象に、他の地方を侵略し合併してしまった日本の国造りの神話と、現実に起きた民族間の虐殺とに共通したものを見ようとする作者の意図は分かった。古くから繰り返されてきた、力ある側が弱い側を侵略、支配することは特にグローバル社会の現代では避けられないことなのだろうかという問題提示である。
しかし劇を見ながらぼくはもう一つの別のことに感心していた。それは30代40代の人が中心の俳優たちの中に髪の薄くなっていることから推測すると50代ひょっとしてそれ以上の俳優たちも主要登場人物として演じていたことだ。
ぼくが普段見る小劇場の俳優たちは殆どが20代30代でそれ以上の年代の人はまれである。それは実生活を続けるためには、アルバイト生活を強いられる演劇活動を続けられないからだろう。青年団の俳優たちがこの年代まで続けていられること自体に感動させられたのだった。
一方、翌日見た勅使川原三郎のダンス「ダブル・サイレンス-沈黙の分身」は緊張の持続を強いられる舞台だった。最初は観客の体の奥をも共鳴させるような振動音が会場に流れ、闇から浮かび上がったダンサーが直立したまま身体をその振動音に合わせて細かく振動させる。その動きの徐々に大きくなる様は、デビッド・リンチの映画『イレイサー・ヘッド』を思わせる。
勅使川原の舞台は今まで3度見ただけだ。20数年前見た時は、まるで手を直線的、平面的に動かし、空間を切るような動きをしていた。2002年か2003年にパリのオペラ座で見たときは驚いた。髪をまるめていたこととすっかり体が太くなっていたことだ。そのときパンフレットで彼が自分と同じ年に生まれていることを知って驚いた。
今回は体つきはそのときと殆ど変っていないが動きは見事だった。それは彼の後集団で踊った若いダンサーたちの踊りと比べると際立った。若いダンサーたちの踊りは、手脚全体を使って大きく、速く動かしても、回転、直線的な動き、美しく見事なのだが、どれも見ているとやがて飽きてくる。それよりもはっとさせられるのは、勅使川原と佐東利穂子の、なめらかな動きに続くひきつりこわばった、凍りついたような身体だ。そのとき改めて身体というものを生々しく感じさせられる。
「ぼくは沈黙をつくりたいのだ」「沈黙を求めて身体を使う」と、不可能を追求する勅使川原の意欲に拍手を送りたい。
肉体が老いても、なお老いないものを二つの舞台で見たように思った二日間だった。(番場 寛)
唐十郎、太田省吾、そして三浦基-差異と反復(1)
2009年05月14日G.ドゥルーズの著作の題名『差異と反復』という言葉が頭を離れない。
また今年も唐組の公演、「黒手帳に頬紅を」見に難波の元精華小学校跡のグランドに行ってしまった。マンネリだと思ってしまうのにまたこの桜の季節になると無性にあの雰囲気を味わいたくなってしまう。貼られたテントの中に押し合うように座って見る舞台はちょうど、吉本喜劇のそれに似ており、平面的に並んだ登場人物から機関銃のように発せられる台詞には殆ど「間」といったものはない。しかしその台詞を追っていくとその背後に流れている時間を立体的に感じられる構成になっている。お馴染みの役者、感情たっぷりの音楽、観客の期待の高まったところで登場する唐十郎。脚本も台詞も毎年変わっているが殆ど何も変わってないと言えば変わってない。それなのに見に来てしまう。見終わって携帯のカメラで大阪の夜空の下のテントを写して驚いた。昨年も全く同じ日、4月26日にここに来て見ていたのだ。
そして昨日5月13日、京都芸術センターで、三浦基演出の「あたしちゃん、行く先を言って」を見た(京都公演は5月15日まで)。もともと彼は現代の小劇場演劇の先端をなす演出家なので欠かさず見ているのだが、とくに今回は見る前から疑問と期待が大きかった。なぜなら今回の公演は唐十郎と同時期に演劇をリードし続けた太田省吾の全作品のテキストを編集しなおして三浦が演出すると予告していたからだ。もう30年近くなるかもしれない。実際に見ることのできたのは数回だけだったが、沈黙劇と呼ばれた太田省吾の劇は強烈な印象の記憶として残っている。彼の死の数年前に京都で本人に会え、あの時の感動を直接伝えることができて嬉しかった。
三浦の演出はまず、舞台設定が見事だった。客が部屋の真ん中に散らばった椅子に座り、それを囲むように役者は部屋を壁伝いに移動して台詞を言う。途中で客席に入ってきて台詞を言うときもある。客は6人の登場人物の発する台詞が物語的な時間の中で発せられているのではなく、寸断された対話をモノローグのように語っているのだと思う。しかしそのモノローグはつながりを持った普通の劇の人物同士の対話のように交換されていることに戸惑い、驚く。太田のエッセイや演劇論までもがモノローグで語られるとき、これは一体何を目指しているのだろうと思わずにおれない。物語的な時間を否定したとしても舞台上の時間は流れなくてはならない。劇が終わったとき、始まったときと比べて観客の中で、確かに何かが変わった、時間が流れたのだという意識が生まれなかったなら観客は満足しないだろう。反復は心地よく、差異は不快だが、それが心地よさに変わったときにはその心地よさははかり知れない。しかし差異が差異として認識されるには反復がなければならない、というようなことをドゥルーズの著作をもとに考えてしまう。
疑問はいくつか残ったが、太田省吾のつくった台詞が物のようにそこに発せられてそこに存在していると感じさせる目論見は成功していたと思う。三浦が太田省吾の一作品だけを通して演出したものも見てみたい。そして彼には、当日客席で彼と並んで見ていた松田正隆にと同様にエールを送りたい。もっと前衛に、もっと過激に、と。 (番場 寛)
白井剛 構成・演出・振付作品「青いろライオンblueLion」を見て
2009年02月14日もしあなたが、天気のいい日、公園のベンチに座って風にそよぐ木々を見ているとしたなら、あなたは、その枝の動きを美しいと感じるだけで、その動きには意味を求めないでゆったりと座っていることができるだろう。
しかし、この作品における寺田みさこと鈴木ユキオの二人のダンサーの動きは、同じくダンサーである白井剛によって演出された動きなのだ。舞台上で繰り広げられる彼らの動きは何らかの意味や志向性を帯びた意思に基づいているのだと考える観客は必死にそれが何なのか探そうとする。
砂を一面敷き詰めた上に幾つかの長椅子と小さな立方体の柱を並べていくことで人物の周りに輪郭をつくっていくだけの舞台に3人の楽器演奏者と一人のボーカルが加わる。
最初、音楽なしで二人が踊る姿を見つめていて息苦しくなるのは、コンテンポラリー・ダンスにそれを求めるのはおかしいと知りながらも、自然ではない人間の動きを見たときの戸惑いである。人は無意味なものにも何か意味を見出して安心しようとする。それができないとき不安で居心地の悪さを感じる。
「青いろライオン」という物語的なタイトルの下に構成されたこの白井の振り付けはどのような狙いによるものなのだろうか。二人の動きを見ているとダンスとは何かということがほんの少し分かるような気がしてくる。ダンスとは結局身体の差異化なのだ。二人とも静止した瞬間の形が美しい。動いている時もけっして日常の動きではなく、スピードも緩やかであったり素早かったり、きわめて制御されている。たとえば腕が静止しているからこそ、掌から指先にかけての動きが価値を帯びてくるのだし、静止の時があるからこそ動きが表現となるのだろう。時間と空間を分節し、差異化していくこと、それがダンスなのだろう。
白井は伊藤キムと踊った「禁色」と映画館(京都みなみ会館)で自身の姿をスクリーンに映しながらそのスクリーンの前と客席とで踊ったソロを見ているが、今度は自身は踊らず、演出だけだ。今回もスクリーンに都会の町並みと動物園とを映し出してその前でダンスと演奏が行われるが、ダンスが物語的な意味を排したとしてもスクリーンに映し出された光景は明らかに意味を帯びてしまう。また演奏された音楽の中でも「パリの空の下」や「ラ・クンパルシータ」のような曲はすでに過剰に意味を負わせられており、映像とダンスの意味に影響を与えてしまう。
明らかに演劇的な振り付けを行い、言葉も取り入れるピナ・バウシュの方向に行くのか、それともたとえば、2月6日と7日のこのブログで紹介した、純粋な身体の動きを目指す岩下徹の方向を目指すのか、白井剛のダンスにはこれからも注目していきたい。
岩下徹ダンスワークショップに参加して考えたこと-その2-
2009年02月07日ダンスにおける「自由」とは
3日目のレッスンは踊るときに身体の一部を拘束して踊ると言うもので、最初は皆両手をポケットにいれたまま踊り、その後各自が自分で考えた拘束を自らに課して踊った。最初は膝を曲げることを禁じる者、目をつむったまま踊る者、腕を固定して踊る者、さまざまでぼくは両腕を固定して踊ったが、不思議なことに拘束があると確かに不自由ではあるが、逆に動きが制限される分踊りやすいという気がするのだ。
踊りの後にミーティングで聞いた話はとても興味深かった。大野一雄のダンスのすごさが話に出た。高齢にともない体が徐々に不自由になっていくのだが、その動く部分で踊るダンスがすごいというのだ。確かな情報ではないが、今はひょっとして寝たきりになっておられるかもしれない。それでも彼はたとえ手が動けばその手だけで踊りその手の動きがすごいのだという。
その話を聞いたとき一回だけ見た大野一雄の踊りを思い出した。それは阪神淡路大震災の傷跡もまだ残っている伊丹でだった。彼はなんと身体障害者のメンバーだけで結成された劇団「態変」と踊るのだ。「態変」のメンバーは全身をレオタードで覆って踊る姿にまず度肝を抜かれた。日頃どちらかというと見つめてはいけないと思ってしまう人たちが舞台の上で全身をさらしているのだ。動かすことのできる部分が非常に限られ、殆ど横たわるだけに近い人も交じる中で、生存している舞踏家の中では最高峰とも評される大野一雄はどのように踊るのか、緊張と痛々しさの混じった感情で舞台を見つめた。大野一雄と「態変」のメンバーの踊りというか動きは全くの違和感のないのが驚きであった。帰るときに見た駅の名前はぼくには「痛み駅」に見えたことを思い出した。
全部のレッスンを終えて着替えてからのミーティングで初めて何人かの参加者の自己紹介がなされた。整形外科医、看護師、ヘルパー、働きながら建築を学んでいる学生、芸術系の高校生などさまざまだが、分かったのは皆岩下さんのこのワークショップに切実な思いを抱いて参加していたことだ。他者との関わり合いを身体レベルで再構築したいと思っているように思った。
踊っているときに決して目を閉じないようにと、岩下さんは何度も注意した。目を閉じると自己に閉じこもってしまい、他との関係が築けなくなり、それはオームの行っていた修行にも通じてしまうからだそうだ。
岩下さんの「即興」に対する考えは、ぼくにとっては考え続けたい問題だ。自分で専門に研究している精神分析に非常に似ていることに気づいた。できるだけ日常的な拘束から離れて自由に動かそうとして出てくる動きは、身体に沈殿して忘れている記憶からできている身体の無意識ではないだろうか。即興ダンスを踊ることは、身体の精神分析を行っているのではないだろうかとも思えてきた。
「祈りの時間:オリッサの風に触れる」映像公開
2008年12月27日12月12日(金)におこなわれたイベント「祈りの時間:オリッサの風に触れる」の様子がYouTubeに公開されました。こちらです。
今回公開されたのは、フォークダンス「ランガバティー」の様子です。 「ランガバティー」は、西オリッサに伝わるものです。男女がペアとなり、互いの思いを伝え合うという物語を表現します。それぞれの身振りがどんな意味を持っているのか、想像しながらご覧いただくとおもしろいかもしれません。
足を踏む動き
2008年12月04日12日のイベント「祈りの時間:オリッサの風に触れる」を間近に控え、学生たちの舞踊の稽古にもいっそう熱が入っている。
古典舞踊「オリッシー」の稽古を見て気づいたことがある。それはステップにおける「足」の使い方、より厳密にいえば「足の裏」の使い方である。
指導にあたっているショバ先生が足を地面に着いている時、その足の裏はべったりと地面に密着し、地面をしっかり捉えているように見えるのに対し、学生たちのそれは、なんだか少し浮いているように見える。
きわめて主観的かつ刹那的な観察からこのようなことを言うのは危険かもしれないが、おそらく、ショバ先生にとって、しっかりと足で地面を「踏みしめる」ことこそが、次の動きに速くスムーズに移行するための手段なのであろう。地面を強く蹴っていないことからも、そうであることが窺える。
地面を踏みしめない、換言すれば、足の裏を地面に密着させることなく(とりわけ踵を)浮かしていた方が、より速くスムーズに動けるように思える。その方が確かに速いかもしれないが、速く動こうとする心のありよう、先に先にと動こうとする心によって、一個一個の動作がおろそかになってしまい、全体的になんだかめりはりのない動きになってしまう危険性がそこにはある。
また、大地をしっかりと踏むことにより、踊り手の身体は天と地をを支える。宇宙全体を自身で受け入れる。そこに美しさが見て取れる。
踏みしめて動くことの意味を再確認する必要もあるし、それを可能にしているのは何かということを考えながら観察するのも面白い。12日のイベントがそれを見る人々に、さまざまな「発見」をもたらすにちがいない。
最近のコメント