理想のレストラン

Posted 2009年09月27日 by bhiroshi
Categories: フランス

      「悲しけりゃ、ここでお泣ーきよ…」著作権のことがよく分からないのでこれ以上書けないが、ふと「失恋レストラン」という歌を口ずさむことがある。落ち込んだときにそこにいくだけで慰められるレストランがあればいいのにと思う。

  パリでは(も)一人で食べることが多く適当なレストランを探すのに苦労する。うっかり一人でまともなフランス料理のレストランに入ってしまい出てくる料理と料理の間に耐えきれない思いをすることもある。6・7年前に一年間住んだとき以来、とにかく料理を待つ時間が惜しいことと、それほど食事にお金をかけたくないという理由でもっぱらあるレストランに通う。

     大学では、フランスの社会や文化を紹介し、それについて考える授業をする機会が多い。学生には、フランス料理に関する関心を抱いて、そこからフランスという国とその文化に興味を持つ者が多い。

  それで授業で使う映画でも、大勢で食べているシーンにフランスの社会情勢や国民性が現れる『パリのレストラン』や、「舌の快楽」を追求するカトリック教徒と「舌は神を賛美するためだけにある」ともっぱらその食の快楽を禁じる敬虔なプロテスタント教徒との葛藤を描いた『バベットの晩餐会』という映画を教材として使うことがある。前者では和気あいあいとおしゃべりしながら、後者では沈黙のうちに食べ続けるという点で対照的だが、どちらも映画を観た学生のコメントにはよだれが出そうだというものが目立つ。 

  しかし、ぼくがパリに行くと実際によく通うレストランは、パリの3区、Arts et Métiers(技術と職業という意味。近くにある工芸学校の名からつけられた)という地下鉄の駅を出て、ポンピドゥーセンターの方向に10メートルほど歩いたところの路地を入ってすぐのところにある中国料理のレストランである。

  その地域はパリに何カ所かある中華街の一つで、その路地には中国人の経営する小さなスーパーや理髪店を始め、レストランも数件あるが、そのレストランだけがなぜかいつも人で溢れている。そのため一人で入っても大抵、細長いテーブルに会い席で座ることになる。

  驚くのはどの料理もおいしくてしかも待つ時間が短いことである。殆どが炒めるか、蒸すかで調味料がよいのか分からないが注文してから10分程度でできてくるのには驚かされる。夜遅くまで開いているのでポンピドゥーセンターの横の映画館で観た帰りには助かる。住まいのある人はショーケースに並べられたものから選び、ご飯と一緒に発砲スチロールの容器に入れてもらって買っていく人も多い。

  しかしなぜそこに通ってしまうのかというと、味や安さや待ち時間の少なさのせいばかりではない。店内は明るく、客の活気が満ちている。2人以上で食べている者は会い席でいる一人の客のことなど気にせず、大声で話す。フランス人の中国人が多く、ぼくはいつも中国語で話しかけられる。3人連れで親が幼い子の口に箸で料理を運んでやっている光景にも出会う。 一人で食べているのに大勢で一緒に食べているような気になってくる。

    店内は多くの人種、様々な年齢層の客で溢れ、一人者を含むあらゆる組み合わせの連れがいる。あるとき中年のフランス人らしき男が、匂い立つように官能的な若い娘と食べていた。こんなところで一緒に食べるのだから親子だろうと思い、会話に耳を傾けるとどうも恋人同士なのだ。うらやましくてならなかった。

  日本でも一人でレストランで食べる機会が多いのだが、なぜか一人で黙っている他人が悲しそうに見える。二人で食べているカップルもひそひそ話していてそんなに楽しそうに見えない。

  確かにフランスで食べる、フォアグラもエスカルゴもカモのオレンジソース煮もとても美味しい。授業でフランス料理について説明するぼくが、あの例のレストランで食べる、ただチンゲンサイを油で炒めたものをご飯に添えただけのものlégume vert sauté avec du rizやナスaubergineの油炒めを恋しがっているのを知ったら学生は失望するだろうか?    

       レストランrestaurantの語源は「元気を回復させる」という意味のrestaurerという動詞から来ていると聞いている。ぼくにとってはあの明るく、活気で満ちているレストランが今でも理想のレストランなのだ。(番場 寛)

 

精神分析は「パンドラの匣」なのだろうか?

Posted 2009年09月25日 by bhiroshi
Categories: フランス, 雑感

      今回もパリに行き短い滞在期間だったが、セミナー期間は夜一回、それが過ぎてからは一日2回計10回の分析を受けてきた。分析と言っても聞いて人が普通想像するように、分析家が被分析者の話を聞いて、あなたの問題点はこれこれです、というように「分析」してくれるというのでは、まったくない。特にラカン派の分析では、分析を受ける人は「被分析者」という意味の、analysé(「分析するanalyser」の過去分詞の名詞化したもの)ではなくて、能動的な意味を帯びた現在分詞から作ったanalysantと呼ばれ、普通「分析主体」と訳される。

  自由連想法により心に浮かぶことを分析家に話すだけで、分析家の役目はもっぱらそれを聞き、分析を受ける人がいかに無意識を開放して言葉として自由にでてくるよう手助けをすることにある。

  もう7年前になるが大学から一年間の研究休暇をもらってパリに滞在したとき、あるラカン派の分析家に、分析を受けるべきかどうかたずねたことがある。彼が、分析を受けないでどうして精神分析が何であるか分かるだろうかと断言したことが心に引っかかった。

  治療のための分析ではなく、分析家になるための「教育分析」を終えるには十年以上もかかるとも聞いていた。滞在の期間も一年だし、それ以後渡仏して続ける気はなかった。しかしそれ以上にぼくをたじろがせたのは、分析に対するイメージであり、それは「パンドラの匣」のイメージであった。

  つまり決して開けてはならない箱であり、それを開けてしまったら心の奥底にあるすべての醜いもの、おぞましいものが出てきてしまい、どうにか安定した心の状態で送っている日常を失うことになるのではないか、そういった恐れであった。

   しかし、チビエルジュ氏の奥さんで、パリで自身も精神分析家として働いている那須恵理子さんに会ったとき、もし分析を始めて途中でやめたら何か問題があるだろうかと尋ねた。彼女は、今ぼく自身に何か問題がないのなら、分析を始めてもいつやめても大丈夫だと断言した。それでぼくも分析を始めたのだった。まるで、好奇心に負けてしまったパンドラのように。

  待合室で分析を受けたばかりの人を見ると、やはり暗い表情で出てくる人が目につく。あるときぼくが分析を終えて出たら待合室に4人の女性が待っていた。いずれも若い女性だ。改めてどうしてなのだろうと思う。パリの電話帳のイエローページで確認したら、分析家だけが掲載してある頁が5頁もあった。

  チビエルジュ氏に、分析を受けている女性が多いのを見て驚いたことを言ったら。彼もそうだと言った後、では日本では若い女性たちは悩みをだれに相談しているのかと尋ねられた。そう言われるとフランスが異常なのか、分析など必要ないかに見える日本が不思議なのかわからなくなる。(皆さんは一体どうしているのでしょう?)

  もう十数年以上前になる。ラカンの弟子の一人で、現在は自分の派を形成して大成功している分析家のJ-D.ナシオ氏を大谷大学に招いて講演会をしてもらったことがある。かれに「分析家は何を分析の目標としているのですか?」と誰かが尋ねたときのことである。ナシオ氏は答えた。「それは分析を受ける人が分析家と別れられるようになることです」と。

  何と深い言葉だったのかと今は分かる。分析のときには「転移」と呼ばれる恋愛のような親密な心理状態に陥る。もし恋愛だったら、人は別れるために恋人に会い続けるのだとは言わない。やがて別れることができる日を目指して会い続けるとは、何と倒錯的とも言える関係なのだろう。

   「パンドラの匣」の話はぼくを恐れさせたが、それは同時にぼくの好きな話でもある。それは、この世のすべての災いが出て行ったあとに、その匣の底にたったひとつ残っていたもの、それが「希望」であったからだ。(番場 寛)

  

異文化の風にふれる:インド舞踊を体験してみよう

Posted 2009年09月15日 by otaniis
Categories: イベント

来る9月19日(土)に、大谷大学でオープン・キャンパスがおこなわれます。

その時の目玉イベントが国際文化学科のモニカ・ベーテ先生による模擬授業「異文化の風にふれる:インド舞踊を体験してみよう」(11時10分〜12時40分、於:講堂)です。

舞踊の振り付け・所作にはどんな意味が込められているのか、同じ動作でも地域によって意味の違いはあるのか・・・そんなことなどを、長年、能など舞台芸術の研究や教育に携わってきたベーテ先生に、わかりやすく解説していただきます。

非常勤講師ダシュ・ショバ・ラニ先生と学生たちによる東インド・オリッサ地方に伝わる古典舞踊オディッシーやフォークダンスの実演と指導あり。

身体を通した比較文化研究の実践を体験してみませんか?

「彼女たちElles」展-ジョルジュ・ポンピドゥーセンター近代美術館にて-

Posted 2009年09月14日 by bhiroshi
Categories: Uncategorized

   パリで、今回もポンピドゥーセンターに行った。今回の企画展の「彼女たちElles」というタイトルが建物の正面に大きく掲げられていた。3階が近代美術館の入口になっていて館内に入るとニキ・ド・サンファルのおなじみの「花嫁あるいはエヴァ・マリア」と「1965年頃の磔刑」という作品が目に入る。

 ある部屋に入って戸惑った、アバカノヴィッチの巨大な女性器の造形や、他の作家による男女の結合した性器そのものの写真が展示され女性の観客がくすくす笑っている。こんなのが表現だろうか、そのままじゃないか? 少し失望して部屋を移っていく。次第にそれぞれの作家の意図が伝わってくる。あまりにも多様な作品があるのだが、たとえばビデオで映し出されていたSigalit Landauというイスラエルのテルアヴィヴ生まれの女性の作品は一目瞭然の作品だ。女性が裸でフラフープのように何かを腹で回している。よく見るとそれはフラフープではなく、鉄条網の針金を輪にしたものだった。それが回るたびに女性の裸は傷だらけになっていく。「これは、肉体を活発に無限に包んでいる目に見えない、皮膚の下にあるもろもろの限界に関する個人的で政治的、官能的なパフォーマンスなのです」と作者は説明している。

 もう一つ忘れられないというより、その作品を見たときの感情の原因を自分で分析しきれてない作品がある。それは暗い部屋の中いっぱい、次々と、男と女、男と男、(女と女があったかどうかは覚えていない)というカップルが愛し合っている様のスライド写真が映し出され、それに女性の歌が音楽とともにかぶさるというHeartbeat, 2000-2001という作品であった。

 何でそれだけの作品に感動したのか分からない。普段、映画でもカップルが抱き合うシーンは見たくないし、ましてや男同士のラヴシーンには目を背ける。それなのにこの作品には嫌悪感を抱かない、なぜだろう。まるで何か一面に葉をつけた木と木が風にそよぎ揺らぎこすれ合うのに、立ち会っているような気になってくる。二つの肉体がからまっているがそれは単なる偶然で、見ているとふたつの孤独と孤独がお互いをいつくしんでいるようにしか見えない。

 美しいというより、何か宗教的な静謐な感じになるのはなぜだろうと思うと、流れている言葉が分からない、祈りにも叫びにも似た女性のボーカルのせいだろうかと思い出口で確認するとビョークの歌っているPrayer of Heartという曲だった。

 さらに驚いたのはこのインスタレーションビデオの作者はぼくと同じ年に生まれていたことだ。なぜ、この会場のあちこちに展示されている女性たちは、男性の芸術家に比べて、これほどストレートに性を造形化している者が多いのだろう? 「彼女たちElles」という展示企画は成り立っても「彼らIls」という企画は成立しないだろう。フランス語のilsは、男性だけの場合だけではなく、女性の中に、男性が一人以上含まれている場合も指すからだ。

 分析の時に、このインスタレーション作品を見たとき、なぜかは分からないが、これがラカンの言う「性関係はないIl n’y a pas de rapport sexel」ということなのかと思ったと語ったときである。驚いた。分析家は「そうですね。ラカンは『性的行為はないIl n’y a pas d’acte sexel』とも言ってます」と言ったからだ。

  まだまだ解読され続けているが、ラカンが「性関係はない」と言ったのは、たとえば論理的に説明できるように記述できるような関係というものは、「性」にはないという意味なのだと普通には理解されている。当然、常識的に性交はなされているので、それがないと言っているのではないと一部の学生には話すこともあった。それなのに、「…行為はない」と言っているという指摘は戸惑わせる。日本に帰ってから検索してみると確かにラカンは数箇所でそう言っていることが分かった。

 どう考えればいいのだろう? 今思い浮かぶのはあのHeart Beatという作品である。もし「性関係はない」としたなら、男と女、男と男、女と女はどう絡み合っていてもそれは性関係ではないし、それは性的行為でもないことになる。ではあの絡み合った二つの肉体を結びつけていたものは何だったのだろう? それが「欲望」か「愛」だとしてもなぜそれがその二つの肉体であるのかは、おそらく分からないだろう。(番場 寛) 

「国際ラカン協会」の夏のセミナーに参加して

Posted 2009年09月08日 by bhiroshi
Categories: Uncategorized

   「もう勘弁して」耳と頭が悲鳴を上げている。出発前は、どの程度理解できるだろうか不安だった。3年前の同じ「国際ラカン協会」の「精神分析的行為」という講義録対象の夏のセミナーに参加した時は絶望的に分からなかったので、今回はできるかぎり準備したつもりだった。セミナーで扱うラカンの講義録のうちまだ読み終えてなかった2つを読んだし、ホームページで公開されている関係する過去のセミナーで発表された内容を飛行機の中でもまだ読んでいた。

 それなのにやはり分からない。発表者はゆっくりと明瞭に発声しているので単語が分節されないというより、知らない単語、言い回し、レトリックがあるのだろう。自分の体の不安もあったし、遠く離れて住んでいる母親も行かないでくれと言われたのに来たのだ。必死で耳を傾けた。

 それでも分からない。聞き取れる部分はぞくぞくするほど面白いところを語っているのに分からない部分が多いことが悔しい。しかし異なった発表者の言葉に耳を傾けていると同じ言葉と概念が何度も繰り返されていることが分かってくる。

lettreという言葉には「手紙」と「文字」という意味があるが、シニフィアンの中でも特殊なのは、それは「パロール(ことば)」と違い、書かれたとたんに「現実的なものle réel」になってしまう点である。また日常的には何の疑問も抱かず使われている「一」という概念が実は考えれば考えるほど理解の困難な概念であり、それをラカンはYad’lUn(日本人には「宿らん」と聞こえる)という概念で表したということ。これは普通の書き言葉で文法的に正しく表せば、Il y a de l’Un(いくらかの一がある)となるがこれだけでも意味的にはかなり変な文で、ラカンが参照しているプラトンの『パルメニデス』の訳を出発前に読んでいたが、分かり難い。

 セミナーの二日後に、そこで発表したステファヌ・チビエルジュという分析家と会ったとき、「主語を省いたとしてもなぜ Y a de l’Unではなくて、Y a d’lUnなのか?」と質問した。

 チビエルジュ氏によれば、もちろん書き言葉で書けばIl y a de l’Unとなるのだが、まず話し言葉では主語が省略されたり音がくっついたりするのでそうなったということである。では、普通だったらIl y a l’Un(一がある)ではないか?という質問には、「もしそうなってしまったら「一神教」になってしまう。そうではないということを強調したいがためにラカンはこんな変な言い方をしたのだ。つまりラカンは思想を表す「言説discours」を話し言葉であえて表したのであり、言い換えれば言表に言表行為を押し込んだのだ」とチビエルジュ氏は説明してくれた。

 セミナーの二日目のプログラムに、普通プログラムとは別に、夜場所を変えカクテルパーティーを行うと書いてあったので参加した。それは、サンジェルマン大通りにあるフロイトの師であるシャルコーが昔住んだことのある「ラテンアメリカの館」というまるで博物館のように豪華な建物の中庭で行われた。「これおいしいから食べてみなさい」話しかけてきた老婦人が教えてくれた普通に見えたそのマカロンを口に入れると、少し甘みも加えてあるフォアグラが口の中一杯に広がった。不思議な信じられない味だった。

 改めて参加者を見回してみると殆どが中年、熟年、高齢者で若い人は殆どいない。セミナーの時は徐々に参加者が増え、最終的には300人くらいはいたのだが、各発表の後には司会者の注釈があり、会場に問いかけると必ず質問か、コメントを述べる人がいる。みな相手を論破するというのではなく、相手の説を受け質問というより、それに共鳴して自説を述べるという風で、みなとても幸せそうだ。

 分かったのは、結局やはりラカンは分からないということだ。たとえば、有名な様相論理記号とラカン特有の矢印を用いた男女の「性別化」の表にしても、「みな思うように、なぜ女性の側に「主体S/(Sに斜めの線を重ねてください)」がないのか分からない」とある人が言ってくれたことで、別な意味で安心した。みなそう思うのだ。だから斎藤環氏のように「ラカンによれば、人間にとって欲望の対象は常に女性になるので、男性を欲望する女性は同性愛者となる」(『関係の化学としての文学』にあった文です。手元になくて正確な引用文ではありませんが趣旨は同じです)と言う人まで出てくる。この見方をパーティーにいたB.ヴェンデルメルシュに提示したら、それは間違っているとは言ったが、ではどう解釈すべきかについては教えてくれなかった。

 ラカンの理論は理解し難い内容に満ちているが、その謎にみな共鳴して何か語らずにおれない。 思った。ラカンよ、あなたはひょっとして絶対に解けない謎をばらまいたペテン師かもしれない。でもあなたの残した謎は毎年こんなにも多くの人をその謎で結びつけ、幸せにしている。ちょうど口の中に入れたあのマカロンの味のように。(番場 寛)

「あなたに会いたいのですが・・・」

Posted 2009年09月06日 by bhiroshi
Categories: フランス, 雑感

    出発の前日ここで書いたが、わざわざ飛行機に乗っていくのが億劫だったし、健康上の不安もあった。でも本当に行ってよかった。短期間にあまりにも多くのことを経験して頭の中がまだ整理できてない。

  4日間はラカンの1970年から72年にかけての講義録を対象にした「国際ラカン協会」の夏のセミナーに参加し、その後4日間に、美術館(オルセー、ポンピドゥーセンター)に行き、ペールラシェーズ墓地を訪れ、買い物をした。その間、土日を除き、パリに行くたびに受けている精神分析家の寝椅子に横になり、分析を受けた。それから劇と映画も一本ずつ見ることができた。

  その合間をぬって5人の友人と会ってきた。直前まで行けるかどうか分からなかったので直前にメールやファックスをしたのだが、ありがたいことにみな会ってくれた。服飾デザイナーのEさんはフランス人の夫に子供を預けて会ってくれたし、バカンスに行っていて連絡のとれなかったC氏はホテルに直接連絡をくれ会いに来てくれた。またセミナーで再会した分析家のT氏はよかったら後日会おうといってくれたので、二日後に会った。みなこちら以上に忙しい中を何とか調整して会ってくれた。どうしても時間のとれない大使館につとめるW氏とは、入口で久しぶりに厳重なチェックを受け、彼のオフィスで30分だがお話できた。

  こちらが会いたいと思って会えるのは、なぜパリだと可能なのだろう。それはわざわざ遠くから来たのだからと相手が思うのだろうか? それよりもたとえばこの京都で「あなたに会いたい」と言葉に出す機会が果たしてどのくらいあるのだろうと自問してみると殆どないことに気づく。

  人が人に会うためには理由がいる。仕事なり情報の交換なり明確な目的があるか、もしくは友情なり恋愛感情なり性的欲望なりを相手に感じているかを相手に伝えないと会えない。それがそこでは、ただ気持ちをそのまま伝えるだけで会えるのだ。

    「あなたに会いたいのですが・・・」こう言うためだけでもパリに行った価値はあった。     (番場 寛)

末期の眼

Posted 2009年08月24日 by bhiroshi
Categories: フランス, 雑感

    明日から10日間の予定でパリに行くのに憂鬱というか、億劫だ。いや正直に言えば不安でならない。言葉も通じて泊まったり、行動したりする界隈も一年間住んでいた所であり、コインランドリーの位置も分かるくらいの所なのに、なぜかとても不安で楽しい気にはなれない。

 思えばここ何年か、外国への旅行を億劫に感じている自分に気づく。今回はそういった状況に加えて6月に受けた人間ドックで、ある項目がひっかかって検査しても分からないという状態が続いていることも不安を増している原因である。

 それでも今行かなかったら、やがてもっと億劫になるだろう。今回の一番の目的は「国際ラカン協会」の夏のセミナーに参加するためだ。1971年から73年にかけての後期ラカンの重要なテーマ、「性関係はない」という言い方で有名な、論理式をもじった性別化の式(男女の関係がいかになりたたないかを示したもの)を講じた「アンコール(再び、もっと」「ウ・ピール(あるいはもっと悪く)」「精神分析家の知」という講義録を発表者が注解し、それについて議論するというものだ。

 このブログでセドリック・クラピッシュの映画「Paris」について書いたのは2月5日だった。心臓の手術を受けなければ亡くなるが、手術の成功の確率も非常に少ないと告げられた主人公の目を通して映し出されるパリの風景を、末期の眼を通した映像だと思った。今回はそんな気持ちが分かる気がする。

 昼間から路上に腰を下ろし物乞いをする浮浪者、冷え切ったすがすがしい空気の中を地下鉄の駅へと急ぐ人たち、そうかと思えば朝からビールのグラスを前にしてカフェでぼんやりとくつろぐ人たち、今度は彼らはどのようにぼくの目に映るのだろうか?

 今日旅行の準備の品を揃えるため京都の街を歩き回った。いつの間にか空気が冷えており、ふとパリを思わせる。こんなに京都は美しかったろうかと思った。この風景でさえ、見ることができるのは限りあるのだということを誰も忘れている。(番場 寛)

 

シャネルと本谷有希子

Posted 2009年08月23日 by bhiroshi
Categories: フランス, 映画, 身体表現

     先に見た友人が、自分にとってはつまらなかったと言っていたが、授業でモードも扱っているのでクリチャン・デュゲイ監督「ココ・シャネル」を見てきた。映画はココ・シャネルについての新しい見方、視点を提示するものではなく、すでに知られている数多くのエピソードから父親に孤児院に置き去り同然に預けられてから愛に飢えていたシャネルが経験した二つの恋愛に焦点を絞り、展開していく。

  一度目のカムバックのショーの大失敗で、二度目のショーを禁じられたのを振り切り奇跡的な大成功を収める流れを現在と設定し、随所に回想する過去が流れるという作りがされており、オーソドックスな映画だと思った。本物のシャネルの作品を何点も見られた以外は何かを発見したという映画ではなかった。  

  映画館は年配の女性で溢れていたが、映画が始まると私語は消え、部屋全体が感動しているのが伝わってきた。これはありふれたサクセスストーリーなのになぜこれほど人を惹きつけるのだろうか?

  2度目のショーを阻止しようとするビジネス相手の助言を「私はシャネルよ」とはねつけ果敢にショーを成功させてしまう姿は傲慢なのに見ていて気持ちいい。

  映画を見た翌日大阪で本谷有希子作・演出の「来来来来来」(ライ…と読む)を見た。小説は何作読んだし、彼女の作品原作の映画(「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」)も見たが、演劇だけを見てなかった。

  ストーリー自体はとても分かりやすい。ある家庭の長男と結婚した女性が、長男の失踪後まるで人質のようにこきつかわれるという設定である。なぜ逃げないのかという問いかけにも「逃げるのではなく、乗り越えたい」と答え、イジメにも似た扱いにも耐える。

  劇場は満員で、今話題の本谷とはいえ、改めて彼女の魅力とは何かと考えた。何よりもデビュー当時世間を驚かせたのは「劇団本谷有紀子」という名で旗揚げしたことだ。強烈な自己顕示欲は「わたしはシャネルよ」と言い、自己ブランドのマークにココの頭文字を使ったシャネルと同じだ。

  過剰に感情をむき出しにした登場人物の本谷の演出に注意し、台詞に耳を傾けていると多くの人を惹きつける秘密の一部が分かるような気がしてくる。

  確かに舞台で演じられる行為は常軌を逸しているが、それらはわたしたちが日常誰でもが感じているが、敢えて言葉にしなかったり、行動に表さなかったりすることだ。本谷は普通の人の感情を分析し、それをまるで電子顕微鏡で拡大するかのように見せてくれる。

  たとえば、あれほどいじめられていた姑(昔、劇団「青い鳥」で活躍していた木野花さんが演じていて嬉しい)が認知症になったとき、頭を撫でられたことで自分をよくやったと初めて認められたと思い、彼女を連れてそこから脱出する決心をするところは、誰でもが持っている自分を認めてもらいたいという感情とは、それほど強いのかと感動させる。(小劇場の先輩、木野に頭をなでてもらうという演出は無意識的なものなのか?)

  唯一主人公の味方の女子高生が言う。「努力してないと生きている実感がないなんて言わないでよ(…)わたし蓉子ちゃんのことが好きなのか嫌いなのか分からなくなった。好きと嫌いは似ている」(覚えているまま)

  彼女の人気の秘密はだれでもが感じるがそれを認めたくない、強く惹かれる他者への愛と憎しみの感情が強く絡み合っている様をむき出しに見せてくれるからだ。 それは誰でもが美しいと感じるが、自分では気づかない「色」「形」「手触り」を「わたしはシャネルよ」と言って、組み合わせて見せてくれるシャネルと共通している。

  終演後、俳優たちと一緒に舞台に立った本谷は細く、どこからこんな過激な世界を生みだすのかと思わせるような美少女(?)だった。(番場 寛)

まだ見ていない映画、是枝裕和監督「空気人形」についての映画評

Posted 2009年08月19日 by bhiroshi
Categories: 映画

  最近困るのは、見たい映画の前に流される別の映画の予告篇である。本篇を見ていないのにかなりの部分が分かったような気がしてしまう。「空気人形」はまだ見ていないが、予告篇を一回見てしまった。そしてすっかり惹きつけられイメージが膨らんで抑えることができない。

 画面にペ・ドゥナがメイドの服装ですっくと立ち、「わたしは心を持たない空気人形」と言う。それから別の場面に変わり「それなのに恋を知ってしまったのです」と言い、その人形を性の道具として愛玩していたと思われる男が「帰ってくれ」と叫ぶ(実際の台詞は映画館で確認してください)。

  これを見て「ラースと、その彼女」という映画を思い出した。まじめな好青年で彼に関心を寄せる女性もいるのに彼自身は女性に興味を抱かず、兄夫婦が心配していた。そんなラースが突然彼らの前に「彼女だ」と連れてきたのは通販で取り寄せたダッチワイフだった。

  兄夫婦は当惑しながらも弟の気持ちを尊重し受け入れていく。次第にその輪は広がりラースの周りの人たちもその幻想を受け入れていく。人形は無表情なのにラースによって服をさまざまに着せかえられ話しかけられることにより生きている娘のようにラースと周りの人たちの生活を豊かにしていく。それを見ているとまるでラース自身が周りの人たちの愛情を具現している人形のようにも見えてくる。

  「人形」が主題の作品を見るたびに思い出す別の映画がある。もう20年近く前にフランスで見たもので確かタイトルは「I love you」だったと思う。若い男が偶然、舞踏会のマスクのような顔だけのキーホルダーを拾う。持ち帰り、ボタンを操作すると、I love youと言う。不思議なことに他の人が操作しても黙ったままで、彼にだけそう言うのだ。彼はすっかり気に入りそのキーホルダーを愛でる。

 ところがある日、彼以外にキーホルダーにI love youと言わせることのできる男がいることを彼は発見してしまう。彼は狂ったように怒り、そのキーホルダーを叩き潰してしまう。

  そう、能面が見る人の気持ちで表情を変えるように、すべては見る者の想像力の産物なのだ。これらの作品を見ていて怖くなるのは、人形ではない生身の人間に対しても恋や愛情を捧げるとき、人はこれと同じことをしているのではないかとさえ思えてくるからだ。

  「ラカンが言うように『性関係はない』のです。だからこそ文学作品が書かれるのです」パリ第8大学のマリ=エレーヌ・ブルス先生の言った言葉が思い出される。

  もし人形が心を持ち、主人の思いを無視して別の人に恋をしてしまったなら… 秋葉原で「お帰りなさいませ」と笑顔を振りまくメイド喫茶の少女たちとは違い、予告篇で見た、無表情であるがゆえに見る者の愛をかき立てるメイドの服装をしたペ・ドゥナが美しい。9月の公開が待ち遠しい。(番場 寛)

老人は何に対して戦うのか?-「人生に乾杯」(京都シネマにて)を見て-

Posted 2009年08月18日 by bhiroshi
Categories: 映画

  時間が立つにつれて、何本か見た映画の印象が頭の中で混ざり合い記憶は曖昧になってくる。それとは反対にまるで映画の骨組のようなものの共通性が見えて来ることもある。

 たとえば「エヴァンゲリオン劇場版 碇」に続いて見た、同じくアニメの「劇場版交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」は、地球を守るために戦うよう運命づけられた少年がロボットに乗り敵と戦うという主要な粗筋だけでなく、その敵が形の定まってない何か得体のしれないものだという点(後者の敵は「イマージュ」(フランス語で、「イメージ」の意)でも、既視感がある。

 二つの作品は、キャラクターや父親の存在という差異に覆われているが、戦いにおいて限界までに力を出し尽くした主人公にさらなる奇跡のような戦闘能力を発揮させるのが、「人類」という抽象的なものではなく、「綾波レイ」や「エウレカ」といった主人公が心から愛する少女であるという類似点を露呈する。実際レイとエウレカは髪型や体型だけでなく、主人公に対する自分の気持ちを抑える性格までもが似通っている。人は具体的な愛する誰かのためだったら戦えるのだ。

 そんな二つのアニメに比べて「人生に乾杯」というハンガリー映画はまったく共通点がないように思われるだろう。なにしろ80歳と70歳(?)の足元もおぼつかない老夫婦というアンチヒーローが闘う映画なのだから。

 年金生活だけでは生活できず、公的・私的料金の支払いが滞り、ついに差し押さえが入り、老婆が唯一大事にしていた首飾りを借金の片に持っていかれる。それは夫が唯一楽しみとしていた本を持っていかれそうになった老婆が身を切るような思いで差し出したものだった。

 老人はついに立ち上がり、大事にしまっていた銃を取り出し、愛車に乗り銀行強盗を実行し成功してしまう。それからは歯止めが利かず、二人でさらに過激な強盗を重ねていく。

 その犯罪がテレビ中継されると同じように低い地位と経済状態に置かれた世の中の老人たちの喝采を浴びるのである。しかし彼らは何のために戦うのだろう。一見単純に金のために見えるが、やがてそうではないということが分かる(映画見てください)。

「あなたはいつも私を守ってくれた」皺くちゃの頬を老婆が夫に寄せるシーンを見たとき。これは愛する少女を守ろうとする碇シンジであり、レントンの物語なのだと思った。

 しかし老人が乗るのは最新ロボットではなく1958年製の旧共産党公用車であり、手にするのは電子ビーム銃ではなく操作も危ういトカレフなのだ。それでも、人は愛するたった一人のために戦うときだけ主人公になれる。

  ところで、ぼくは誰のために何と戦えばいいのだろう。主人公になれるのだろうか? (番場 寛)

ジャック・ラカンのディスクールdiscours(語らい)理論はどの程度有効なのだろうか?

Posted 2009年08月08日 by bhiroshi
Categories: フランス, 雑感

  7月20日に京大の「あがるまの会2009」(代表 新宮一成、尾崎純子)という、精神療法を実践している精神科医や臨床心理士の臨床報告とそれに対する検討がなされる研究会に参加した。

  そこでパリ第8大学の精神分析学部での留学を終え、「NPO法人ICCC」で職員として働いている池田真典氏の「障害福祉サービスに精神分析は活用できるか?-フランスのラボルド・クリニックを参考にして-」という発表を聞いた。 それは留学時にフランスのラボルド・クリニックに一週間滞在して学んだことを帰国後自らが働く、精神に障害を持つ人の世話をする作業所で応用して実践した報告と考察の発表であった。

 ラボルド・クリニックはラカン派の精神科医であるジャン・ウリが開いた精神病院で治療者と被治療者の垣根を払い、開放型の入院病棟を持つ病院として有名である。

 驚いたのは池田氏によれば、そのラボルトの病院で治療がうまくいかなくなった時、ジャン・ウリがラカンのディスクール(語らい)理論を持ち出し、これはこのままでは使えないと断った上で、Grille(「一覧表」という意味)という方法を提示し、それに従って全員が行動するようになってから病院全体がうまく機能するようになったということである。それは病院の専門職と雑用係の垣根を取り払いお互いに仕事そのものと意見の交流を目指すもので、各自がそのときそのときにおいて、病院全体にとって各自の最良の能力を発揮できる仕組みだった。

 さらに驚かされたのは、池田氏は帰国してからそのラボルドで学んだことを自ら働く精神障害者のための福祉サービス施設の現場に活かそうとして実践したことである。 残念ながらその詳細は省くが、池田氏は具体的な方法としてその施設でのみ通じる地域通貨をまねた労働の評価方法としてのスタンプの導入を発案して実践し、それなりに成果を収めつつあるという報告であった。

 ラカン理論は神経症や精神病の治療を目的として提示された筈なのに、論理式やさまざまな数学の概念や記号を使用した、いたずらに難解な理論と受け止められる傾向がある。

 そんなラカンの提示した四つのディスクール(語らい)の理論は一挙に社会全体に視野を広げることとなった。ラカンはディスクールを「社会紐帯」つまり人と人とを結びつけるしくみと捉え、「主のディスクール」「ヒステリー者のディスクール」「分析のディスクール」「大学のディスクール」の四つのディスクールを提示した。

 各ディスク―ルは同じ四つの要素(主のシニフィアン、知、剰余享楽、主体)とそれらが置かれる四つの場(動因、他者、生産物、真理)からなる。動かない四つの場をその四つの要素が同じ順序で回転しながら場を移動していくことで上に挙げた四つのディスクールが生じる。

 スラヴォイ・ジジェクとそれに続く多くの人のように、多くの者が、映画や政治などの分析にこのディスクール理論に当てはめて論じてきた。 しかしジャン・ウリや彼に学んだ池田氏のように実際に精神障害者の人々への援助支援をこのディスク―ル理論をもとに考えることの困難さは容易に想像できるし、その例は一部を除き他に知らない。

 人は言葉で人と繋がりそれが集団をなす。ぼくが、パリ第8大学精神分析学部の客員研究員だったときに知り合った年配の看護師の女性になぜラカン理論を学ぶのかと尋ねたことがある。「私の病院では医師は精神分析を学ばない。それで私たち看護師が学ばなくてはなりません。それは患者さんに接するのに必要だからです」。正確に覚えている訳ではないが、彼女はそんなことを言った。

 難解なラカン理論は永遠に解けない謎のように魅力的だが、自分の取り組んでいるその謎が現実にも有効なヒントを秘めていることを願わずにおれない。           (番場 寛)

なぜ突然泣いてしまったのだろう? -桐野夏生「IN」を読んで-

Posted 2009年08月02日 by bhiroshi
Categories: 小説

 この小説はすでに指摘されているが、明らかに小説家本人の不倫をきっかけとして妻が精神的に異常を来した家庭の地獄を小説にした島尾敏雄の『死の棘』を下敷きにしている。しかしこの桐野の小説は、その『死の棘』にも似た、架空の小説『無垢人』と、その小説の一人の登場人物を主人公にした『淫』という小説を書こうとしている作家タマキ自身の私生活を書き込んだ、いわばメタ小説的な側面と私小説を模倣した側面とを持つ小説である。

 人はなぜ小説を読むのだろう? 書かれていることは虚構だと知っていて、それでいてその虚構を通して現実というか真実が描かれていることを期待する。そのとき読者は時として、主人公は作者の意識をどの程度反映しているのかとか、ある登場人物は誰をモデルにしているのだろうかという推察の誘惑に駆られてしまう。

 7月8日に芥川賞受賞作家の津村記久子さんが本学に来てトークショーをしたときに、ある人を小説に書くとき、どんなにそれを実際の人物とは変えていても、書いたことでその人を傷つける可能性があるのだが、津村さんにはそれへの恐れはないのかと質問した。彼女は、それには十分注意しており、そのために、書いたものが客観的に描かれているかは常に注意していると答えた。

 しかしぼくの聞きたかったのは正確にはそういうことではなかった。作家の車谷長吉が、書くことは必ず人を傷つけるのであり、自分は罪びとだといった内容の告白を書いていたが、単にモデルに似ていて書いたことでその人を傷つけるということだけではなく、現実の人間についてたとえ虚構であれ、その人を念頭において書くことだけでその人を傷つけることにならないだろうかという疑問である。

 桐野のこの小説は彼女の他の小説とは違ってそこに書かれていることはまるで私小説のようにありうることなのではないかと思わせるに十分な書き方をしている。タマキの関心は『無垢人』に書かれている作者と思われる主人公の不倫の相手である「○子」のモデルが実在の誰なのか、という探究へと収束していく。 次第に『無垢人』という小説がその読者だけでなく、そのモデルにされたと思われる現実の人物たちの生活へも影響を及ぼしていく様が描かれている。

 タマキは「小説とは皆の無意識を拾い集めて、物語という時間軸とリアリティを与え、さらに無意識を再編することだと気付く」

 この桐野の小説『IN』を読んでいて突然声を上げて泣いた部分がある。自分でも驚いた。それは恋愛が終わってもなお忘れられず続いているタマキの不倫の恋人阿部青司が入院し、死を待つばかりの状態にいるときに、仕事場にいるタマキに起こる。 インターホンを押してタマキの前に現れ、タマキの書いた小説のゲラ刷りに目を通す編集者の青司は幻か幽霊だ。少し長いがそのまま写させてもらう。 

「『あなたはどうしてここに来たの』タマキが言うと、青司は答えずに笑った。タマキが出した緑茶を飲み干す青司。きっとこれが最後なのだ、とタマキは思った。(中略)青司はもうじき死ぬのだ。そう思ってから、タマキは気付いた。この幻も「淫」という小説が連れてきた不思議なものなのだった。共時性、偶然、運命。青司とタマキが必死に命を懸けてやってきた小説という仕事が、最後に、青司の幻をタマキの眼前に連れてきてくれたのだった。これ以上のものはなかった。」 

 ここには現実までも変容させてしまう小説という虚構の力が描かれている。それは「作者」と、「読者」である「モデルとなった実在の人物」、「編集者」との、性愛以上に激しくエロチックな関係である。改めて自分に問う。小説とはいったい何なのだろう?(番場 寛)   

見るべき映画、想田和弘監督「精神」(京都シネマにて)

Posted 2009年07月29日 by bhiroshi
Categories: 映画

  映画に関しては、人に、これは見るべきだという薦め方はしたことがない。それでもこの映画に対しては、「これは見るべきだ」とあなたに言いたい。なぜか? それはこれがこの映画に出てくるような精神の病を持つ患者さんへの偏見を捨てることに役立つだけでなく、これを見るわたしたち自身の生をより豊かにしてくれると思うからだ。

 これは岡山市にある外来の精神科診療所「こらーる岡山」で診察を受ける患者さんとそれを支える山本昌知医師とスタッフの日常を映したドキュメンタリー映画である。 すでに知らされていても、映画に出てくる患者さんにモザイクがかかっていないことにはやはり驚かされる。映画上映のあとのスピーチで想田監督自身は、モザイクをかけるということは人間を記号に変えてしまうことなので何とか避けたかったと語った。

その狙いは、確かに映画の中の言葉を使えば、精神障害者と健常者と言われる人の間にあり、障害を持つ人自身も自ら感じてしまう、偏見という名の「人と人との間にあるカーテン」に気づきそれをなくすように意識改革をするためと思われるが、それを実現することがどれほど困難なことであるかは推察できる。

 この映画が見る人の心を動かすのは監督が「観察映画」と命名しているように観客自らの目で見て判断できるように撮られているからだ。勿論合計70時間まわしたフイルムから2時間分を切り取って編集したのは監督なので、観客が自ら自分の目で見て判断しているという臨場感を持てるように撮られているといったらより正確であろう。

 前にこのブログで「愛のむきだし」という映画を扱ったが、それに倣って名づければ「生のむきだし」の映画だと言える。患者の語る幻聴や幻覚は健常者には現れないとしても、誰でもが抱く筈の「不安」「孤独」がここでは、むきだしでカメラの前にさらけ出されている。そしてそれは人間である限り誰でもが普遍的に抱いている「裸にされた生」そのものの姿だ。ただ、患者としてその生を脅かされているのは患者の置かれた状況に対応しきれていない社会的、制度的なもの整備が不十分なためと思わずにおれない。その中でも、直面している問題として何回か「自立支援法」が口に出される。

 また想田監督のいう「観察映画」とは可能な限りの観客の自由な思考をうながすことを目指すという説明には賛同しながらも疑問も抱いた。たとえば人物以外の映像で最初と最後に映し出される。蜘蛛の糸に引っ掛かって揺れている一枚の枯れ葉、ほんの少しでも強い風が吹けば落ちてしまいそうで、不安定な患者の心と生の隠喩と見てしまうことを方向づけられていると感じるのはぼくだけではないであろう。自由に動き回る猫と鎖につながれた貧弱な犬の映像もどうしても患者たちと結び付けて見るように映画は作られている。それがショットとショットをつなげて見るように作られている映画の宿命であろう。

 そうだとしたなら映画の最後に映し出される本当に重い現実(実際に映画館で経験してほしい)をどのように受け止めるべきなのだろうか? これはまさに、映画館を出てからも観客の意識の中で続く「観察映画」なのだ。(番場 寛)

ピナ・バウシュの思い出

Posted 2009年07月23日 by bhiroshi
Categories: 身体表現

巷ではマイケル・ジャクソンの訃報が駆け巡っていたが、コンテンポラリー・ダンスのダンサーであり、世界最高の振付師の一人であったピナ・バウシュの死の反響はこの国においては、その偉業に比べてあまりにも静かなものだった。

 このブログを読んでいるという知り合いからピナ・バウシュの思い出を書いてほしいと言われたのだが、なかなか書けない。そしてようやく分かったのは、強烈な感動を与えるのにそれについて書こうとすると逃れ去ってしまうものそれが彼女のダンスなのだと。そして記憶がおぼろげなのは、演劇のような明確なストーリーもそれに基づいた台詞もなく、あるのは言語化するのが困難な、極限にまで練り上げられた時間と空間と身体とのせめぎ合いがあるばかりだからだと。

 それでも、はっきりと思いだすのは2003年にパリで見た「ネフェス(呼気)」だった。パリ市立劇場の年間プログラムのひとつとして見られるのだが、チケット発売日にはすでにその劇場の年間契約者である会員に買い占められてしまうため一般人は買えない。

それで、「チケットを売ってください」と紙に書いて胸に掲げて立ったのだ。地下鉄の出口付近からすでに立っている女の子が目立ち、劇場の入口付近には多くの人が同じようにして立っていた。すでに完全にあきらめかけたとき、入口で劇場の職員にもう完全にチケットはないのかと聞いている人がいた。すると職員はだめだとは思うが、もしキャンセルが出た場合は入れるかもしれないのでここで待つように言った。奇跡的に入れた。

初めに覚えているのは、男が一人で机に不安定な形で横たわっており、その傍らにもう一人の男がいる場面である。横たわっている男が落ちると観客が思った瞬間、想像できなかった動きでその傍らの男が支える。

 個人の身体の動きはそれぞれ見事だが、中でも肌の色の濃い少女に見えてしまう小柄の女性の動きが見事だった。他の女性もそうなのだが、ピナ・バウシュの劇団の女性たちは全て髪を長くしており、上半身の動きで起こる遠心力や振動を増幅させ身体のフォルムとして衣装以上に雄弁に機能していた。

 ピナ・バウシュの振り付けは個人対個人のときのそれが記憶に残っている。たとえば女性が二人向き合い、一人が相手の服を脱がすとそれが同時に脱がした相手に服が移って着られているといった動き。「ネフェス」での、女性の顔にマッチョな男の体を一人の人間のように重ねた動き。また、舞台のかなり離れた位置にうつぶせになり、視線を合わせた二人のうちの一方の動きが、他方に連動した動きを生み出すのを見るとき、観客は不思議な感覚に襲われる。それはちょうど夢の中で、ある動作がまったく不条理に別の動作へのつながっていくのを見るときの説得のされ方に似ている。夢の中の論理性のような動きの論理性といったものに驚き、感心させられた。

 ソロでの踊り、2人ないしは3人、4人の踊りと集団での踊りとはかなり違った印象を受けた。個人が何らかの欲望なり意志なりで動き、それに反応した別の人が動くが、それが人数が増えるに従って単なる論理と因果関係で動くのではなく、空間のバランスとして動くよう演出されている。それがダンスの振り付けなのだろう。

  そんなピナ・バウシュの振り付けを身をもって体験するという機会を得た。2008年の5月に「京都の暑い夏」というコンテンポラリー・ダンスのワークショップの催しがあったとき、昔ピナ・バウシュの劇団にいたという日本人の女性から彼女が受けたという「春の祭典」の一部の振り付けを他の参加者と一緒に受けた。

まったくの初心者の自分にとって、無謀だということは分かっていたのだが、どうしてもピナ・バウシュがどのように振り付けをしたのかを知りたかった。

結果は散々で、ついていけず途中で脱落して立ち尽くしてしまった。しかしどうにかついていっている他の参加者を見ていると、確かにピナ・バウシュの劇団の踊りに近づいているのだ。改めて振り付けというものが言語と身体によって再現できるということに驚かされた。

思えばピナ・バウシュは、身体と音楽で織りなすダンスに必ず一部台詞を入れた。日本での講演のときはたどたどしいほんの片言の日本語が緊張した舞台の中でどれほど効果的であっただろう。それは他の大部分の言語化されないものがあるからこそ効果的だったのだと思う。

1999年のびわ湖ホールでのことだったと思う。 スクリーンに大きく映しだされた金魚の映像をバックに黒い衣装に身を包み、大きな舞台にたった一人で踊るピナ・バウシュの姿が今も言語化されない記憶としてぼくの心に残り続けている。(番場 寛)

チベットの民話(2)

Posted 2009年07月16日 by yungdrung
Categories: チベット, 授業

チベット専門ゼミの授業成果として、今回はBlo bzang ‘jam dpal & Tshe ring sgrol ma (eds.), A khu ston pa. Grong khyer lha sa’i phyogs sgrig khag gsum rtsom sgrig pu’u, Grong khyer lha sa’i mang tshogs sgyu rtsal khang, 2001. 所収の笑い話を紹介します。欲深い先生を弟子が智慧でぎゃふんといわせるお話です。

先生のモモ

 

 昔、一人の先生に三人の弟子がいました。

その先生は、いつも自分が満腹になるだけの肉入りモモを七つしか作りませんでした。そのように度々作っていましたが、三人の弟子に全く与えたことがなかったので、モモを造るあるときに、一人の弟子が「今日のこのモモを先生に一つも召し上がる事がないようにして、私が奪う」と話すと、すぐに他の弟子二人が「あのケチな先生の手から奪うことができるのなら、私たち二人の家から肉やバターやお菓子、あるもの全てをあなたに渡そう」と言い、彼ら三人は賭けをしました。

 

 その日、先生の御前にお食事であるモモが捧げられると同時に、弟子が先生の御前に行き、頭をかいて舌を伸ばし、何か申し上げるようなことがあるような素振りを見せたので「何を言いたいのだ?」と先生がおっしゃると、弟子の彼は「昨日、私たちの国に豪雨が降ったために洪水で建物の壁が崩れたのですが、その下から金銀と銀貨が大きな鍋一杯ほど出てきました」と申し上げました。

 

 先生は「それで?」と言いながら、彼にモモを一つ与えました。彼はそのモモを食べ終わってから「父が『これを全部先生に差し上げたらどうか』とおっしゃいました」と話した時、先生がモモをまた一つ彼に与えてから尋ねると、弟子の彼は「母が『それでは、半分ほど先生に差し上げれば良いでしょう。先生には大きな恩があるけれど、家に少し置いておいて子供の将来のために使いましょう』と言いました」と申し上げた時、先生はまたモモを一つ彼に与えました。「その後、兄と姉は『全て母の言うとおりにしましょう』と言いました」と申し上げたので、モモを彼に全て与えました。その先生はお金がとても好きなので、弟子の彼にさらに話せとおっしゃいました。弟子の彼はモモを全て食べ終わった後、「そして、今朝の夜明けに私は目覚めました」と申し上げました。その日、先生はモモを一つも食べることはありませんでした。

澤井志保美訳)

「モモ」というのは、チベット風の餃子のことです。「頭をかいて舌を伸ばし」というのは、高貴な人に対する礼法です。

(三宅伸一郎)