岩下徹ダンスワークショップ(「少しずつ自由になるために~自己とむきあう、他者とかかわる」)に参加して

岩下徹さんは、山海塾のメンバーであるが、同時にソロ活動として即興ダンスを踊り、その活動の一つとして精神科病棟でダンスセラピーを試行しておられる。ぼくは、ずいぶん前から(1980年代から)パリや日本で何回か、舞踏と呼ばれる山海塾のダンスを見ており、そのメンバーの一人に踊りを教えてもらえるなんて、という簡単な動機だったが、実際に参加して驚いた。

ワークショップの参加者はまず床に寝そべり、アメーバのような動きから始める。次第に動きを大きくしたり小さくしたり、止まったりを繰り返すうちに、今度は高低の動きが加わる。立ち上がり、自分の体の動かしたいように動くよう指示される。倒れる動きも加わり、動きの可能性が徐々に広げられていく。不思議なのは岩下さんの非常に単純な指示が繰り返されるだけで、あとはまったく個人が自由に踊ることだ。他の人の踊っている姿も目に入るので最初は恥ずかしいのだが、それも気にならなくなる。外から入ってきた人が見たらその異様な光景にたじろぐかもしれない。

 最初は過去に見たいろいろなダンサーの動きを思い出し、しかもそれには似ないように意識的に踊っているのだが、ふと気づくと跳ねたり、強く回転したり、自分でも予期できない動きをしている。また、それぞれの参加者の動きはまぎれもなくその人の踊りになっていることだ。

 

踊りの前と終わった後のトークで岩下さんの説明を聞いて疑問に思ったのは、ダンスにおける「振り付け」と「即興」の違いについてであった。「即興」は一瞬一瞬に自分で自分を振り付けるようなものでしょうかと質問するぼくに、岩下さんは同意されない。あくまで自己の内面から自然に出てくる力で踊るというような意味のことを言われた。山海塾の踊りでは即興はいっさい認められないということも聞いた。「振り付け」と「即興」に関する問題は、結局人間にとって「自由」とは何かという問題に行き着く。「即興」には帰着点や目的などはなく、「過程」だけがあるのだという岩下さんに対し、「目的」や「帰着点」があってこそ「過程」が価値を帯びるのではないかと主張したが自分でも分からなくなった。

 耳で聞いただけなので正確かどうかは自信がないが、そのとき岩下さんが引用した鈴木大拙の言葉は「自由とは自ら不自由を引き受けることである」であった。岩下さんは山海塾での振り付けをいう拘束に従いながら踊るときの経験、また「即興ダンス」というこれはまた独特な拘束の経験を踏まえて言ったのだ。鈴木大拙の言葉を確認したくてネットで探したが、そっくりの言葉は見当たらないと思っていたら、本学の井上尚美先生がそれに近い言葉を見つけてくれた。

「人間には自分の自由と不自由を自覚し煩悩する自由がある。」岩波 『鈴木大拙全集』20巻 p.234 というものでした。

長くなってしまったので明日以降のブログに続きます。

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