岩下徹ダンスワークショップに参加して考えたこと-その2-

ダンスにおける「自由」とは

 3日目のレッスンは踊るときに身体の一部を拘束して踊ると言うもので、最初は皆両手をポケットにいれたまま踊り、その後各自が自分で考えた拘束を自らに課して踊った。最初は膝を曲げることを禁じる者、目をつむったまま踊る者、腕を固定して踊る者、さまざまでぼくは両腕を固定して踊ったが、不思議なことに拘束があると確かに不自由ではあるが、逆に動きが制限される分踊りやすいという気がするのだ。

 踊りの後にミーティングで聞いた話はとても興味深かった。大野一雄のダンスのすごさが話に出た。高齢にともない体が徐々に不自由になっていくのだが、その動く部分で踊るダンスがすごいというのだ。確かな情報ではないが、今はひょっとして寝たきりになっておられるかもしれない。それでも彼はたとえ手が動けばその手だけで踊りその手の動きがすごいのだという。

 その話を聞いたとき一回だけ見た大野一雄の踊りを思い出した。それは阪神淡路大震災の傷跡もまだ残っている伊丹でだった。彼はなんと身体障害者のメンバーだけで結成された劇団「態変」と踊るのだ。「態変」のメンバーは全身をレオタードで覆って踊る姿にまず度肝を抜かれた。日頃どちらかというと見つめてはいけないと思ってしまう人たちが舞台の上で全身をさらしているのだ。動かすことのできる部分が非常に限られ、殆ど横たわるだけに近い人も交じる中で、生存している舞踏家の中では最高峰とも評される大野一雄はどのように踊るのか、緊張と痛々しさの混じった感情で舞台を見つめた。大野一雄と「態変」のメンバーの踊りというか動きは全くの違和感のないのが驚きであった。帰るときに見た駅の名前はぼくには「痛み駅」に見えたことを思い出した。

 全部のレッスンを終えて着替えてからのミーティングで初めて何人かの参加者の自己紹介がなされた。整形外科医、看護師、ヘルパー、働きながら建築を学んでいる学生、芸術系の高校生などさまざまだが、分かったのは皆岩下さんのこのワークショップに切実な思いを抱いて参加していたことだ。他者との関わり合いを身体レベルで再構築したいと思っているように思った。

 踊っているときに決して目を閉じないようにと、岩下さんは何度も注意した。目を閉じると自己に閉じこもってしまい、他との関係が築けなくなり、それはオームの行っていた修行にも通じてしまうからだそうだ。

岩下さんの「即興」に対する考えは、ぼくにとっては考え続けたい問題だ。自分で専門に研究している精神分析に非常に似ていることに気づいた。できるだけ日常的な拘束から離れて自由に動かそうとして出てくる動きは、身体に沈殿して忘れている記憶からできている身体の無意識ではないだろうか。即興ダンスを踊ることは、身体の精神分析を行っているのではないだろうかとも思えてきた。

 

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岩下徹ダンスワークショップに参加して考えたこと-その2-」への1件のフィードバック

  1. yungdrung

    身体・自由・心そして他者の関係。たいへん興味深いテーマです。そもそも、身体に自由というものがあるのでしょうか。たとえば、首の可動域は限られていて、360度回転させようと思っても、思う通りにはなりません。しかし、そうした限られた可動域しかもたない身体のあらゆる部分を総体として使うことによって、思いもよらない動きを生み出すことができる。あるいは、限られていることを利点として動く。その意味において、不自由さを受け入れたところから自由が始まっているのかもしれません。

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