「ミニスカートが好き!」を考える

「ミニスカートが好き!」という言葉はこれを誰が言うかによってまったく違った意味を帯びる。10代、20代の若い女の子だったら、「ミニスカートを穿くのが好き」という意味だろうし、その主語が男性だったら「ミニスカートを穿いた女の子を見るのが好き」ということだろう(女の子と同じ意味で言ったとしたら危ない)。

 少し前の新聞に、新潟県の女子高生の制服のミニスカートが日本で一番短いことが知られ、それに対し高校の教師たちが印刷物や言葉により、もっと長くするようにと指導しているという記事が載っていた。

教師の言い分は、寒さに対する健康上の理由と性犯罪を防ぐためというものらしい。それに対し少女たちは抵抗し、工夫し短いスカートを穿き続けているという。

新聞の記事を読んでから気になって、母親に会うために故郷の新潟県に帰ったとき、思わず探してしまった。いた!ずいぶん暖かくなったとはいえ、まだ雪が残るそこの寒さをものともせず、ホームを闊歩する女子高生のスカートは危ないくらい短い(写真はないので想像してください)。

教師たちの警告や検査をも潜りぬけようと工夫をこらす彼女たちの記事を読んで、イスラム教徒の女性たちが身につけているスカーフを思った。隠さなければいけない顔に化粧を施し、外出するときにも、あえてスカーフを身につけないようにしようとする女性さえ現れ始めたとも聞く(フランスに生きるイスラム教徒の女性たちのフェミニスム運動については、ルーブナ・メイアンヌ著、掘田一陽訳『自由に生きる― フランスを揺るがすムスリムの女たち―』社会評論社を参照のこと)。「見せること」を禁じるのは宗教や文化なのだろうが、それに反発する気持ちはどこから来るのだろう。

「スカートを穿かない女に未来はない」とインタヴューに答えているココ・シャネルは同じインタヴューの中で「ミニスカートのように醜いものを穿く女性の気持ちが分からない」というようなことも言っている。女性の脚を美しく見せるのは膝丈のスカートだと信念を彼女自身は生涯変えなかったが、どうしてだろう。カール・ラガーフェルドがそのシャネルブランドのデザインを引き継ぎ、ミニスカートで成功したのは単なる時代の変化なのだろうか? 

ぼくのゼミのある学生は「化粧の文化」をテーマに卒論の研究を進めている。彼女の説明を聞いていると、「化粧」とは「見せる」という働きと「隠す」という働きの弁証法によって成り立っているのだということが分かってくる。また別の学生は、1960年代にロンドンの若者たちに発生したミニスカートをブランドにしたマリー・クワントというデザイナーが活躍したスウィンギング・ロンドンと呼ばれる時代を中心に研究している。彼女には「スカート丈」を題材にしてマリー・クワントとシャネルの美意識の本質、それを成立させた時代背景に迫ってもらいたいと勝手に願っている。

「見せる」のか「隠す」のか、あるいは「より隠すために見せる」のか、もっと深く考えれば、「隠すべきものの価値を高めるために、見せる」のか? 考えていると止まらない。

今日は32日、だれか「ミニの日」なんて特別な日を作らないだろうか? 

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