「学ぶ」ということから

昨日7日(火曜日)より授業が始まった。毎週火曜日の1限目に国際文化学科1回生必修の「国際文化演習I」が割り当てられているため、国際文化学科の新入生にとって、この授業が、大学で初めて受講する授業となった。担当者である私にとっても、これが本年度最初の授業であった。

チベット語に「ロプ(སློབ་, slob)」という語がある。「教える」という意味で使用されることの多いこの語の意味をあらためて確認するために、チベット語の辞書として権威を持つ『蔵漢大辞典』を引いてみると、次のような記述がみられる。

ロプ 〔他動詞〕 他より学問を「ロプ」すること、あるいは、他に学問を「ロプ」すること。

つまり「ロプ」というこの語は、「学ぶ」「教える」という2つの意味を有しているのである。このことは、「学ぶ」「教える」という一見対照的な行為が一体のものであるという事実に改めて気づかせてくれる。「教える」者がいなければ、「学ぶ」ことはできないし、「教える」ることに対するレスポンスが何らかの気付きを与えてくれること、換言すれば「教える」ことによって「学ぶ」ことは何度でも経験させられる。2つの行為がうまくかみ合い何かを生み出せる一体感を持った「場」を創出すること、それこそが「学び」なのではないか。「ロプ」という語から、そんなことを考え、年度最初の授業で少し提起してみたのであった。[三宅 伸一郎]

 

チベット僧院内での学びの様子を描いた絵画。中央に座す師の前で、弟子たちが手を打ち鳴らしながらながら問答している。

チベット僧院内での学びの様子を描いた絵画。中央に座す師の前で、弟子たちが手を打ち鳴らしながらながら問答している。

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