「コールセンターの恋人」(朝日放送)の最終回

  今回フランスにいるとき日本に帰ってそれを見ることを楽しみにしていた「コールセンターの恋人」という連続ドラマ(現在はYou Tubeで見ることができます)が終わった。

 それはテレビショッピングの客の苦情を処理する目的で設置されたコールセンターが舞台だ。小泉孝太郎演ずる都倉渉は、仕事のミスからそのコールセンターに飛ばされる。くさりながらもそこで成果を上げて本社に戻れることを夢見て働くわけだが、毎回、その回ごとに紹介される新商品を買った客からそのコールセンターに届くクレームに対応するのはその彼だ。

 ただひたすら謝るだけで逆に客を怒らせてしまうこともある彼を、冷静な分析と適切な対応で救うのが、ミムラ演ずる青山響子(アオキョウと呼ばれている)だ。他の登場人物と同様、彼女も極端なまでに個性化された人物として演出されている。いつも黒い服装をしていて横に爆発したようなパーマをかけた髪をしている。なによりも不思議なのは、いつも水道の水を入れた大きな黄色い水筒を持参し、契約社員なのに夜、そのセンターに寝泊まりして24時間、客からかかってくるクレームの電話に対応することだ。

 極端なまでに誇張され類型化された殆どすべての登場人物像は放映を重ねても殆ど変化しない。テレビショッピングで商品を派手に紹介する名取裕子演ずる南極アイスという名は、それを必要としない客にも欲望をかきたて買わせようという、テレビショッピングの本質をおかしいまでに表している。

 最終回でそのアオキョウの全ての謎が明らかになる。幼い頃父親に連れられて旅を続ける時、父親は飲食店に詐欺をしてクレームをつけることで糧を得ていた。いつか父親が電話でクレームを言ってくるのではないかという可能性に期待して彼女はコールセンターで働いていたのでは?という推測がなされる。そんなときある町の福引で当たった3等の景品が黄色い水筒であり、父親はそれに水道の水を入れ彼女の方にかけ、よかったと頭を撫でてくれた思い出の品である(彼女にとってそれは父親のファルスとも言える)。

 感動的なのは、犯罪者の娘であることが皆に知られ、迷惑をかけることを恐れ置手紙を置いて失踪したアオキョウが、やがて父親の死を知らされ、ぼろぼろになったときふと自分が働いていたコールセンターに真夜中に電話するシーンである。電話に出るのはアオキョウに代わってそこに寝泊まりしていた都倉である。この連続ドラマのすべてはこのシーンのためにあると言っても言い過ぎではない。

 都倉がアオキョウをモデルにして書いて出版した『クレームの女王』が成功したことでテレビに出演した都倉は番組中に彼女に戻るよう呼び掛けたことに対し、「苦情です。テレビで人の名を呼ばないでください」と青山は鼻をつまんで電話口で言う。それに対して都倉の言った言葉はそれだけを取り上げたらいかにも説教じみた、いわゆるくさい台詞なのだが、それまで連続してこのドラマを見た人、とくに数回前のシーン、都倉が自分の客への対応のミスで仕事がらみで再会した昔の友人を救うことができず、本社にいる恋人にもふられてしまってぼろぼろになって絶望した彼が、ふと例のコールセンターに真夜中に電話したときにアオキョウが答えた台詞を、今度は職場を去らねばならないまでに追い詰められ、しかも長年探し求めていた父親が死んだことを告げられ、打ちひしがれて電話をかけたアオキョウに、同じ内容を返す。

 これはまるでラカン言っている「主体は自分のメッセージを<他者Autre>から逆向きに受け取る」をそのまま映像化したものにも思える。

   「そこに水筒があるでしょう、その水を飲んでみてください」と言う都倉の指示に従ったアオキョウは「しょっぱいです」と答える。それに対し「ある人が教えてくれたんです。人生はペットボトルの水ではありません。思い通りにならない人生を生き続けてください」と、都倉は自分が前にそのアオキョウから言われた同じ言葉を繰り返す。それに胸を打たれたアオキョウはゆっくりと自分で自分の頭を撫で、泣きじゃくる。つまりかつて自分が電話で都倉を慰めた言葉が今度は、幼い頃頭を撫でてくれた父親と同じくらい自分を慰めたのだ。

   驚かされたのは会話だけではない。アオキョウが真夜中に電話しているとき、公園のジャングルジムか何かの遊具が背景に映し出されるが、その遊具がはっきりと分かるように黄色に塗られているのが強調されている映像である。それはアオキョウの大切にしている水筒の色であるばかりでなく、コールセンターの職員が着ている作業服の色でもあったことに気づかされる。

   つまり都倉が悟ったように、コールセンターに苦情を言う人は、もっとよりよく生きたいという願望をクレームという形で表しているのだとしたなら、その黄色はその苦情という形で求めている電話口にいる人へのコールセンターで答える人の思いやりの隠喩でもあったのだ。

   エンディングは、アオキョウが都倉のおかげで職場に戻ったときにかかってきたシュウマイが一個たりないというクレームに、アオキョウが的確に対応するシーンである。彼女の対応で、結局足りなかったシュウマイは蓋の裏にくっついていたことが分かる。

   なんて粋な終わり方だろう。教えているのだ。つまり、欠けているものは目に見えないが、つねにそこにあるのだと。(番場 寛)

広告

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中