花はどこへ行った

一面レンガで覆われた大学の中庭の真ん中に大きな木がたっている。もう2週間以上も前のことなのに忘れられない。
 
その木の根元だけが土が剥き出しになっておりほとんどそこに注目することはなかった。
ところが、ある日そこの東側に20センチくらいの草が伸びておりそこに青紫の花が一輪咲いていた。
 
春だったら珍しくもないかもしれないが、あちこちの木々が紅葉をしている頃だ、その草のかぼそいの茎と葉の緑とその花は鮮やかな対照をなしていた。それを見たとき、よくぞこんなところに咲いてくれたという思いと同時になにか危うい感じ、痛々しい感じがしたが、そのときはその理由が分からなかった。
 
それが分かったのは授業を終えて再びその場所を通ったときだ。その青紫の花が咲いていたところには跡形もなくなっており、ほとんど乾いた土が残っているばかりだった。
 
だれかが、採り去ったのだ。誰が、何のために? 先ほど感じた痛々しい感じが蘇った。綺麗と思った瞬間それを自分だけのものにしたいと思ったし、それはいけないとも思ったのだ。20センチくらいにまで伸びていたのだ。おそらく花さえ咲かなければ、そこにいまでも摘まれることなく生きていることができたのだろう。
 
それにしても誰がどんな気持ちで摘んだのだろう? 思いを巡らしてみる。ある親しい男女の学生がいる。男子の方は彼女に魅かれているが、その気持ちを伝えてしまったらもう今のように親しい口が利けなくなるかもしれないと恐れている。ある日彼は偶然、木の根元にひっそりと花開いたその青紫の花を見つけると迷うことなくそれを摘み、その魅かれている彼女に、「これ、おれの愛のしるしだぜ」とできるだけおどけた調子で投げつける。

同い年なのに考え方が幼くて、まるで弟のようだと思っていたその男の子の口から、いきなり「愛」という言葉が出てきたことに彼女は驚き、断るのも忘れて受け取ってしまう。 一瞬捨てようかと思うが、あまりに可愛いのでためらう。どうしようかと思ったのち、持っていたペットボトルの水でティッシュを濡らし、その花の茎をつつみそっとカバンにしまう。

もしそうだったならあの花は、今も彼女の机の上の一輪ざしのなかで咲いている筈だが、本当はどうなのだろう? もうゴミとして捨てられてしまったのだろうか?

それ以来、あの木のそばを通るたびに根元を見てしまう。ある日思わず天を仰いで驚いた。この季節にもあおあおとした葉をつけているその木の上の方に真っ赤な花が咲いている。よく目を凝らしてみるとそれは花ではなく、しぼんだ風船がひっかかっているものらしいと分かる。おそらく学園祭かなにかのときに舞い上がって引っかかったままなのだろう。

もういちど根元に視線を落とす。やはりそこにはほんのかすかな小さな草の他には、砂漠のように土が広がっているばかりだ。
ぼくの心の中には、そこにはないあの青紫の花がいまもひっそりと咲いている。(番場 寛) 

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