12月19日のカンゲキツアー(ロメオ・カステルッチ『神曲』他)

このとてつもない忙しい時期にもかかわらず、朝7時42分の新幹線に乗り、東京に行ったのは、雑誌で目にした『神曲』三部作の紹介の記事のせいである。普通、日本に呼ぶことのできる劇やダンスの作品は、その評価がすでに高く、製作者がその力量の頂点に達している場合が殆どであるのに対し、この作者であるロメオ・カステルッチは評価の頂点のへの途上にあるという紹介であった。しかもこの『神曲』は2008年のアヴィニョン演劇祭で圧倒的な評価を受けたという。
 
是が非でも見にいかなくてはと思った。日程を調べると、「天国篇」と「煉獄篇」を同日に見ることができる。あわててネットで予約した。また同日の2時には下北沢の「スズナリ」で、寺山修司の『田園に死す』を天野天街が舞台化したものも当日券があるということで、それも見ることにする。

せっかく東京に行くのだから何か興味のある展覧会も見ようと思い、3本の劇・インスタレーションの前に森美術館(六本木)で「医学と芸術展」を見る。
 
時間を気にしながら一筆書きのように東京を駆け巡って展覧会と3本の劇・インスタレーションを観終えて、頭の中に混在している印象を整理すると、今残っているテーマは「老いと死」である。
 
森美術館で見たもので印象深かったのは、やなぎみわの「The three fates 2008年」である。3人の少女たちのすぐ横に並べられたのは、乳房が垂れ、皺がより、髪は白髪になった3人の老婆である。展示は右に少女たちの写真が置かれていたが、左から右に見れば若返るという解説が見事だった。同じ発想で別の作者により製作されたのは、白い若い女性の顔の彫刻なのだが、空気を抜かれることで一気に老婆に変身するものだ。
 
またきれいな模様のウエディングドレスが目についたがそれは「記念日」という作品であった。近くで見ると貼り付けられていたのは6500個もの「経口避妊薬」であった。解説者も指摘しているが、この「結婚」と「避妊」という表面上の対立をどのように考えるべきだろうか?
 
この展覧会で一番衝撃的だったのは、年齢も性も異なる人物の顔の大きく引き伸ばされた何枚かの写真である。左側は目を開いており、右は眠ったように眼を閉じている。死後すぐに撮られた写真だという。それぞれの死に直面した人の経歴が添えられていたが、不思議なことに生きていたときの写真ではなく、死んだ直後の目を閉じた写真の方がより生々しくまるで生きているように感じられたことだ。その中でも生まれて数年もたっていない少女の顔である。天使も死ぬのだろうかと思わずにおれない写真であった。

前にこのブログで「セイの美しい「醜さ」から目をそらさないで」と書いたが、「生」のリアリティを感じにくい現代にあってそれを感じることのできるのは、「若さ」と「老い」、「誕生」と「死」を暴力的に接近させるときなのであろう。(次回へ続きます) (番場 寛)

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