「本当の恋」はどこにある(200Q年のクリスマス、「ボーイ・ミーツ・ガール」)

このブログを読んだという遠く離れている友人がメールをくれた。よく書けているがあなたは、頭で恋愛をしているだけで、だから実際の恋愛ができないのだという。時々電話で聞かせてもらう彼女の現状からみればそうなるのかなあと思ったが、反論したい気持ちも湧いた。確か「本当の恋は幽霊と同じで、それについて話す人はいるのに、だれもそれを見た人はいない」というようなことを書いたのはラ・ロシュフコーだったと思う。では「本当の恋」はどこにあるのだろうか?
 
先日、国際文化特殊講義という授業で、「気狂いピエロ」を説明した回に続けて、レオス・カラックスが22歳で撮影し、カンヌ映画祭でゴダールの再来と絶賛された「ボーイ・ミーツ・ガール」という映画を見せた。
 
眠っているときすばらしい夢を見て、目覚めたときそれを映画化しようと思うのだけれど、何も覚えていないヒッチコックが、ある日いい考えを思いつく。枕もとにノートを置いておくのだ。そしてある日、すばらしい夢を見たが思い出せないことに気づく。突然ノートを置いていたことを思い出しそれを覗きこむ。そこに書いてあったのはたった一行、「ボーイ・ミーツ・ガール」だったという。
 
カラックスがこの逸話にもとづきこの映画を作ったのだとしたなら、二つの狙いがあったのだろう。つまりありきたりの恋愛映画というストーリーを使いながら、ヒッチコックも作り得なかった「夢のような映画」を作るという野心である。
 
この映画の主人公二人が出会い、再会するという筋は単純なのだが、見終わった学生たちの感想や意見を読むと殆どの学生が戸惑っていた。「気狂いピエロ」のマリアンヌ(アンナ・カリーナ)の裏切りの心理も良く分かると書いてぼくを驚かせた女子学生も、この映画の人物の心理は分からないと書いていた。

 恋人フロランスを親友に奪われた男の子、アレックス(ドゥニ・ラヴァン)が偶然通りがかった建物の前でインターフォン越しに恋愛の終わりを告げる男と部屋に残された若い女、ミレーユ(ミレイユ・ペリエ)の会話を聞く。そして男が落としたパーティーの案内状を拾ったアレックスがパーティー会場でミレーユと初めて出会い、不思議な会話を交わす。
 
おそらく学生たちを一番戸惑わせるのはミレーユに魅かれているらしいアレックスが、フロランスとの思い出を延々と目の前にいるミレーユに語るシーンであろう。驚かされるのはそのフロランスもアレックスに昔の恋人とのことを語ったという。そしてすでに心の離れてしまった恋人を忘れられないミレーユはハサミで自殺をしてしまい、それを助けようとしたアレックスも一緒にそのハサミで傷つき崩れ落ちる。
 
ストーリーを説明するためではなく、まるで「語ること」がそのまま恋なのだ、言い換えれば、本当の恋は語りのうちにしか存在しないというかのようにアレックスは語る。
 
もう大学は休みに入っているのだが卒論の指導で大学に行った。つい好奇心に駆られてクリスマスはどうでしたか?などと尋ねてしまった。意外な答えだった。それはここでは書かないが、ぼくを含めたおそらく大部分の寂しいクリスマスをおくった人と似た過ごし方であった。勿論大切な人と楽しく過ごした人もいたことであろう。しかし多くの人はどこかで聞かされるクリスマスの物語にみな苦しめられているのではないか? 「本当のクリスマス」は語らいの中にしかないのだとしたなら、語りであなた自身の「本当のクリスマス」を語れるはずだ。
 
おそらく「実際の恋」を生きている友人も、どんなにそれに満足しているとしても、それを語らずにはおれないという点では「頭で恋愛をしている」のだと思う。                                                                                       (番場 寛)

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