200Q年最後の卒論指導

もう大学は休みに入っており、校内は明かりも最小限に抑えられている中26日と28日に研究室で卒論指導を行った。学生には、授業のある期間に一部でもいいから書いたところから見せるようにと伝えてあるのだが、数人を除いて見せに来てなかった。
 
それがさすがに休みに入り、年明けの12日締め切りということで、ようやく切迫した感じになったのだろう。両日でゼミの殆どの学生が書けた限りの文章を持ってきて、行き詰っている箇所について相談した。4年生のゼミを持つのは3年ぶりだ。今年は卒論を指導しているという苦労と同時に喜びを感じることができないもどかしさを感じていたが、ようやくそうした感情を味わうことができた。

例の「化粧について」研究している学生は「見せる化粧」と「隠す化粧」を調べていくうちに両者が結局同じことに気づいて困ったと言うので、そこに到達したなら素晴らしいことなのでそこに至るまでを資料で裏付けながら論理的に説明するようにとアドバイスした。「ファッションにおけるスタイル」について研究している学生にも「グリーンツーリズム」という滞在型の田舎暮らしについて調べている学生にも「サッカーについて」書いている学生にも、文章にしたときの章ごとの連結に説得力をもたせるようにと伝えた。
 
マリー・アントワネットやナポレオンやジャンヌ・ダルクについて書いている学生たちには、現代に生き、今論文を書いているあなたにとってその人物はどういう意味を持っているのかということを常に自分に問いかけながら論理を展開するようにと伝えた。
 
2万字というのは量的にかなり大変だと思うのだが、「昔話について」研究している学生のように、字数をオーバーしそうだなどという嬉しい悩みを相談する学生も出てきた。ゴダールについて書いている学生も見違えるほど文章が良くなった。進歩する姿を目の当たりにすることができるのは何度経験しても嬉しい。

 「ミニスカートの文化」について書いている学生も、「祭りについて」研究している学生と同様、文章にすることで苦しんでいる。一緒に来た彼女の友人が「いかに現代のミニスカートが多様に進化しているか」を熱く語ってくれたので、雑誌を資料にして、過去のそれと比較して最後の章で論じたら、などと言ってしまったが、彼女が書けるかどうかは少し気がかりだ。

そうなのだ。君たちだけじゃない。論文を書くのは誰だって苦しい。でも楽しいだろう? 少なくとも2人の先生が隅から隅まで読んでくれるんだから君たちの方が幸せだ。
 
ぼくも年明けに国際仏教研究班の先生方の前で行う発表を「宗教のディスクールについての試論」というテーマで準備していてなかなか進まなくて苦しんでいる。お互いに明るい笑顔で新年に再会できるよう祈っているよ。
(明日からネットにつなげない田舎で過ごすので他の先生方が書いてくださらなければ、このブログが更新されるのは授業が再開してからになります。みなさんよいお年をお迎えください。)(番場 寛)

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