「私演劇」?(「西山真来はなぜこうなってしまったのか」と烏丸ストロークロックのワークショップ)

ようやく昨日入試業務を終えほっとしている。その前日、仕事が早く終わったので「マレビトの会」から送ってもらっていたチラシの劇「西山・・・」を偶然見た(ART COMLEX 1928にて)。
 
これは、自分にとっては殆ど知らない演出家、俳優たちで演じられるもので、ただ劇の原作、舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる』を昔読んでいたので、あの言語が自己増殖していくような饒舌体をどのように劇的言語に置き換えていくのだろうかという好奇心があったくらいで、ほとんど期待はしていなかった。

まず客層が殆ど二十歳くらいの若者でしかも立ち見が出るくらいに埋まっていたことに驚かされた。劇を見ている間中、その人気への疑問がずっとつきまとっていた。
 
変わっていたのは、演出をしている西山自身が、舞台の反対側の高いところでこの作品を劇にしたきっかけを話すことから始めたことだ。語り手と作者が同一人物であるという錯覚にリアリティを求めるのが「私小説」だとしたなら、自己の演出した作品への西山の思いが舞台での演技と並行して語られる劇は「私演劇」とでも言えるものだろう。激しく動く役者の少年の運動性や、あらわになる少女の身体性など、「若さ」が生の形で出ていて、演技の不十分さや特にダンスに見られる振り付けの単調さなどを補っていた。
 
これに関連して思うのは、2月6日の鄭 早苗先生の告別式から帰った後、途中から参加した「烏丸ストロークロック」の柳沼昭徳、阪本麻紀両氏が指導したワークショップのことである。そこではまず二人で組んで、相手に自分の過去の出来事を説明したあとそれを聞いた側が相手のことを話す「他己紹介」という練習を行い、つぎに各自がそれをもとに演技を創って披露する作業であった。 これを見ていると、どのようなメカニスムで戯曲が書かれ、それがどのように演技として実現していくかを目の当たりにしているかのような気がした。

前述の西山の作品のタイトルは自意識むき出しであったが、表現への欲求が痛々しいほど伝わってきていた。ワークショップに参加していた人も同じだった。「私小説」が歴史的に一つのジャンルを形成したように「私演劇」というジャンルは成立するのだろうか? ふと思う。あの「西山真来はなぜこうなってしまったのか」の西山真来の部分に全ての人が自分の名前を入れて劇を創って演じたらどんな作品ができるだろうか? 
 
数年前から思い続けている。コンテンポラリーダンスもそうだが、演劇はすべての人が普段は押し隠していると思われる、表現への欲求を全面的に開放する装置であるとしたなら、仕事に追われているサラリーマンや家事に疲れている主婦や、体力や記憶力が衰えた年齢の者にも何とか演劇ができる方法はないのだろうか?(番場 寛)

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