「世界の起源」との再・出会い(「金沢21世紀美術館」にて」)

実家に帰るのに何度も通っているのに、特急の乗り換えでみやげや弁当を買うために途中下車する他は一度も金沢の街を歩いたことはなかった。今回途中下車して、前から訪れたいと願っていた「金沢21世紀美術館」に初めて行った。

芝生の広い空間のあちこちに銀色に光る椅子やホルンのような彫刻や大きな金属のオブジェがあり、現代美術館に来たのだなあと気分が高まる。今回はコレクションの作品だけだが、美術館の構造やすこし寂しいほど少ない作品の展示の仕方が見事だ。誰なのだろうか? 知っている数少ないデザイナーでは日比野こずえさんがデザインするような淡い色合いのレインコートのような服を学芸員の女性がみな着ており、それが独特の雰囲気を醸し出している。フランスの美術雑誌を始め多くの資料を並べた図書館やゆったりとくつろげるレストランなど、これは全体が明らかにぼくのパリで一番好きな場所、ポンピドゥーセンターを意識した造りになっている。そこでまた出会ったのだ、「世界の起源」と。

アニッシュ・ガプーアという人の「世界の起源」(2004年)という作品にはそこで初めて出会ったのだ。狭い入り口からコンクリートで覆われた部屋に入ると一方向に傾斜し、しかも遠近法を利用して狭まった壁がある。そこにあるのは大きな真っ黒に見える楕円である。
黒く塗られているようにも見えるが、底なしの穴のようにも見える。

置いてあった説明文で覚えているのは、実際にはそこはあるわずかな深さの穴があるのだがそこを青い顔料を何度も塗り重ねて実際に無限に深い穴のように見せているということだ。どうしてもタイトルの「世界の起源」である。これはやはりギュスターヴ・クールベの「世界の起源」(1866年)に触発されて創られたものだという。

クールベの「世界の起源」には思い出がある。それはパリのオルセー美術館で何度見ても驚きとともにそのタイトルの意味を考えざるを得ない。宗教的な題材から離れ、自然やそこに生きる人々を写実的に描き、つづく印象派の画家たちに影響を与えた画家として知られているだけに驚きの絵である。女性の胸から下腹部までだけが陰毛を含めて極めて写実的に描かれており、それとタイトルの「世界の起源」との関係を考えずにおれないからだ。

この絵を日本から来た女の子をオルセーに案内したときに一緒に見たときのことを覚えている。この絵は実は前にジャック・ラカンその人が所有していたというのを本で読んだ時からぼくにとって特別な意味を帯びていた。美術館のショップでその絵の複製を買おうとして、「こんなのいやらしいよね」と照れながら見せると、その子は「いえ芸術ですからそんなことありません」と答えた。こんな絵を部屋に飾ってラカンは何を考えていたのだろうといつも思う。確かにそこから人間が生まれるは確かだが、それは「世界の起源」と言えるのだろうか? オイディプスもそこから生まれるという点では、起源には違いないが…。

「金沢21世紀美術館」のショップで、長谷川裕子著の『女の子のための現代アート入門』(淡交社)を買う。深い思考をよくぞここまで分かりやすく書けるのかと感心する。とくに「独創的であること、自分の主張や意志をもつことと、他者を理解し、社会や共同体と意識を共有していくこととが矛盾しない―そうした個と集合性の新しい関係が生まれはじめています」と書く、「はじめに」の文章がすばらしく全文をここに写したいくらいだ。

長谷川によれば「美術館は知性と感性を磨くエステサロン」なのだそうだ。この美術館では、4月29日から「舟越桂とヤンファーブル」の作品展示が公開されると予告されており楽しみだ。京都から2時間程度だ。みなさんも親切な女性ドライバーが運転する小さなバスに乗ってこの素敵な美術館に行ってみてはいかがでしょうか?(番場 寛)

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