「花よりダンス」?-「モノクローム・サーカス」と「GAGAピープル」のワークショップ、セレノグラフィカ「グレナチュール」で経験したコンテンポラリーダンス

桜の花も咲き乱れ、フランスでの研究発表の日までにすでにひと月を切ってしまった。自分の原稿がなかなか完成しないなか、決して逃避ではないと言い聞かせて、ダンスのワークショップに参加し、観客としてダンスを見るという経験をした。「花よりダンス」とは、最後に述べるワークショップに参加した田中さんの言葉である。

「GAGAピープル」については昨年このブログでも触れたが、一般人をも含めた人間の身体を全面的に開放しようということを目的にしたイスラエルで生まれたダンスメソッドで、個人的には、政治的に非常に強い緊張にさらされている国で生まれたメソッドだということにも興味を持ったのだった。前回は若い女性が教えたが、今回はその創始者であるオハッド・ナハリン自らが教えるということで前回のワークショップで得たものを確認したいと期待して参加した。

感想としては前回とまったく同じ印象を受けた。「骨盤に地震を起こして揺らしてください」「あばら骨を引き離してください」「肩甲骨を自分から一番遠くへ離してください」…というように身体の部分を意識してそこを集中的に動かすように指示が出る。それらの全ての動作は中断することなく加えていき、次第に複雑な動きになっていく。そこに数字の発声や単なる声を出すことが時々加わる。ふと普段ほとんど経験しない動きをしている自分に驚く。他の参加者の動きを見ても複雑な動きになっている。

ダンスとは言葉を介しない表現なのにその動きをつくるのは言葉だと思い知った経験はこのブログでも何回か触れた。では逆に観客として観るときにはその身体の動きから逆に言葉をたどればいいのだろうか? そうではないだろう。ダンスは身体の「分節articulation」であり、身体による空間と時間の分節だと思う。一人のダンサーとしては一つの身体の部分を全体との関係で分節する。例えば、わずかな指の動きが価値を帯びるように、動かない部分を創ることで動いている部分を際立たせる。直線的な動きに曲線的な動きを対立させる。動きのスピードを変えることで時間的に、動きの大きさを変えることで空間的に分節する。二人以上で踊る時は他人とでこうした分節を行うことになる。その場合、今度は踊る空間そのものの分節がより重要になってくる。

今回「グレナチュール(柘榴)」(京都芸術センター)を観たときまず驚いたのは、三人のダンサーが年齢を感じさせる身体をしていたことだ。観終えてから解説を読むと、振り付けの隅地茉歩によればまさにそれこそ彼女の狙ったことであり、母親でもある踊る女性の身体の特徴を生かしたかったことが説明されている。まったく踊れない少女をその三人と同じ空間に置き、少林寺拳法のような動作を繰り返させることで、三人の踊りを相対的に浮かび上がらせるし、少女と成熟した女性という対比から生じる効果が見事でこの作品で最も盛り上がった場面である。

途中で部屋の戸を開け放ってあえて外の光や光景や音を入れてそこが外部の現実をつながっていることを示す方法は、すでに小嶋一郎が「日本国憲法」をこの同じ部屋で上演したときの狙いも方法もまったく同じであった。また観客にダンサーと同じように物体を投げさせることも同じ狙いでなされたのだろうが、個人的には必要ない部分のように感じた。

それはともかく、最初と最後に名前は忘れたがお馴染みの曲が使われていたがあの狙いは何なのだろう? ダンスはできるだけ言葉にたよらない身体による表現だとしたならすでに過剰な意味を帯びてしまっている歌はそれに合わせるというより、あえて異化効果を狙うためにこそ使われるべきではないだろうか? またぼくが識別できなかっただけかもしれないが、成熟した女性の三人がどのように関係として分節されていたのか分からなかった。女性だけのダンスの振りつけは初めてだという隅地のこれからの工夫に期待したい。

ところで4月3日に森裕子さんから受けた「ふれることから」というワークショップを思い出す。彼女は、相手から加えられる力にまかせて自分の身体を動かすコンタクト・インプロビゼーションをメソッドとして用いているが今回はその最も基本の「ふれる」ということを徹底的に意識させるものだった。日常では親密な関係の人以外は殆ど経験しないどころかそれを避けなくてはいけないものである。敢えて他人の身体に触れる、触れられるというのは非常に緊張する経験であり、その緊張はけっして不快ではなかった。驚いたのは触れてなくても触れるということを意識しただけで身体の感覚が変化したことだ。

ダンスを観たり、踊ったりすることはそうした身体の感覚を研ぎ澄ますことであり、普段味わえない緊張を呼び起こす経験であるからこそ、人は踊り、観るのなのだろう。(番場 寛)

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