池上哲司、柄谷行人両先生の公開講演会を終えて

5月を乗り越えられれば、といつも思ってきた(まだ続いている)。フランスでの発表、中学校の同期会、母親と会うこと、ヤン・ファーブルと舟越桂展を見ること、そして大谷学会の春季公開講演会を無事終えられること、ひとつひとつ終えるたびにほっと胸をなでおろしてきた。(講演会の詳細については、大学のホームページのイベントというところに載せてもらう予定の記事を書いておいたのでそちらを見てください。)

大谷学会の庶務をしている関係で講師の依頼からたずさわっていただけに大盛況のうちに終えることができて本当に嬉しい。池上先生がどのようにお話ししてくださり、聴衆がどのように満足するだろうかは、大体予想できた。心配していたのは、柄谷さんの講演内容が難しすぎて質問が出なかったり、逆にからまれるような質問が出たりはしないだろうかということだったが、杞憂に終わった。

柄谷さんと直接お話しするのは一年半ほどまえの「日本ラカン協会」の時以来2度目である。そのときの懇親会でどうしても柄谷さんに聞きたいことがあった。ラカンは4つのディスクール理論を提示したときそれまで「欲望の原因対象」と説明されていた「対象a(objet petit a)」を「剰余享楽(le plus de jouir)」と言い換えたが、それはマルクスの「剰余価値(la plus value)」を言い換えたものだと言っているが、その「剰余価値」が資本論を良く読んでないせいだろうがよく分からなかったからだ。

そのとき柄谷さんはぼくのぶしつけな質問にもいやな顔をせず、説明してくれた。今回の公演のために彼の『トランスクリティーク』のまだ読んでなかった部分を読んだらかなり分かりやすく書かれていた。

今回大学の正門のところで出迎えたときにも気さくに「やあ」と懐かしそうにすぐに手を差しだしてくれた。講演会の前後、合間にも池上先生、門脇先生と一緒にお相手したのだが、終始こんなになごやかにお話しされる方だったのだろうかと驚いた。実は柄谷さんを最初に間近に見たときの思い出が甦ったのだ。

それはもう20年以上前になるが、吉田修一の小説『横道世乃介』の舞台となったH大学の非常勤をしていた頃のことである。ある日市ヶ谷のそこの大学の構内に入るとそこで柄谷さんがビラを配っているのだ。もらって読むとあらたな教職員組合をつくろうという呼びかけであった。驚いた。柄谷行人がそこで教授をしていることは知っていたが、既に『マルクスその可能性の中心』の高名な評論家として知られていたからだ。ネクタイはしておられないが、上着を着て暑さでぐったりとしておられるように見えた。

そのとき受け取った、柄谷行人と署名されたビラは引っ越しを繰り返しても大事にしていたのに、今は探し出せない。でもはっきりと文面を覚えている。「・・・大学は非常勤講師と学生の搾取の上に成り立っている・・・・」。

柄谷さんの歩みは『日本精神分析』、『NAM』、『トランスクリティーク』…と大きく変化しているように見えるかもしれない。しかし今回の「交換様式」により世界史を構造的に読み解こうという試みも、そこから導き出される「普遍宗教は交換様式Dとして発生した」という考えも極めて順当な思考の歩みの結果なのだということが分かった。思索と行動とが一致した生は美しい。(番場 寛)

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