「行かないでNe me quitte pas」(ジャック・ブレル)の思い出

フランス人との交流会のとき日本人の女性とシャンソンの話をしていたら、最近授業で扱った、ジャック・ブレルの歌う「行かないで」(You Tubeで見ることができます)にまつわる、30年ほど前のできごとを急に思い出した。歌詞にある「去っていく恋人への胸の引き裂かれるような想い」の思い出ではない。

博士課程に進学が決まった日のことだ。指導教授から電話があり、フランス語の合宿に参加するようにということであった。当時、いわゆる会話がまったくできなかったぼくに先生は、ライオンの親が子を崖から突き落とすように泳げない者をいきなり水に投げ込むようなものだと冗談なのか本気なのか分からない言葉を伝えた。

合宿は、話すのが好きで参加している学部の女子学生が多く、男子は数名だった。授業中はもちろんのこと食事や遊びの時間もフランス語で生活するというもので、博士課程の学生なのに話せないという恥ずかしさもあり、辛さは予想以上のものだった。それなのに次の季節の合宿にも参加したのだった。

それはあるリベンジを果たすためだった。短期間で話せるようになるわけはない。ぼくが二度目の合宿でやりたかったことは、合宿最後の日の打ち上げのパーティのときにグループに分かれて演じる創作劇を自分の満足のいくように創り演じることだった。

各グループが演じるのは15分程度の短いものだが、夕食の後グループごとに集まり話し合ってフランス語で戯曲を創り、当日までに覚えなくてはいけない。なかなか戯曲ができず、前日は殆ど徹夜で創り、その日で台詞を覚えることになる。第一回目はぼくが女装させられ、女子学生が男性になり、教科書のある場面の会話をそのまま演じた。おお受けでみな笑いこけたが、ぼくには屈辱感しか残らなかった。当日演じた他のグループの「ゴドーを待ちながら」のパロディの「赤ずきんちゃんを待ちながら」という劇があまりに素晴らしく感動してしまい、同じ程度の劇を創りたいと思ったのだ。

しかし短期間でうまく話せるようになる筈はない。話せなくても主役を演じて、しかも人の記憶に残る感動的な話は創れないだろうか? 自分なりに熟考を重ねてようやくできた。それはぼくがマリオネットになり、その人形遣いを会話のうまい男子学生にやってもらい、劇中声をだすのはその彼にやってもらい、ぼくは手足を動かすが口はぱくぱくするだけでよいという設定である。劇のタイトルは「Qu’est-ce que le langage ?(言語とは何か?)」という哲学的なものでプライドも満足させた。ぼくの指導教授が使っておられた教科書の題と同じものだった。

ストーリーはこうである。マリオネットは自分だけが人間のように話せないことにいつも苦しんでいた。そんな彼がある日人間に恋をしてしまう。それはもうすぐ月に帰らなくてはならない「かぐや姫」だった。しかし彼は自分の想いを伝えられない。「ああ、どうしてぼくだけが人間のように話せないのだろう? 一度でいい、この想いを彼女に伝えられたなら」という声に出せない筈の独白だけはマリオネットである僕が言う。いよいよ「かぐや姫」が月へ旅立とうとする瞬間だ。そこで流れるのがブレルの例の曲である。そのとき奇跡が起こる。言葉を発することのできない筈のマリオネットから「かぐや姫」にたったひと言発せられるのだ。「行かないでNe me quitte pas」と。

大成功だった。笑われるのではなく笑わせ、感動させることができた。それから十数年後、アヴィニョンの演劇祭で、そのときのマリオネット使いを演じた林君にばったり会った。彼はフラン人の女性と結婚し、今は演劇評論家として日本の雑誌に評論を載せている。「かぐや姫」を演じた片木君は大学の教員として働いており、彼の書いた「ペロー童話」と「星の王子さま」についての二冊の本は参考にしている。ぼくのリベンジの気持ちをふるい起した「赤ずきんちゃんを待ちながら」を創ったのは清岡君でいまもNHKのラジオから彼のフランス語レッスンが流れている。

こんな「思い出ぽろぽろ」は授業ではとても話せない。(番場 寛)

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