ハリネズミコンプレックス?

 ひと月ぶりに母親に会いに田舎に行って来た。わずか2泊過ごしたばかりなのにいつものことながら外国に行ってきた時の時差のようなものを感じる。梅雨のせいか、家の裏の林はもちろんのこと普段手入れをしていない庭もすべての草木が成長し、つる草が我が物顔にのたうちまわっていた。
 
母親と二人で過ごすのだが、一人で暮らすのに慣れてしまったので遠慮のいらない肉親でさえ普段感じることのない緊張を感じる。「ヤマアラシ(ハリネズミ)コンプレックス」という言葉を思い出す。ハリネズミは、一匹だと寒くて温もりを求めて体を寄せ合うのだが、体中が針で覆われているためくっつくと痛い。しかし離れると寒いのでまた近づく。そうしたことを繰り返すうちに互いに適度の距離を保てるようになると言われ、人間の心理を説明する言葉となった。ハリネズミを実際に見たことはないがすぐに信じてしまった。まさに自分に当てはまると思ったからだ。人は常に他人に干渉されることなく自由でありたいと願いながら温もりも求めずにおれない。人間は勝手で、それでいてなんて弱い存在なのだろう。
 
ワールドカップでの選手同士抱きつく姿、選手に抱きつくマラドーナの姿、熱狂して応援する日本人の姿も、そしてそうした姿をテレビで見ている自分自身も、ハリネズミの姿に思えてくる瞬間がある。
 
京都に戻る列車の中で、伊坂幸太郎の『オー!ファーザー』を読んだ。「父親が4人いる」という設定に惹かれて手にしたのだった。ひょっとしてラカンの「父―の―名(le Nom-du-Père)」という概念に当てはまる人物が出てくるのでは、という期待もあった。しかし違っていた。母親の夫か愛人という形の4人の父親が同居するが互いに仲が良く、父親同士も息子にもひたすら心地よい「距離」を保ち、たがいの体に針の刺さることはない。前にこのブログでも取り上げたが、レイプされた妻から生まれた息子を実の息子と同じように愛情を注いで育て、「いいか、俺たちは最強の家族なんだ」と言い聞かせる『重力ピエロ』の父親と同じく、伊坂幸太郎の小説に出てくる父親は、友だちのようでいて、いわゆる「去勢」や「父―の―名」という概念とは無縁のように思える。そこが読者には心地よいのだろう。この4人の父親は村上春樹の『1Q84』の父親とは何と違っていることだろう。
 
伊坂の『オー…』の表紙を良く見ると題名は英語ではOh! Father ではなくa familyと書かれている。思い出すのは数年前に亡くなった自分の父親とのことである。尊敬もし、好きでもあった筈なのに帰省するたびに、どうしてこうなってしまうのかと自分でもあきれるくらいに喧嘩をしてしまうのだった。

今はもう会いたくても会えないその父親の針はもうぼくの体に刺さることはない。見えないその針を懐かしく思うことがある。(番場 寛)

広告

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中