言葉の国の***(パリ滞在を終えて)

ここは言葉の国なのだ。「不思議の国」に迷い込んだアリスのように、かなり話せるようになっている筈なのに、依然としてぼくにはフランスは「言葉の国」なのだ。

「日本人か?」空港でタクシーに乗った時から、いきなり話しかけられた。何のために来たのかフランス語はどこで学んだ…「ぼくはラカンという精神分析家を研究しているのだけれど、彼の名はラップのMCソラーの歌にも出てるんだ。ぼくがラカンだったら彼女の気持ちが分かったのにというくらいの普通の意味だけどね」と言うと驚きの声を上げる。ラカンではなく、MCソラーを聞いていることに対してである。彼はチュニジア人だということだが、なまりのないきれいなフランス語を話す。「あなたはイスラム教徒islamisteですか?」と尋ねたとき、微笑みながら言った。「そういう場合は『musulmanですか?』と尋ねた方がいい。islamisiteという言葉はすでに政治的な意味を含んでしまうからだ」と教えてくれた。ぼくが何年もフランス語を勉強したけどもう上達しないのだろうかと思っていると言うと、「年齢がいっていても努力すれば必ず上達するよ」と言った。それが今回のフランスでの始めの会話だった。

縮こまってしまいそうになる気持ちを押し広げるようにしないと会話は生まれない。相手の関心のありかと他者に対する寛容と親密さの度合いを瞬間的に推測し、会話ができそうだと判断したらあとはほんの少しの勇気だ。その勇気が結構難しい。共通の関心を持った者の集まりである筈の「国際ラカン協会」のセミナーの2日目に行われたパーティーに参加したときも最初なかなか話しかけるきっかけがつかめず、ひとりだけぽつんとしていた。

シャンパンを何杯か飲んだら羞恥心が薄らいだのか、今年か来年のこの協会の長の女性と話した。かねてから疑問だったラカンの論じていることについての2点だった。ひとつはフロイトの症例「美しい肉屋の女房」に対するラカンの解釈の「満たされない欲望を持ちたいというヒステリー者の欲望」がもし実現してしまった場合、それはすでに満たされてしまうので「満たされない欲望」を持つことにおいては失敗してしまうのではないか?という疑問と、ラカンがアンチゴーネを「汝の欲望において譲らなかった人物」とみなして評価しているが、当時の国家の法にそむいて国家の敵であった「兄」を葬ったことが「欲望において譲らなかった」ことだとは分からない。また「欲望において譲らないとはどういうことなのか? 自分の欲望を成就させてしまうことなのだろうか?」と尋ねた。残念ながら満足のいく答えはもらえなかったが、会話は弾み、同じ疑問を共有していることで生まれる親しさの感情で満たされた。

それまでスムーズに運んだと思われた滞在でひとつだけ困ったことが起きた。それまで満足していたホテルに帰ると出発まであと2泊を残した状態で、部屋を変わってくれと告げられた。理由を尋ねるとおそらく工事をするのだろうという。荷物はこちらで運ぶのでと告げるが、眺めもよくすっかり気に入っていた部屋だし、特別不都合もないのに工事というのも変だ。移りたくないとは告げ、いったん部屋へもどった。それからよく考えたら腹がたってきた。工事だったら客が出てからすればいいではないか?もういちど移りたくないとは伝えたら翌朝ホテルの責任者に説明するように言われてその日は引き下がった。それから考えた。そうここはフランス、言葉の国なのだ。フランス人のように行動しなくては…、自分の思うことと権利を言葉で主張する国なのだ。ようやく勇気が湧いてきて翌朝はお腹に力を入れて受付に向かった。そしたら責任者の女性がいてひと言「あなたは移らなくていい」言った。いったいあれは何だったんだろう?

分析家のキャビネに行くと自分の番がくるまでに15分か30分くらい待つ。そのうち次の人が入ってくる。分析を終えて出てくる人も待合室に入ってくる人も女性が多い。しかも若い女性が多い。いったいなんて国だろう。もちろん僕のように現実的には苦しみのない人もいるかもしれないが、安くはない料金を払ってこれほど多くの人が自分の話を聞いてもらうだけに通うとは、いまだに不思議でならない。ここは「言葉の国」なのだ。では日本は何の国なのだろう? 

ステファヌ・チビエルジュ、那須絵里子チビエルジュ夫妻、とシャルル・メルマンと食事をする機会を得たとき、バルトの日本論「記号の帝国」が話題に上った。メルマンからその著作についてどう思うかと聞かれた時、美しく描いてあるが正しいと思うと答えた。メルマンだったかステファヌだったか忘れたが「自分は日本は記号の帝国ではなく、見せかけsemblantの帝国だと思う」と答えた。これは奇しくも佐々木孝次氏が『文字と見かけの国』(太陽出版)で書かれていることと同じだと思った。

帰国のため空港へ向かう時少しトラブルがあった。タクシーに乗る時運転手からどこまで行くのかと聞かれてドゴール空港までで、会社はエールフランスだと答えた。いつもだったらそれで十分なのに、その日は途中で、ターミナルはどこだと聞かれてしまった。チケットに書いてある筈だというのだが、今は電子チケットになっており書いてない。エールフランスで日本に帰るターミナルだというだけで他の運転手はすぐ分かった。あなたは運転手なんだから分かるべきだとこちらが言ったら、どこの国の人か分からないがひどいなまりのフランス語で「じゃああなたを途中で降ろす」と言われしまい、「タクシーがつかまらないと困る」と言ったら東駅のタクシー乗り場まで連れて行ってくれた。特別腹をたてていじわるをしたわけでもないらしい。こちらの手落ちでもあったのだろう。(みなさんも帰りの空港のターミナルだけは確認しておいてください)

そこで出会ったのがまたおしゃべり好きな青年ドライバーなのだが、その話はやめておこう。そうここは「言葉の国」なのだ。アリスのように可愛くなくても、アリスのように勇気を持って話し続けるのだ。(番場 寛)

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