あいちトリエンナーレ2010最終日(マーラーの「告別」に基づく「3Apschied(3つの別れ)」を観て(愛知芸術文化センターにて))

伊丹AIホールでヤン・ファーブルのダンス公演の後、「ベルギー・パフォミーング・アーツの現在」という講演を早稲田大学の藤井慎太郎先生から聞いた時、今もっとも素晴らしい活動をしている振り付け師の一人として挙げられたのが「ローザス」主催のアンヌ・テレサ・ドゥ・マイケルであった。その彼女がもう一人の振り付け師のフランス人のジェローム・ベルと組んで、マーラーの『大地の歌』最終楽章「告別」をアンサンブル・イクトゥスの生演奏の前でのダンスを振り付け、アンヌ・テレサ自身が踊るという。想像できないだけに期待が高まり、京都での仕事と観劇の合間を見つけて名古屋に行ったのだった。

最初は楽器を持って演奏する準備ができている演奏家を前にしているのに、アンヌ・テレサが「告別」の録音を聞かせたので戸惑った。そしてその録音のなかの歌は、曲のテーマと偶然重なるように末期癌で死を覚悟した歌手によって歌われ、この録音後ほどなくして彼女が死へと旅立ったことが語られた。

この「告別」についての説明のあと始める前にそこで歌われる歌詞の翻訳を5分間程度黙読するよう指示された後ようやく演奏が始まった。演奏はもちろんだが、特にサラ・ブルゴーニの身ぶりを交えて歌うメゾ・ソプラノが素晴らしい。ようやくアンヌ・テレサがそのアンサンブルの間を縫うように踊るのだが、三階席から見ているせいか、思いのほか動きが小さく見えるのに驚く。緩急のスピードの差も予想していたより小さく、観ていてどこか窮屈そうに感じたのはアンサンブルの間で踊るという空間的な制約のせいだけではないのではない。死を受け入れる主人公というテーマのせいなのかどうか分からない。
しかしゆっくりとした動きの腕を中心とした創る曲線と、体を回転させ瞬時に静止するときの美しさは印象的であった。

それが終了したとき、ジェローム・ベルが舞台に出てきて、前にこれを踊っていた彼女がこのように行き詰まっていたように見えたので彼がアドヴァイスしたことを説明し、しかも演奏が終わった時各演奏家が去っていくことで死を表すのではなく、その場で演奏家自身が次々と倒れて動かなくなるよう指示し。2度目の演奏がなされたが、会場からは笑いがこぼれ、その後出てきた彼が失敗だったようだと語り笑いを誘っていた。

アンヌ・テレサが本当に「告別」という曲のテーマを踊りきっていたと思ったのは、3番目のダンスだった。ピアノ以外の演奏家がすべていない場の椅子をすべて片付けて、しかも残されたピアノの音響版を閉じたそのピアノのソロだけでアンヌ・テレサ一人で踊るのだ。しかも少し音程の外れた声で最期の声を振り絞るように歌う。ジーンズにトレッキングシューズを穿いて踊る姿はミュージカルのダンサーのようでもあり。オペラの歌手のようでもあるが、一瞬一瞬構築されていく動きは紛れもなくコンテンポラリーダンスだ。
アフタートークのときに手を挙げて質問したのだが、ダンスと死とは正反対の概念なのだが、最後に彼女が倒れたあと立ちあがり、舞台の闇の奥へ消えた後再び舞台に立ち黙ったまま静止した姿を、それは「死」を表していたのかという問いに対し、ジェロームはいろいろな解釈があっていいと答えた。

生の演奏家の前で、二人の振り付け師がつくった一つの作品を、そのうちの一人が踊るのを観るという特異な経験ができた。そして最後にこれを企画したキュレーターからこの日の演目「告別」はこのトリエンナーレ最終日での「告別」でもあることが告げられた。実はこのダンスを観るのが目的で行ったトリエンナーレだったのだが、他にも楽しい経験をしたのだが、それは次回に書きたい。(2010年11月2日、番場 寛)

広告

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中