心にもコートを着せてしまったのか?(初冬の東京のある朝、2010年12月6日のこと)

 「日本ラカン協会」の大会に参加した翌日は月曜日であった。観たい劇はどこもやっていない。六本木の森美術館に行くまでどう過ごそうかしばし迷う。ホテルに近い、お茶の水を下った神田駿河台の界隈を散歩してみようと思い立つ。

窓から緑青色の丸い屋根が高い所に見える。ニコライ堂だ。久しぶりに大学時代に通った界隈を歩いてみようと思い立つ。ビルの谷間で迷わないように広い道路を歩いて行くとずっと昔大学に通った界隈につく。大学は移転して今はそこにはなく、大きなビルが立っている。

大学の正門のあったところに向き合う。まったく違った建物を見て今はすでに存在していない昔自分が通った大学の建物を想像するのは不思議な感覚だ。急にそばにあるカフェに入り、建物の前の通りを眺められる窓際の椅子に座る。最初左右に歩いている人が目につき、次に向こう向きに立ったまま静止した人が目につく。交差点になっているからだと気付く。店内に程よい音量で流れている音楽が心地よい。その時、静止した人たちがいっせいに音楽に乗っているかのように歩き出した。なぜかこちらに向かってくる人は一人もいず、すべて向こう側に渡っていく。そしてそのうちの殆どの男女、20代から30代に見えるスーツを着た人たちが向こう側の庭に入り、巨大な建物、昔ぼくが通った大学の本部棟のあった所へと吸い込まれていく。

言葉で書くとそれだけのことに過ぎない。テレビではよく見ていた筈の光景なのにまるでコンテンポラリーダンスのワンシーンを見るかのように感動してしまった。人がただいっせいに歩き出すさま、それが店内に流れている音楽と偶然重なったとき、いままで自分は人の歩く姿を見たことがあったのかと問いたくなる感じを受けたのだ。時計を見ると8時45分を過ぎたところだった。

それを見たからではないが、大学はなくすっかり変わった、昔の構内のあった場所の周りを歩く。舗道に植えられたイチョウが葉を落としているがすぐにそれを掃いている作業服の婦人が見える。そこを曲がるとまだ掃いていない舗道に散っている黄色や赤の葉が美しい。そこを通った時、急にむせかえるような汗の臭いを嗅いだような気がしたのは、昔そこを通るたびに剣道部の掛け声とともに汗臭さが鼻をついたからだ。突き当たったところを左に曲がると大学があったころの反対側の入り口にあたるところが目に入った。

そこを見たとき、忘れていたある冬の光景、ちょうどいま頃だろうか、ある光景を思い出した。それは大学に入って一年目か二年目のことであった。大学の授業料値上げに反対する学生のデモが一応治まっていたときだったように記憶している。目に浮かぶのはその建物の入り口の横に座り込んでいる一人の男子学生の姿だ。何をしているのかと思うと学費値上げに抗議してハンガーストライキをやっていると書かれている。ヘルメットを被りジグザグデモを繰り返して抗議する姿だけを見ていただけに、その一人の男子学生の姿はドンキホーテのように無力な姿に見えた。

それなのに覚えているのはその学生が横に貼った紙のせいだ。そこに書かれていた言葉は今も覚えている。「寒くなりコートを着ている人が多くなったが、君たちは心にもコートを着せてしまっているのではないか? …」

ハンガーストライキというものを実際にやっている人を見たのはその時が初めてだった。他人のため(これから入学してくる学生のため)とはいえ、彼のしていることはあまりにも無力に思えた。しかしどれだけ効力のあることかは分からずとも、やむにやまれず、そうせずにおれなかった彼の姿と言葉は今もぼくの心に残った。 

その後森美術館の「小谷元彦」展で観た、「時の彫刻」と呼ばれる水の落下のインスタレーションも、青山のイメージ・フォーラムで見た2本のブラジル映画(「リオ40度」「マクナイーマ」)も本当に素晴らしかったが、一番印象深かったのはその日の朝の光景であった。 ふと思う。ぼくも心にコートを着せてしまっているのだろうか?
(2010年12月11日。番場 寛)

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