チョコレートは、「対象a」なのだろうか?(まるで「イヴァンの馬鹿」)

 今日はバレンタインデーである。業者がかってに作った習慣に乗せられることを軽蔑しているのは、チョコレートをもらえない負け惜しみではない…ということにしておこう。

義理チョコは何度かもらったことはあるが楽しい思い出ではない。そんなぼくが実は何年かぶりでわざわざ自分でチョコレートを買ったのは、ある雑誌の最後に小さく載っていた宣伝の記事のせいだ。そのチョコレートは普段は特別に契約を結んでいる客にしか売らないのだがこの一定の期間だけ一般にも販売するという。その店の一つが東京のあるデパートであり、たまたま「精神病コロック」に参加した翌日時間が空いており運良く、というか運悪くまだ残っていたのだ。見ると2粒入りで1480円とあり、普段十分楽しんでいる安ワイン一本の値段である。

その店を探そうとした時点ですでに決まっていたのかもしれない。何しろ他の人と同様、期間限定、お客限定、という言葉はそれだけで購買欲を掻き立てる。おまけに自分の欠点だが「言葉」に弱い。ふと本棚にあった『<食>の記号学』(五明紀春著)という本の副題は「ヒトは「言葉」で食べる」となっているが、ヴィンテージワインやミシュランガイドに載っている店での食事でなくとも、コンビニのスイーツでもそこに書かれた「言葉」に惹かれ、「物語」を求めて買い、味わってしまう。

今年担当の学生に「スイーツ」をテーマに研究をしたいと思っていて、「チョコレート」について調べることがら始めようと計画している学生がいる。引き受けた以上、自分でも指導できるレヴェルまでは知っておかなくてはと思い、『チョコレートの文化誌』(八杉佳穂著)をめくると、チョコレートのカカオは「お金」や「貢納・交易品」としても使われた歴史が書かれている。現代において、特にお中元やお歳暮という「贈与」の習慣のあるわが国の文化においてチョコレートを特別な日に贈るという習慣が根付いたのは不思議ではない。

しかし、と思う。それがもし「愛」を伝えるためだとしたならいったい何を送っているのだろう。「精神病理コロック」の「うつ病」の発表で例の有名なラカンの愛の定義「愛するとは、おのれの持っていないものをあげることなのです」というのが引用されたとき、菅原先生はその「もっていないもの」を「対象a」だと断言した。

しかしラカン自身があたえるものを、「対象a」(「欲望の原因対象」と呼ばれ、何か具体的なものではないものをさす)と断言している箇所があるかどうかは、自分は確信が持てない。なぜなら、たとえば1965年3月17日にラカンは「愛とは、それを望んでいない人に、自分の持っていないものを与えることであるL’amour,c’est donner ce qu’on n’a pas à quelqu’un qui n’en veut pas」と説明しているからだ。

その定義にしたがえば、ひょっとして人が本当に愛する人にあげるチョコレートは、自分の持っていないものをあげようとしているという点では「対象a」ではない何か、つまり何でもないもの、つまりあげることのできないものをチョコレートという対象にたくしてあげようとしていることになる。

偶然教えたことのある女性のブログを観ていたら「幸せな誰かにとどきますように/あるいは/幸せにしたい誰かにとどきますように…」というすてきなメッセージが書かれていた。

ところで例のぼくの買ったチョコレートどんな味だったかって? 固い外側の殻の中には柔らかく香ばしいカカオの香りが一杯に広がる美味しさだが、フランスに行くたびに人のお土産のついでに自分用にも買うジャン=ポール・エヴァンのものほど美味しく感じないのは期待が大きすぎたせいだろうか。ああ、この2粒でおいしいラーメンが2杯も食べられたのに、と思うのは何で散文的な感想だろう。

チョコレートに添えられていた紙に書かれていた。「誰でもがしあわせになれる、とびきりのひと粒を」「チョコレートが口の中で溶けてゆく時間が、あなたの人生における最高のひとときとなりますように」と。

期待ほどおいしくはなかったが、この言葉だけでこのチョコレートを買ったかいがあった。ふと、まったく関係ないのに、内容を今はすっかり忘れているトルストイの小説の題名が浮かんだ。『イヴァンの馬鹿』と。(2011年2月14日。番場 寛)

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