「まる」について(東日本大震災後に見るドラマ「てっぱん」と原発について考えたいこと)

ご入学されたみなさんおめでとうございます。みなさんとこれから4年間一緒に勉強できる喜びを感じています。

しばらく前のことだが、震災に対してのチャリティコンサートに参加したアーチストたちが大きな丸の中に赤い色で手形を押してその中を埋めた映像をテレビで見た。みんなの心が一つになり日の丸の丸を形作るというすぐれた発想だと思ったが、それを見ていて自分も似たような絵を描いたことがあることを思いだした。
 
かなり昔、フランス語教員の研修会でフランス人講師から、日本のイメージを表す絵を描いてくださいと言われてぼくが描いたのは、大勢で両手をつないで輪になっている様子で上から見ると日の丸の丸になっている絵だった。日本は集団意識でなりたっているというかなりステレオタイプだが、象徴的にあらわすことに成功したとそのときは思ったものだ。
 
ところでNHKの連続ドラマ「てっぱん」が終わってしまった。「家族って何や?」がテーマのドラマの最後には中村玉緒さんの「ひとりの女の子がまるいお好み焼きを焼けるようになるまでのお話でした」というナレーションで終わった。ドラマの冒頭での「てっぱんダンス」と交互に映し出される丸いお好み焼きに舌舐めずりしたものだが、お好み焼きの「まる」は主人公あかりの実の父親が彼女にあげた曲「ひまわり」の花の形でもあり、妊娠した段階でその子の父親と別れ、自分ひとりで生み育てることを決意したのぞみが、最初仮の名としてつけていたのが、「まるちゃん」であり、生まれた時につけた名は「円(マドカ)」であったというのは、本当によくできていた。「お好み焼き」はその形とともにその食を通じての人と人との心の結びつきの象徴でもあった。そしてそうした「血縁関係によらない結びつき」をも「家族」と呼びたいというテーマは一貫していた。
 
今回の地震で被災された人たちの助け合って生活されている姿、救援活動にあたっておられる人々の姿をみるにつけ、「人は独りでは生きていけない」ということを改めて思い知らせれた。あかりの家族の思いやりに対し、のぞみが「こんなにされるともう独りにはなれないじゃないの」と涙を流すシーンもあった。「独りでは生きられない」という人間の弱さは同時に「~のため」となったときの人間の強さでもあると思う。
 ただその人と人とを結ぶ言葉として「家族」や「ニッポン」という言葉が選ばれ、その印として「まる」が強調されるとしたらちょっと考えてみたい。
 
ところで前に同僚のI先生のお宅にいったとき、リビングに丸いテーブルが置いてあるのを見て、感心したことを思い出した。「まる」は本当に不思議な形だ。四角だったらそこに座る人数と向かい合う姿勢が固定されてしまうが、丸いテーブルについた人はすべて同じ立場でしかも円周状に可能な限り座ることができる。

「まる」がそこからはみ出す人を排除するのではなく、その円周上に生まれや思想の違いで区別されることなく可能な限りの人が座ることができるとしたなら「まる」を讃えたい。

ところで原発については、このブログで前に「都会で育った人の感想が聞きたい(綾瀬あや監督「祝(ほおり)の島」を観て)」(2010年8月18日)という題で書いたことがある。

島に建設されようとしている原発に長年反対している島の人々を撮ったドキュメンタリー映画を見ての感想だったが、その時は金銭ではけっして償えない島に生きる人々の生活を奪い取ってしまうという意味でしか原発をとらえていなかった自分を今は反省している。
 
それでも原発自体に対する僕自身の考えは明確には決めかねている。たとえばエアコンなしで京都の夏をしのげるのかといった具体的な困難をしのげるという自信がいまのところないからだ。

実はこの度の福島原発の事故をきっかけに、より確信を強めたのであろう、原発の恐ろしさだけでなく、差別ともいえるそこに従事する人たちの労働条件の悪さを告発するとともに、未来にわたってその処理を強いる原発に対する反対のメッセージを伝えるメールが柄谷行人さんから届いた。

柄谷さんがひとりでも多くの人に読んでもらいたいといっているのは、平井憲夫さんの文章である。ぼくが、ここに柄谷さん自身の紹介文とともにそのまま載せるのは、ある考えを押し付けるのではなく、できるだけ深く問題を考える材料の一つとして提示したいと考えるからである。

柄谷行人さんによる紹介文の冒頭部分

「突然ですが、原発のことでお知らせしたいことがあります。以下のURLは、平井憲夫さんという、数々の原発の配管をやり現場監督をやっていた方の、遺言ともいえる文章(1995年)です。平井さんは退職後、原発事故調査国民会議顧問などをつとめたのち、被爆による癌で1997年に亡くなりました。

http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html 」

 
強いられた「まる」ではなく、円周上に並んだ人たちが活発に議論し、「バラバラで一緒」の「てっぱんダンス」を踊る人たちが最後に形作るような「まる」を夢見ている。
(2011年4月2日。番場 寛)

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