4月に観た映画(「ダンシング・チャップリン」「トスカーナの贋作」「前橋ヴィジュアル系」他)

あるテーマでまとめて論じる気力がないので、最近観た映画について感想ノートのような感じで書いてみよう。

「ダンシング・チャップリン」これはまだ京都シネマで上映しており、5月1日には映画館に監督の周方正行と、その映画の中で、チャップリン(ルイジ・ボニーノ)の恋人役を踊りながら演じている草刈民代夫妻が来館すると予告されている。その日は残念ながら田舎に帰るので今のうちに観た。

前にローラン・プティが振り付けたチャップリン映画をもとにしたダンスを、草刈を初めとする新たなメンバーを加えて、しかも映画としての特性を出すために野外でダンサーたちが踊る様子をも収めた映画作品を創りたいという周方の申し出に対し、「野外撮影」をするのなら自分はやらないとまでプチに言われて緊張が走るシーンまでも収めたメイキングフィルムが前半である。

そして後半がそうして創られたチャップリンの歴代の名画のシーンをダンスで演じる結果として創られた映画作品でそれはそれですばらしいのだが、前半の振り付けをし、それを草刈がそれを踊ろうと努力する場面が圧倒的に面白い。黒子として草刈を支える男性ダンサーが力不足で支えきれなくて何度もやり直すシーンなどはらはらさせられる。

これを観ていて「トスカーナの贋作」(アッバス・キアロスタミ監督)を思い出しもした。講演にまねかれた作家(ウィリアム・ジメル)とギャラリー経営の息子のいる女性(ジュリエット・ビノッシュ)が街を歩き回るうちに「夫婦」と人から見られたことから二人は「偽の夫婦」を演じ始める。時間の経過とともに、かれらは、実は長い間実の夫婦を続けているのにすれ違い、たまの休暇を一緒に過ごす本当の夫婦にすり替わってしまったかのように展開してしまうという映画だ。

作品のモデルと描かれた作品との関係、モデルをもとに創られた「本物」と「贋作」との関係についての美術評論家である男の解釈がそのまま、その合わせ鏡に置かれたかのような男女の関係を説明しているように映画は創られている。

「理想的な夫婦」「本物の夫婦」「本物の作品」というものもたとえば人の記憶に残る「チャップリン」を復元しようとする試みと同じで、真実があるとしたらそこにあるのかもしれないと思った。つまりオリジナルの本質を見抜きそこに似せようとする意志において「贋作」の方が「本物」以上にその特徴を表しているのではないか。

昔「愛する」とは「愛するふりをすることである」と岸田秀が逆説的に書いていたが、「ふりをする」というのは文字通り振り付けであり、演出でありそこにこそリアリティがあるのだろう。そんなことを2本の映画は思わせる。

「前橋ヴィジュアル系」(大鶴義丹監督)はいつかメジャーデビューを夢見ながら前橋で農業をやりながらヴィジュアル系バンドをやっている若者たちの物語だ。畑仕事で泥まみれになりながら、ヴィジュアル系バンドをやるという、「夢」と「現実」、「美しさ」と「泥臭さ」という極端に反するものを接続させるという手法は平凡なのに、すっかり身につまされてしまった。夢を追いながらも、長男で父親が病気になりバンドをやめなければならなくなるメンバーが出る。主人公も居候している家の、妊娠して畑で働けなくなった姉の分まで働かなくならなくなりバンド活動が危うくなる。東京でメジャーになることを夢見ている癖に生まれ育った前橋を離れられない若者の姿に共感するのは僕だけではないだろう。

一番盛り上がるのはフランスでコンサートをやるという話がもちあがったときどうしても必要なギタリストとして病気になった父親の代わりに働くためバンドを去ったメンバーが懇願され、立ちあがりバンドに加わることを決意しギターを背負うシーンであり、既視感があった。

それは鈴木清順の「刺青一代」ではなかったかと思う。やくざから足を洗い、身を隠していた主人公が一大事で大切な人を守ろうとして、自らに禁じていた剣を受け取り敵に乗りこむシーンを映画的記憶として監督は再現していると思った。

Ricky(フランソワ・オゾン監督)は娘と暮らすシングルマザーがある男と出会い、子を身ごもり産むのだが、それは翼が生え、成長すると幼いまま天使のように空を飛ぶ男の子だった。

ひとりで娘を育てている女、その母親を見守る娘、その家庭に住みついた男、三人の孤独な関係を浮かび上がらせ揺り動かすものとして登場するRickyは確かに可愛いのだが、それが去り、再び現われることを、リアルな映像として撮りながら、それがやがていつの間にか深い象徴へと変化していくオゾンの手法にはいつも感嘆させられる。

実は観て強い衝撃を受け、今も考え続けている映画は「YOYOCHU Sexと代々木忠の世界」(石岡正人監督)と、「戸塚ヨットスクールの30年と現在」と説明されている記録映画「平成ジレンマ」(齊藤潤一監督)である。もし考えがまとまればいつか書きたいが、どちらも「感想」ではすまない映画でとくに後者は京都では終わってしまったが、ひとりでも多くの人に見てもらいたい映画だと思う。(2011年4月29日。番場 寛)

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