学生には薦めたくないような、薦めたいような恋愛論3冊(勝間和代『恋愛経済学』、湯山玲子『四十路越え!』、高樹のぶ子『うまくいかないのが恋』)

ひとりの友人が結婚した直後だったろうか、「ああ、もうこれでどんなにまじめな恋だとしても、人を好きになったらそれは『不倫』と呼ばれてしまうんだ」ともらした。

 生きるうえで、すがる杖のようなものとして「欲望」をとらえているぼくでも、こと「恋愛」については、戸惑うばかりだ。ときどきのぞく雑誌に「恋愛」は若さを保ち、生きる原動力ともなるなどという内容の記事をみつけるたびに、ある年齢に達し、家庭や日常の仕事に追われているように見える男性も女性も、そんな恋愛がどれほど可能なのだろうかと思う。

 そんな疑問に対し、あきれるほど役に立たないのが、勝間さんの『恋愛経済学』である。内容は表題が示す通りで、「恋愛」というものを「結婚」へ至る過程としてのみとらえており、その「結婚」も社会的経済活動のメカニスムのもとで動く「制度」としての側面として捉えられており、男性にしてみれば、書かれていることは腹が立っても、「たしかにその通り」と認めざるを得ない点が多く書かれていることは確かである。

読んでいて反論したくなるもの事実であろう。勝間さんは「ただ、絶対覚えておいてほしいのは、結婚したら、(プラトニックであるなしにかかわらず)恋愛は『配偶者としかしてはいけない』ということです。それを覚悟して結婚しなければダメです」と忠告する。

その断言につづく意見は、その結婚のルールを変えつつある先進国の例を、ただ子供をふやすためなのだとみなし、最終的には「結婚制度にも多様性を認めないといけないでしょう」という意見を提示している。

最初から最後まで、とりあえず「時間」なり「お金」なり数字として把握できるもので「恋愛」なり「結婚」なりを考察する視点は、読み進めて行くうちに退屈で最後まで読んでいない。

「四十路越え!」(ワニブックス)はそうした疑問に正しいかどうかは別にしてまったく新しい視点を提示してくれる。帰省する列車のなかで読み始め、引き込まれていっきに読み終えた。「オンナでつまずかず、女で生きろ!!日本の女子にかけられた1億人の呪いを弾き飛ばす、完全21世紀型生き方バイブル」と帯にうたっている通り、普通は、外見的魅力は衰えると思われている40代以降の女性がいかに魅力的に人生を生き延びて行くかを指南している本で、女性に向けて書かれていると思うが、男性(老いも若きも)も是非読むべき本だと思う。

これは50歳になっても結婚生活と恋愛とを両立させているという点で貴重な女性の証言であるが、彼女自身は「恋愛とは、99パーセント性欲である!」と断言してしまう点では勝間さんと同じく唯物論的な側面を持っている。

この本の素晴らしい点は「仕事」と「恋愛」を両立させるにはどうしたらよいのかを明確に指南している点である。

ひとつ例をあげれば、「最も危険なのは、本来は相手との関係性であるはずの恋愛が、この『尽くしループ』そのものの快感や自己承認という手段となってしまうことです」と「『恋愛依存』という病」にも警告を発している。

女性の立場からある女性と男性の「性」と「恋愛」を驚くほどの精緻さで、即物的に分析している。仕事、美容、ファッションなどについて非常に具体的にアドバイスしており、説得力ある内容になっているのだが、是非メモしておきたいのは、「健康法」についてのアドバイスで、彼女の生き方が現われている箇所である。

「面白いことには、たいてい無理をした時に出合える、と言っていい。無理をせず、安全圏で行動していると、もはや心はワクワクする機会を失い、非活動の坂を転げ落ちてしまう」と彼女は警告するが、その「無理」とはあくまで自分の心が「面白い」と感じることに続いてやることで、「悪い無理」のことではない。

この本を読んでいると女性について書かれている内容なのに不思議なことに元気がでてくる。ただ彼女は、ぼくのような、想いや想像力に支配されがちな恋愛についての考え方を、「妄想」であり、日本の若者にもみられるそうした精神構造を「鴨長明の呪い」と呼んで笑いとばしている。

そうした点ではぼくが心理的に共感するのが、高樹のぶ子さんの著作で、『うまくいかないのが恋』というタイトルそのままの内容を説明している。

「孤独オーラは男の心を動かす」「『恋愛の意味』が同じなら、先に進む」「『小さく満たされる人』より『大きく飢える人』になる」「恋愛は時間に敗れる」…本の見出しだけを見ていても説得力ある内容になっている。

驚いたのは、『透光の樹』を初めとする女性ならではの官能的かつ非常に精神的に厚みのある恋愛小説を書き、美しく実生活でも2回目の結婚生活を幸せそうにおくっておられるような著者が、予想されるとはいえ、やはりこれほど恋愛に喜びとともに苦しんでいたことだ。

彼女は「恋愛癖というのは、異性を求める性癖ではなく、実は自分が崩壊していく甘さ、辛さ、切なさを何度ももとめつくしてしまうのです。感情を初期化され、おどおどと不安にかられ、少年少女のように途方にくれるあの真新しい自分が、もう一度ほしくなる」と恋愛の喜びを書いている。

その結果としての「失恋」の「甘苦しさ」に対しても、「クスリも毒も栄養も知恵も、人間の骨身に届く大切なものは、実は『傷口』から入ってくるものなのですから」とそれにめげないよう鼓舞する。

ところで、帰省の帰りの列車の中では、横山紘一著『阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門』(幻冬社新書)を読んだのだが、3冊の恋愛論とはあまりに違った世界認識の内容だった。世の中のすべては「こころ」の在り方によってのみ存在するとみなす唯識の考え方によれば、すべては、存在しないはずの「我」に執着することから苦しみが生まれることになる。

たしかに「恋愛」は「わたし」と「かれ」「彼女」に対する執着の究極の姿で、「苦しみ」がそこから生まれることに異論はない。しかしその「苦しみ」こそが「悦び」でもあるという二重性にはこの著書は答えていないように思えた。(2011年5月6日。番場 寛)

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