「寒いから、あったかい」

いよいよ今年もあと3日となってしまった。近所を散歩していて何気なしに見た広告のポスターのことばに目が留まった。「寒いから、あったかい」。男女がお茶をおいしそうに飲む写真が添えられている。

あたりまえの因果関係を述べているのに、大切なことを忘れていたことに気づかされはっとさせられる。寒さという苦痛の感覚を喜びへと転じる視点を提示している。

翌日に検査を控えた23日のことである。食事制限をされたのだが、肉や脂肪だけでなく、野菜もだめだという。夜はおかゆに豆腐と何も入っていない味噌汁というおすすめのメニューの書かれた紙を渡されたので、それを持ってスーパーに行ったときのことだ。普段何も感じず眺めていた食材やお菓子や飲み物がすべて食欲をそそる対象として目に突き刺さる。

体はすこぶる元気で食べられないわけではない。食欲も普段以上にある。買うお金がないわけではない。すべて可能な条件がそろっているのに食べることだけが禁じられている。まさに食べることを禁じられることで初めて食べられることの喜びを実感することができるなんて。

あることをあえて禁じること、消すことで想像力を喚起するという経験は、26日の「アトリエ劇研」で上演(?)された「マレビトの会」のサウンドヴューと題された「@アッチ&コッチ~N市からの呼び声」(荒木優光 音響+演出)という、録音された音だけの上演でも経験した。

録音された街中の雑踏の騒音や人の声や歌や朗読を聞いていると、目には見えていない光景が浮かんでくるが、それは実際に目で見た光景より強く感じられるのだ。

また、昨日京都シネマでみたヴィム・ヴェンダースの「パレルモ・シューティング」の主人公も死にあこがれていたのに、死神に死をもたらす矢を射られる光景を目にする(現実のことかどうかはあえて曖昧にされている)と、初めて「生」がリアリティを持って感じられその生への執着が生まれる。

今日同じ映画館でみたエズミーハ・フィーリョの「名前のない少年、脚のない少女」もインターネットの虚構の世界と現実が入り混じる少年の日常を描いている複雑な作品だが、そのタイトルの「~のない」が示している通り、欠如によって初めて生まれてくる想像力の世界を描いた作品である。そこでも「死」は少年にとってそれが恐怖の対象であるがゆえに憧れの世界でもある複雑な心象風景が描かれていた。

さて、明日から故郷の雪国で過ごすのだが、厳しい「寒さ」を感じることで温かさを感じる喜びを経験してきたい。みなさまもよいお年をお迎えください。(2011年12月28日。番場 寛)

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