寺山修司はもはや伝統芸能になりつつあるのだろうか?-ニットキャップシアター「さらば箱舟」-

 記憶に残る寺山のすばらしい舞台や映画の感動を汚すことになりはしないかという危惧にもかかわらず、わざわざ伊丹のAIHALLまで見に行ったのは、ごまのはえさんの寺山作品の演出への好奇心と、何度かダンスのワークショップで一緒だった佐藤健太郎さんが、ダンスの場面の振り付けをし、役者としても出ていたからだった。

寺山の映画「さらば箱舟」はガルシア・マルケスの『百年の孤独』を舞台にした後、映画化したものだが、マルケス自身が映画を見て自身の作品との隔たりに怒り、同じ作品名を使うことを許可しなかったと記憶している。

『百年の孤独』では村人が全て記憶をなくしていくという病にかかり、身の回りの名前を忘れていくのでいちいち紙に書き、それを対象に貼っていくという場面から始まっていたと思う。今回の舞台では主人公が、自分をさす「俺」という言葉を忘れないように紙に書くのだが、大きく書かれたそれが。漢字の部首ごとにばらばらになる様を紙で表現していたが、これは天野天街が京都芸術センターで上演したときに用いた方法でもあった。

映画「さらば箱舟」では、筋も人物も大胆に変えられていたが、今回のごまのはえさんの「さらば箱舟」は映画とも異なっており、映画のセリフや筋を利用しながら、そこに寺山の別の作品の言葉も交え、さらに大胆に自己流に変えた、ごまさん自身の作品と言ってもよいものであった。

死体として生まれたゼロ(佐藤健太郎)が、「死体」を見て「(セックスを)シタイー、フォー」と叫ぶシーンが何度も繰り返された。エロスとタナトスが台詞でも重なりあうこの作品の本質を表す象徴的な言葉だった。「あの世」への手紙を運ぶために配達人が殺されるなど、概念をそのまま目で見てわかるように視覚化するという寺山の手法はそのまま活かされていた。

寺山の有名な遺稿のなかの「ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである」という部分はごまさんの書いた台詞にも使われていたが、「生」と「死」という対立する概念を接近させ、転倒させるという手法は、互いに求めあいながらも従兄妹であるため結婚を禁じられ、親に貞操帯のような鉄の蟹の形をしたものを股間につけさせられた女と男が駆け落ちをする場面にも、「享楽」とその「禁止」という対立するものの視覚化という方法は、今回の舞台でも際立っていた。

円形の舞台は客席からは見下ろすように掘り下げられており、時々そこから俳優が客席の床に這い上がり演じるというものだった。ごまさんが母親になり「シューちゃん、さあ、私の首をお絞め…」というとき、「J.Aシーザーの音楽が流れ」「アングラ劇のように唾を飛ばし…」などと寺山の演出そのものを説明する台詞を発するのを聞いた時、思った。ごまさんにとって、歴史的に高い評価を与えられた寺山の演出を復元しようとすることは、不可能というより滑稽なことに思え、むしろ新たな演出を生み出すことこそが大事なのだと言いたいのだと受け止めた。

それでも随所でみられる機関銃のように発せられる台詞まわしや、カーニバルのように楽器を演奏しながら全員が踊るシーンなど、つい、ああ寺山の演出はこうだったなどと懐かしさでいっぱいになり、逆に青森弁を発する役者(根元豊)を探してしまうなど自分に禁じている気持になってしまった。

今回の作品を見ていると逆に寺山の天井座敷の公演が何であったか分かる気がした。今回の作品はあくまでごまさんの演出によるまったく違う世代の新たな作品なのだ。それでも注文したいこともあった。舞台の中央に置かれた柱時計は、花婿を待ち続ける花嫁の時間を自由に進める役割しか果たしていないように見えたが、もし寺山の主題を尊重するなら寺山の作品においては「時計」というのは「権力」と同義であり、懐中時計はそれに抗う自由の象徴なのであり、今回の作品ではその対立はうっかりすると見落とされかねないほどぼかされていたように思えた。

J.Aシーザーの叙情的な曲をいっさい使わなくても、役者のオノマトペや木の箱を手で鼓のように打ち鳴らしそれに合わせて踊るなどすばらしい演出であったし、劇中に挿入された佐藤健太郎自身の踊りも、ダンスの振り付けも劇の展開と違和感なかった。

数年前から日本の各地で寺山作品が上演されているニュースを聞く。寺山作品の本質は失ってほしくないと思いながらも、彼の作品が能や歌舞伎のような「伝統芸能」のように演じられて欲しくはないという願いも抱いている。常に新たな演出を試みてほしい。ちょうどぼくの研究室を掃除していたら彼の色紙の複製が見つかった。これは1982年沖縄で映画「さらば箱舟」のロケの最中に書いたものであり、これは映画の中の台詞の一つであったものの複製だと説明が添えられている。こう書かれている。「百年たったら 帰っておいで 百年たてば その意味わかる」と。これは誰に向けて発せられた言葉なのだろう?観客に対してか? それとも寺山自身にか?

(これは喜納勝代氏所蔵のものの日本現代詩歌文学館制作の複製です)
 (2012年2月14日。番場 寛)
 

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