「すべての僕が沸騰する」(「村山知義の宇宙」展、伊藤キム振り付け「からだの森を行く」、安藤忠雄講演会)

 昨日(5月17日)に京都工芸繊維大学に安藤忠雄の講演会を聞きに行った。会場に並ぶ人だかりを見たとき、自分の予想が甘かったことに気づかされた。会場には700人入ると書かれていたので、安心していたが1000人を軽く数百人は超えていたのではないだろうか。ぼくは別会場で中継で映し出されるスクリーンで講演を聴くこととなった。
 安藤は世界的な建築家とその経歴(高卒、プロのボクサー、東大教授、・・・)と独特な風貌(すぐ後ろに並んでいた少女二人が携帯を覗きながら「うわあ70歳超えてるのにめっちゃかっこいいやん」と声を上げていた)とで広く知られているだけに、ミーハー的な自分を認めることにためらいがあったが、聴いて本当に良かった。何度も声を上げて笑い、彼の言葉に衝撃も受けた。講演のタイトルは「夢もって走れ」はまるで青春ドラマのタイトルで気恥ずかしい感じがしたが、講演を聴いているといつの間にか本当にその呼びかけに青年のように鼓舞されていた。

不思議なのは、「あきらめてはいけない」とか「感性」が大事で、「挑戦する勇気を持て」などのように、彼から発せられる言葉はどれも変わったものではなく、よく耳にするものなのにどうして、胸に響いたのだろう? それは依頼者の意向と土地の行政、それに予算とそして何よりも重要な自分の創作コンセプトとをすり合わせてぎりぎりのところで建設することに成功した彼の建物の制作過程の説明が感動的であったからだ。

例えば殆どはげ山であった直島に依頼者の福武氏の依頼を受け、植林から初めて、その景観を生かし地下に埋め、そこに滞在した芸術家がその美術館の壁に絵を描きたくなるようなものを造りたいというコンセプト通りに建築したら、実際にそこに滞在した画家が時価一千万を超える絵を無償で描いてしまったという話や、外国で低予算で廃屋を利用し、4年がかりで住民が余暇を利用し、美術館を建設した話など実例が彼の一つ一つの言葉を裏付けているから感動的なのだと思う。

またこれほど成功している彼だが、少し行き詰まったように感じるときには自ら自己の原点である狭い空間で宇宙を感じさせる利休の茶室と、その時代において人間の力でこれほど広大な建築物を立てた東大寺に行くという話にも納得させられた。

実はこの一週間ずっと考え続けている人物がいる。それは村山知義という芸術家で、5月13日の最終日にようやく京都国立近代美術館で「村山知義の宇宙」展を観ることができたのだが、この展覧会のタイトルを一目見たときから惹かれていた。

美術館としての展示作品は村山自身の作品は少なく、彼に影響を与えた外国の画家(肝心スキー、グロス等)や彼と同じグループで活躍した画家などの作品の展示が多く、どういう芸術運動の中で村山が活躍していたかを説明しているが村山自身の作品の特徴やすばらしさは通り過ぎるだけの鑑賞したぼくには分からなかった。

がぜん興味がわいたのは、彼がベルリンから帰国後、パフォーマンス芸術に目覚め、髪を伸ばした彼自身が踊る写真が展示されていたことだ。その後演劇の舞台装置やポスターなどの制作に携わるのだが、さらに驚くのは、その後子供向けの絵本制作に専心したことだ。
美術館で展示されていた絵本を動画にした「三匹の小熊さん」(文は村山の妻)があまりに面白くて、同じDVDを買ってしまった。

展覧会のカタログから、「日本のダヴィンチ」と呼ばれた彼の生涯をまとめるのには時間がかかるというか、不可能に思えてくる。「すべての僕の情熱と思索と小唄と哲学と絶望と病気とは表現を求めようとして具象されようとして沸騰する」という村山自身の言葉から採られたのであろう展覧会の「すべての僕が沸騰する」というタイトルがぴったりだと感じた展覧会であった。

実は13日はその後、京都造形芸術大学で伊藤キムダンスプロジェクトによる『go-on~からだの森をゆく~』という集団によるダンスパフォーマンスを観た。これが感慨深いのは昨年僕自身も2回参加した一般参加者を対象の京都芸術センターで開催されたワークショップのメンバーから希望者をつのりそこから選出されたダンサーと当大学の学生たちで構成された作品であることだ。

一部は「からだの森をゆく」という題そのもので、大学構内のある場所に彫刻のように配置されたダンサー(動いたり、静止したり)やジャングルジムや食堂のような部屋や、生きた蝶と踊る部屋などを観客が自由に歩き回って鑑賞するものであった。すでに劇団「マレビトの会」が「Hiroshima-Haptyon」という会場で俳優を展示してそこで演じるのを観客が見て回るというやり方と同じのだが、ダンスはより動きの可能性が大きく楽しめた(例えば、佐藤健太郎のグループが食卓で演じるダンスは、ピナ・バウシュの「カフェ・ミュラー」を思いださせた)

まず入り口では、若者の体は本当に美しいという当たり前の印象に自分で驚いた。レベルでは、ぼくは比べるべくもないが一緒に踊ったダンサーたちのめくるめくような演技を観るのは普通の公演を観るときとは違った喜びがあった。第2部の広場で観客が囲むように観るダンスは京都芸術センターのショーイングで観たときの振り付けと同じ部分もあったがかなり変えられていた。気になったのは男性(佐藤健太郎)数人の女性とからんでは、拒否されていくことを繰り返す演劇的なシーンであった。何度も繰り返されるのでその意図を考えずにはおれなかった。数日後そのシーンで踊っていた野淵杏子さんにお会いしたとき尋ねたら、毎回同じ力の要れ具合で同じ動作ができるまで練習した筈なのに、毎回違うものが立ち現れたという説明に驚いた。またもや浮かぶのは、ダンスとは紛れもなく「差異」と「反復」によって成り立っているという事実である。

「私たちのからだは、無機的な「モノ」であると同時に、呼吸し血がめぐりこころを宿す有機体でもある。(略)私たちはどこまで「モノ」でいられるのだろう? どこまで「こころ」を震わせられるのだろう? モノとこころの境界線はどこに?」(チラシより)と伊藤キムは問いかける。

わたしたちはどうあがいてもこの資本主義社会の中でなかば道具のように、なかば機能としてのみ身体を駆使している。そのため元来持っていたはずの、身体を動かし、それで他人と触れる喜びを忘れている。それを全面的に開放するのが芸術であり、コンテンポラリーダンスだと思う。

当日、ダンスを観た帰りのバスの中で一緒になったKさんが、村山知義について、ドイツ表現主義に見られた近代的自我の分裂を村山は体現しているのではないかという推論を述べた。それを聞いて、それは「自我の分裂」ではないのではないかと僕は思った。たとえばJ.ラカンは「あるシニフィアンはもう一つのシニフィアンに対し主体を代理表象するUn signifiant représente le sujet pour un autre signifiant」と言った。つまり確固とした主体が予めあるのではなく、主体は他のシニフィアンとの関係に置かれたシニフィアン(言葉)の効果(結果)として現れるに過ぎないのである。

『世界は「使われなかった人生」であふれている』というのは沢木耕太郎の著書の題名であるが、すべての人に使われなかった人生はある(「ダンサー」「画家」「建築家」「ボクサー」「俳優」・・・)。おそらく誰でもそうなのであろう。ただ村山や安藤などのような特異な才能を開花させた人というのはそれを意識的な集中力で全面的に開放して(「沸騰させ」)推し進めることに成功した人なのではないかと思う。

ところで、あなたの人生において使ってない人生は何ですか?(2012年5月18日。番場 寛)

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