「模倣」と「転移」(東京の二つの学会での思い出ぽろぽろ)

並木先生、ヴェステル先生のお二人が退職されたことでフランス語教師としての自分をリセットするために、授業を休講にして何年かぶりに日本フランス語教育学会(於 慶応大学)に参加した。驚いたのは現在の大学教育におけるフランス語の現状を反映してか、参加者の殆どはフランス人とすでに顔なじみの日本人専任教員であり、院生らしい人は殆ど見かけなかった。

一番聞きたかったのは菊池歌子先生(関西大学)の「説明をしない発音指導」という発表であった。初めてフランス語を習う学生に説明なしにどのように発音を教えるかという具体的な方法が示されとても参考になった。二日目の「就学言語としてのフランス語:フランスにおけるニューカマーの子どもへの言語教育支援と複言語主義教育の可能性」(京都大学大学院学生、大山万容氏)は、移民2世3世の子たちにフランス語を教えるとき複言語主義をうたっているものの、実態は、単語以外は移民の言語を殆ど教えることなくフランス語教えること一辺倒になってしまっている現状が報告された。

また、Azou Begagという作家を例にとりフランスのアラブ系二世文学の受容とその価値について阪南大学の真田桂子先生から発表があった。特殊な状況に置かれた者のアイデンティティを問うテーマは予想通りだったが、それが文学として評価されるためには普遍性を帯びていなくてはならないということが確認された。他の先生の発表も興味深かったがここでは割愛する。

翌日は東京大学で「日本フランス語フランス文学会」に参加した。一番聞きたかったのは蓮見重彦先生の「フローベールの『ボヴァリー夫人』― フィクションのテクスト的現実について」という特別講演である。東大退職後依頼される殆どの講演を断っておられるのに例外的に今回の講演を引き受けられたというだけあって『ボヴァリー夫人』への特別な想いがうかがわれた。

文学作品を分析するときの理論を、1 物語の理論、2フィクションの理論、3テクスト生成の理論に分けられると断った上で先生が本講演で目指すと宣言したのは、テキストの「見せかけの自明性fausse évidence」を疑うことであり、「テキストのフェティシズム批判」である。

メモが残っていないため、残念ながら豊かな講演の殆どを紹介することができないのだが、一つだけ強烈な印象を受けた指摘がある。それは小説の主人公、エンマとその夫であるシャルルについてである。蓮見先生によれば、小説の前半ではエンマがシャルルの行為を模倣しているのだが、エンマの失神を契機として今度はシャルルがエンマを模倣するというのだ。例として人に5フランを恵む行為をあげられた。

『ボヴァリー夫人』はフランスの小説で一番好きなものだと僕は公言しているくらいなのにこのことには初めて気づいた。それと同時に思ったのは、「なぜ?」ということだ。

これらの行為は「模倣」というより無意識に行われているわけだからむしろ精神分析で言う「転移transfert」にあたると思う。だがいつも文学作品を論じるとき思うのは「誰の無意識なのか?」という問題である。エンマもシャルルも実在の人物ではなく(モデルはいたと言われているが)、フローベールの作中人物である。では作者フローベールの無意識なのであろうか? そしてそこに読書によってそれに同一化した蓮見先生自身の無意識なのであろうか? 

精神分析の「転移」とは、分析の場面において分析を受けている者が、自分が強く情動を動かされた過去の経験を、その原因となった父親や母親やその他の人物の代わりに分析家に対し言葉によって向ける現象である。そのときには分析を受けている者は、分析家に対し、「この人は自分のすべてを絶対知っているはずだ」という信頼のもとに語ることが必要である。そのためラカン派では分析の場面の分析家のことを「知っていると想定される主体sujet supposé savoir」と呼ぶだけでなく、なかには「転移」というものを「知っていると想定される主体」とほぼ同義だとまで言う人さえいるほどである。

一度行われた行為や言動を繰り返してしまうこと、またそれを「反復」されたと発見するときの心理についてずっと考えている。ラカンは「転移」を『セミネール第8巻』で、プラトンの『饗宴』に出てくるソクラテスとアルキビアデスとアガトンの三人の関係で説明していた。それを思い出したとき31日に観た薪能での「口真似」という狂言を思い出した。あれは客をもてなすため主人の言われたとおり口真似するよういわれた家来がすべてを口真似してしまうため引き起こす笑いであった。いつも思う。なぜ言葉はそれが発せられた時と場を変えて、まったく同じものが繰り返されると感動的であったり滑稽だったりするなのだろう?

実は例の蓮見先生の講演が行われたのは七〇年代に全学連が機動隊に追い詰められて放水された歴史的な記憶の場でもあった。その日はお茶の水にホテルをとっており翌日お茶の水駅のそばを通った。学生時代に通った場でもある。昔その駅前広場はヘルメットを被った学生が拡声器で通行人を自分たちの主張を訴えていた場である。

しかし当然ながら現在のそこにはヘルメットを被った学生はいない、と思ったら一瞬、目の錯覚かと思ったが赤い横断幕を掲げ拡声器で訴えている人がいた。見ると腹の出た中年の男性であり、某有名予備校の非常勤講師の解雇撤回を要求する訴えであった。学生運動がさかんなころは研究者で大学教員への道を断念して予備校講師になった人も多いと聞いたことがある。学生時代にヘルメットを被って活動した人が中年になり少子化の波をうけ解雇撤回を訴えているとしたら・・・などと想像してしまった。その人にとっては「転移」や「模倣」どころの話ではないであろう。

学会で学生時代、フランスに留学していたときにお世話になった多くの人に会ったのに、ごく一部の人にしかお礼が言えなかった。非礼を許してください。大学の教員として教えることのできる喜びを再確認できたとともに過去の懐かしい思い出が一気に蘇った3日間であった。(2012年6月6日太陽に金星のほくろが見えた日。番場 寛)

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