「所有」について(2)―坂口恭平『独立国家のつくりかた』を読んで『箱男』を思い出す―

祇園祭のさなか、田舎で過ごし戻ってきた。長い車中と実家で坂口恭平の『独立国家のつくりかた』を読んでいた。車窓からは畑や森や空き地に様々な家が点在しているのが見える。あんなところにも人が住んでいる。あそこの生活はどんなだろうと思った。 
 
この本を読んで感じたのは、ちょうど「理性をも含むあらゆる拘束からの全面的な解放」を唱えた芸術運動のシュールレアリスムやJ=P.サルトルの「アンガージュマンengagement(現実参加)の文学」という概念に初めて触れたときに似た興奮であった。
 
それは、シュールレアリスムや「アンガージュマンの文学」は、文学や芸術とは絵空事の世界ではなく、この生きている現実と直結しており、ひょっとして現実をも動かせるかもしれないと思わせるに充分な力を持っているものだという考えを与えてくれたからだ。
 
だが両運動とも、多くの人の思考に影響を与えたが、政治との葛藤において現実の人の生活に有効に作用することはなかったようだ。ところがこの本の著者のすごいところは確実に現実において銀座4丁目の「誰のものでもない土地」に政府を建ててしまったことだ。そして現実において福島の子供たちを無料で長期休み期間に一時避難させることを実行し、しかもそれが自治体をも動かしていることに驚く。

あまりに豊かな発想と実行力に満ちたこの本は要約するのが愚かに思える。是非読んで欲しいと思う。冒頭に掲げられている坂口が子どもの時から抱えている質問は、おそらく誰でもが抱いていた筈だが、大人になると忘れるというより問うことさえ自らに禁じてしまうような問いである。その中でも最大のものは「人は金がないと生きのびることができないというのは本当なのか」と「誰のものでもない筈の土地がなぜ所有されており、所有してない者は家賃を払い続けなくてはいけないのか」というものである。

彼がそうした疑問を持ち続け、それに基づいて次々と行動を広げているきっかけになったのは、かれが会った俗にいうホームレスの人たちがゴミと言われているものを使って自分で家を建て、都会の「資源」を利用して殆ど無料で生活している現実を目にしたことだ。

この部分を読んで即座に思い出したのは安部公房の小説『箱男』である。段ボールを被り移動式の住居とする主人公を設定し、それにより国家とは何かという問題へと掘り下げた小説であったが、まるでその小説が予告していたかのように、以後東京のあちこちで、段ボールで生活する人たちが問題になり、都心からは追いやられていると思っていた。しかし実際は誰のものでもない土地を中心に日本のあちこちで不動産ではない移動式の住まいを実際に建て、生活しているひとたちのことがこの本に書かれていて驚かされる。

ずっと昔にある学生が、「これイッセイミヤケがデザインしたホームレスのための服なんです」と着ているつなぎの服を見せてくれたことがある。本当に三宅がデザインしたのかどうだか確かめたことはないが、美術館でも展示されているのを見た記憶がある。寒さや痛さから身を守り、地球のどこでもそのまま寝ることができる服があるとしたならどんなに素敵だろうとそのとき思ったが、坂口が実際に造ったモバイルハウスはその夢を叶えてくれるものだ。

しかしこの本の著者は既存の国家や資本主義社会を破壊しようとしているのではなく、現実の社会を単一のものと考えるのでなく、いくつもの「レイヤー(層)」から成り立っているものとみなすことにより、より自由な人間関係を結び「交易」を行うことを可能にしようとするのだ。そうした人の顔の見える交流によって成り立つ経済活動を、資本主義経済に対して「態度経済」となづける。そうした活動を彼は「芸術」とも名づける。

こうした活動は寺山修司が行っていたことにも似ているかもしれない。発想を転換すること、かれが突然誰かのアパートのドアを俳優にノックさせたり、街頭で演劇をしたりしたのは、日常は確固としたものではなく、それは想像力によって変えることができるということを示したかったからだ。

さらに坂口が感動させるのは、彼は躁鬱病者であり、鬱のときには強烈な自殺願望にとらわれ、それに打ち勝つため必死で考えるということが告白されているからだ。これを読めば似た病を持つ多くの人も勇気づけられることだろう。

この本を読んでわいた疑問とは、かれが既存のこの資本主義社会と、子供の頃の問いを忘れたふりをして動いている社会を「無意識的社会」「匿名の社会」と読んでいることだ。この本と似たテーマを小説に書いた『箱男』では、段ボールを被って個人の身元が消える状態を「匿名への夢」と語っていた。安部公房自身も逆説的にそうした社会を批判していたのだろうか? 

この本を読むと確かに元気が出るのだが、今の自分に何ができるだろうかと考えるとおぼつかなくなる。ふとイスラエルのダンスメソッドである「ガガピープル」のワークショップに参加したときに指導者から言われた言葉を思い出した。「あなた方は踊っていないときでも、たとえば電車を待っているときでもこの時の身体を思い出すことができます。そうした心の状態になったときあなたはすでにダンサーなのです」。

動かしようがないほど堅固で、絶望的に見えるこの世界も、考えぬいた果てに生まれる想像力で見方を変えれば、違った展望が開けるのではないか? そんな希望をこの本は与えてくれる。彼に考えてもらいたいというより自分で考えたいのは、このブログでもたびたび書いてきた、恋愛における「所有」のことだ。否定すべきものと思いながらも困難な「所有」という欲望の否定を恋愛や結婚にまでも広げたならこの社会はどんな社会に変わるのだろう?(2012年7月17日。番場 寛)

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