パリからの電話と、京都で見たある電話の光景

 パリと田舎と京都とを移動し、様々な想念に溢れていたが、実は軽い鬱の状態だった。とうとう夏休みが終わってしまい、ふと気にはしていたが論文の締め切りが迫っているからだ。パリの研究会に参加した成果をもとに「ボロメオの結び目」をテーマに書くつもりでいるのだが、なかなか進まない。授業も始まりその準備もしなければならない。そう思い憂鬱な気分が増していた。

そろそろ寝ようかと思っているときだった。電話が鳴って、だれだろうと思ったら、毎年のようにパリに行く度に一回はお訪ねして、お話をすることを楽しみにしているK夫人(日本人)だった。彼女はご高齢で夫亡き後、サンジェルマン・デプレのど真ん中のアパルトマンに一人で住んでおられる。彼女の作ってくださる食事をいただきながら彼女の過ごしてきた人生のこと、現在のパリでの日常、亡き夫の絵の展覧会やカタログ制作のことなどを聞くことが多い。老人特有の、ときにたどたどしくも感じるゆっくりとした話しぶりなのだが、聞いていて心地いい。「・・・さんはせっかちだから・・・」とよく言われるように、ぼくはいつも何か時間に追われている感じがするというより、自分の時間ということに貪欲で、たとえわずかでも無駄だと感じる時間を過ごしたくないと思ってしまうのに、限られた日数の中でのパリ滞在で、彼女の話を聞き、ほんの少し自分のことを話し、聞いてもらうのは、いつしかかけがえのない時間になっていた。

「昨日からパリも急に寒くなって、日も短くなったし、そう思ったら何か心細くなっちゃったの」「今日はリュクサンブール公園にいたんだけど、閉める合図の笛で追い出されたの・・・」誰かに話したいと思ったとき日本にいる僕が浮かんだことを嬉しく思う。

経済的には不安のない状態とはいえ、孤独の中、何て強い人だろうと思う。パリで何年も暮らしているうちに日本の女性も強靱になっていく。それに伴い日本の女性としての優しさを失う女性も多く、まるでかさかさになっているように感じる対応を受けることもあるが、Kさんは本当に強いと思うのにみずみずしさ、優しさ、茶目っ気を失わない人だ。

ふとパリでの9日間をすごしたレピュブリック広場近くの、人の行き交う通りで信号待ちをしているとき、ふとあたりを見渡した瞬間を思い出した。あの人もこの人もせわしなく歩きながら耳に携帯をあてて話している。人はどうしてこうまでして話さなくてはならないのだろうと思ったし、日本はどうだったろうかと思い出そうともするが浮かばなかった。

京都に帰ってから何日かたったある日のことだった。四条烏丸の交差点から少し離れたところにたばこ屋があり、客に店員が売るための小さな窓がある。そこに立ち、「う、う」と言葉にならない声を発しながら、必死で身振り、手振りで相手に向かって何かを伝えようとしている若い女性がいた。すぐに手話だと分かったが、驚いたのはその窓口には誰もいないのだ。どうしたことかと思ったらその窓口にはその女性のものと思われるスマートフォンが立てかけてあり、女性はその画面に向かって手話で話していたのだ。画面には男性が映っていた。人と話すことがどんなに嬉しいことであるかがその女性の体から溢れ出ていた。

ラカンは人間のことをparlêtreと呼ぶことがある。この語は「話すparler」という動詞と「存在être」をくっつけた語であり、「話存在」とか無理に訳すことが多い。つまり人間は話すことで存在意義を見いだしているような動物だという意味なのだろう。

あなたもぼくもどうせparlêtreなのだとしたなら、相手のことを思いやりながら、話すことをたっぷりと楽しもうではありませんか。(2012年9月24日。番場 寛)

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