太田省吾の思い出ぽろぽろ(杉原邦生演出「更地」を観て)

 会場に入るとすでに舞台上には男女がひとりずつ立ち、前を向いたまま視線を合わせず、すり足に似たゆっくりとした動きで「更地」と大きく書かれた上を歩いている。

 流れているピアノの曲を聴いたとき一気に何十年も前に東京で太田省吾の劇「水の駅」を観たときの記憶が蘇ってきた。そう、エリック・サティの「三つのジムノペディ」の導入部だ。

東京に住んでいた頃、ぼくは寺山修司、晩年の安部公房スタジオと並んで、太田省吾の劇に夢中だった。彼の劇で使われていたことで、サティという名前を覚え、それから何年か後、これだったら自分でも弾けるかもしれないと思い、習うのは恥ずかしいので、ピアノの自習用のソフトを使うためだけにパソコンを始めたのだった。結局は挫折したのだが、フランス文化の授業でもサティの曲を紹介したことがある。コマーシャルなど日常にこの曲を耳にする機会が多く、その度にこの好きな曲をこんなに無造作に流さないでくれと心の中で祈った。

しかし今回の杉原の演出した導入部は、彼が大学で習った太田省吾の思い出を表したに過ぎないのであり、彼の本領は実際に舞台上の二人が言葉を交わすところから始まった。

家の解体後の更地に男女の二人が、これからのこと、過去の巣立った子供たちのことを話しあう会話劇で、強い葛藤や対立など、いわゆる劇的な展開は見られず、夫婦にありがちな自然に聞こえる会話が続く。

実はこれを観る前に、1992年に太田自身の演出によって神奈川芸術センターで初演されたときにわざわざ観に言ったときの記憶を呼び戻そうとするのだが、ほとんど思い出せなかったのだ。「~の駅」という一連の沈黙劇を観た時の思い出が鮮明なのに、この会話劇の思い出が殆ど残っていないのはなぜかということは疑問だった。

もう十年以上前だろうか、太田が教えていた京都造形芸術大学で劇を観た後、観客を招いて軽いパーティのようなものが催された。そのとき勇気を振り絞って太田に話しかけ、東京に住んでいた頃、あなたの劇に夢中になっていたことを伝えた。その本人に話せたことが夢のようだった。

舞台上の二人は太田の戯曲の設定とは異なり、若い二人で、しかも夫役の大窪人衛は中性的で観ていて最後まで、女性が男性を演じているようで、男性なのか女性なのかわからないほどで、その若い二人を観ながら劇中人物としての老年夫婦を想像しながら観るのは不思議な体験だった。

杉原の演出と俳優の演技のおかげだろう。今回はこの劇が自分なりにすっかり分かった気がする。途中で更地と大きく書かれた黒い幕で舞台全体を覆い、その幕の下に潜り込んで、過去の思い出の品物を引っ張り出してきて、それを元に会話が組み立てられていく。

演出した杉原は勿論のこと、観客の多くも3.11後の瓦礫の下に埋もれてしまった多くの人の思い出の品を想像したのではないか。また、あの幕は記憶の堆積の隠喩を視覚化したものとも見える。

しかしそれとは別に今回これを観てある確信にも似たことが分かった。それは、太田は恐らくサミュエル・ベケットの「美しい日々Oh!les beaux jours」の影響を受けているということだ。この劇の画像はネットで観られるが、ぼくは何十年か前にパリの劇場で、マドレーヌ・ルノーが老婆で日傘をさしたまま、土に埋もれているのに微笑みながら、自分の過去の「美しき日々」を延々と語り続け、夫のジャン・ルイバローはその土の山を這いつくばりながらよじ登る姿を観たことを思い出した。

しかし今回の劇の最後には二人の夫婦により、舞台全体が虹色の幕で覆われた。杉原はこの最後のシーンが最初に頭に浮かんだという。彼の演出した夫婦の会話は過去の思い出を語っているのになぜか未来のことを語っている印象を与える。

ベケットの「美しい日々」も太田の演出した「更地」も一見暗い印象を受ける作品だった。しかし今回の杉原の演出した作品は、「屋根がなくなると、こんなに星があったんだ」(そのままではありません)と感動する台詞がなぜか明るく感じられるように、「更地」という、これからここで何かが始まるという希望が感じられる作品になっている。

あと、まったく個人的な経験だが、妻を演じている武田暁の顔と、柔らかな優しそうな声にどこかで会ったことがあると思ってチラシの経歴を見て分かった。2年前(?)、松田正隆演出の「HIROSHIMA-HAPCHON」(京都芸術センター)の終了後の打ち上げで松田さんに誘われて四条通りに面した居酒屋にいたとき、しばらくの間話したその女性だったのだ。独学でフランス語を勉強していると教えてくれた。名前も忘れたのに、その後彼女が働いているという書店に行くたびに彼女の顔を探したのだった。こんなにうまい俳優だっとのかと改めて驚いた。

劇を観ながら、まるでぼくこそ覆われた幕に潜り込んで堆積した自分の記憶を掘り起こしているような体験だった。(2012年10月5日。番場 寛)

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