フォルテピアニシモ? ―大野慶人舞踏ワークショップに参加して―

 長い間苦しんだ論文をようやく提出した。この数ヶ月間は自分だけが深い沼の底に沈み水面にゆらめくまばゆい光を暗い底から眺めているような息苦しさを感じていた。

苦しみ考え抜いた末にどうにかたどり着いた結論でも、まだ不十分だと自分でも思う。論文に締め切りと制限枚数があることで、ある時点で打ち切らなければいけないということは幸せなことなのだろう。

そんな中、12月21日に土方巽の「疱瘡譚」(1972)と大野一雄の「ラ・アルヘンチーナ頌」(1977)の上映会に行き(芦屋、アトリエ・ゾネにて)、上映の後、大野慶人さんのレクチャーと彼の踊りを観た。その続きでよく22日に大野慶人さん自身のワークショップ(三宮、デザイン・クリエイティブセンターにて)を受けてきた。

最初は「空間を造る」というレッスンで、ダンサーにとって必要な空間把握の具体的な方法として、「自分の身の回りの空間に愛情を込めて(心の中で)語りかける」というものだ。参加者はそれぞれ壁や天井を見つめたり、床に触れたりするのだが、これは「京都の暑い夏」で経験した「触ることで『聴く』」というレッスンと同じだと思った。

次に二人で互いに向き合い、両手を握り引っ張り合う。その後一人で立つと身体にその抵抗感が残るのだが、それを一人でもやることで緊張感をつくることができるという教えであった。

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ここに載せた写真はワークショップで大野さんが参加者に配ってそれを使いながら教えたときのものである。

「薔薇はどこから観ても薔薇であり、裏も表もない。そのように自分の全身をさまざまな角度から観る眼差しを意識しなさい」と言われ、造花の薔薇を各自持ちながら歩く。

この薔薇は、果てしなく上方に向かう力と、反対に地下に潜っていく二つの方向に引っ張られていることを意識して立つということと、ワークショップのタイトルでもある『本質と存在』という概念を説明するのにも使われた。薔薇の花がどのようにそれと関係していたかはよく分からないが、彼の言う「本質的なもの」とは「高い」とか「低い」というように、どんなに外観が変化しようと「変わらない概念」のようなものだと思った。「変化する外観」により、その「変わらないもの」を見せることができるとき舞踏は感動させることができるのだろう。

具体的な身体の動きの教えではっとしたことがある。それは「秘すれば花」とい世阿弥の言葉を引用して説明したとき、手の親指を掌の内側に入れるように指示されたのだが、それは腕の内側を隠す動作にするためだという。そのとき大野さんが言われたのは腕の内側は「肉感的」なのでそれを隠すためだということだ。能を習っていたとき基本姿勢で腕の内側を隠す姿勢をとらされていた訳が分かった。

また「紙一重」というテーマのレッスンでは、興福寺の阿修羅像が感動を与える原因の一つとして合掌しているが両方の掌の間にわずかの隙間を空けているからであり、それが調度紙一重の厚さであり、その厚さを保ったまま踊るということでティッシュペーパーを全員が挟んだりそれで花を造ってそれを造ったりしてそれを持ったまま踊る練習をした。

郡司正勝の言葉「人間の体というのは『からだ(空だ)』」を援用しながら、いかに夾雑物を取り除くかが大事なのだと大野さんは説明する。それは、空にしてから身体を「造る」ためなのだ。

分かったことは、かなり身体に意識的に負荷をかけることにより、緊張感を生み出しそれは同時に身体の夾雑物を取り除くことに繋がるのではないかということだ。

「後ろ」ではなく「背中」で表現するということも教わったが、自分の年齢を考えたとき勇気づけられたのはこのレッスンであった。白い真綿を各自が渡されたがそれは生糸の綿で、大野さんはそれの端をつまみ引き延ばしながら、最初はどうしようもなく堅く思えたものもこうやればどこまでも引き延ばし糸を紡ぎ出すことができることを、ダンサーの肉体にたとえ、年をとり堅くなったとしても別のやり方で柔らかい身体のあり方を獲得できるということを教えた。

分からなかったのは最後に全員にタオルや手ぬぐいを配ってそれを絞る動作をさせながら言われた「フォルテピアニシモ」という教えである。意識を集中させ力をいれて絞るのであるが、それは同時に「ピアニシモ」にも似た微細なものでなければならない。それは「広い部屋で踊るときは動きを小さくしなければいけない」と土方が教えたことに通じるのだそうだが、その言葉だけは分かりそうで分からない。最後に全員で部屋の端から端まで「真っ直ぐ歩く」というレッスンをしたとき僕だけが早くついてしまったのは、そのためなのかもしれない。

「生活がそのまま練習だ」「千の変化よりもひとつの変貌を」のような、土方巽や大野一雄という天才の言葉が、大野慶人さんの身体を通してわれわれに確かに届いたと思った2日間であった。(2012年12月23日。番場 寛)
 

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