教育関係者にも観て欲しい映画、想田和宏監督『演劇1・2』

 これは、平田オリザと、彼の主催する「青年団」の活動を追った、前編と後編を1と2とした、それぞれ上映時間は2時間50分を超えるドキュメンタリー映画である。

「どうして平田さんばかりあんなに外国で評価されているのだろう?」とある知り合いの劇作家・演出家から聞かれたことがある。パリの書店の演劇コーナーに行けばフランス語訳の平田さんの作品が並んでいる。この映画にはその秘密が描かれている。

平田さんは最近出た『わかりあえないことから コミュニケ―ション能力とは何か』(講談社現代新書)で、日本の演劇人は外国人に、自分の行っていることの素晴らしさを相手の分かるように論理的に話す努力を怠っていると書いている。『演劇2』においてフランスで自分の作品を上演するときに日本人の俳優の出演料を上げるように交渉するシーンがあるが、そのコミュケーションの方法が見事だ。

平田オリザさんには個人的に2度直接話したことがある。一回目はもう十年以上前だが、世田谷パブリックシアターでフランスの「太陽劇団」の劇を観ていたときのことだ。偶然座席の隣が平田さんで、勇気を持って話しかけた。前に京都で観て、本当に感激した松田正隆作・平田オリザ演出の「月の岬」という作品に姉弟の無意識的な近親相姦が隠されているか確認したかったからだ。すこし戸惑いながらも平田さんはきさくに答えてくださった。そのとき、ついでに一緒に観ていた「太陽劇団」の作品の感想を聞いたら、本当にフランスの俳優はうまい。俳優が国家によって身分を保障されており、アルバイトをしなくてもよくて、練習に専念できるからだという説明だった。

この二つの映画で劇場の場面で必ず映し出されるのは、壁の高いところに飾られている「まず食うこと、それから道徳だ」(「三文オペラ」ブレヒト)という色紙の言葉である。「青年団」の劇を観るたびに関心するのは、確かこのブログでも前に書いたことがあると思うが、若くない俳優も多く演じていることだ。

まず金を稼ぎ、生活しなくてはならない。劇で収入を得るか、他の仕事で得なくてはならない。この映画を観ているといかにして劇団経営を成り立たせているかの平田さんの努力の光景を目の当たりに見ることができる。それに加えて、他の劇団の作品に出るため練習を休んだ俳優をしかる場面や、劇団の仕事に応募してきた人に対する面接の場面や、経費を計算する光景だけでなく、劇団の俳優たちが自分たちで、機材を搬入し、舞台を組み立てて造る場面なども描かれており、いわば普段観客には「作品」としてその結果しか観ることのできないひとつの演劇作品の「製造工程」の裏側をあますことなく見せてくれている。

経営がうまくいっている数少ない劇団に見えるが、3年ごとに提出してい企画書が通らなくて補助金がもらえなければ、その「青年団」も解散しなければならないという話しに本当に驚いた。ではいったいぼくがよく作品を観ている他の劇団はどうなのだろう。

平田さんに2度目に会ったのは、最初に言葉を交わしてから数年後だったと思う。北大路の地下鉄の階段を、リュック一つをしょって駆け上がってくる平田さんを見かけて、嬉しくなっておもわず名乗ってしまったのだが、当然だろうがこちらを覚えておられなかった。

その日ではなかったかもしれないが、「アトリエ劇研」で「ソウル市民」を上演したときだ。平田さんは、終演後出口に立ち、にこにこしながら観客のひとりひとりに頭を下げていた。そのとき平田さんはすでにかなり有名になっていた。その人が、東京から遠く離れた、わずか100名にも満たない小劇場の観客のために頭を下げて送り出しているのだ。いわゆる善良な日本人の本人のまったく意識していない「差別意識」について描いた劇作品への感動にもまして、その平田さん自身の姿に胸を打たれた。

この映画には平田さんが著書で書いている「コミュニケーション」というものをどのように考え、実践しているかの実際の姿を見ることができる。それは俳優へのダメ出しは勿論のこと、中学生や教師相手に日本の各地で行っている「ワークショップ」の光景にも現れている。たとえば、十数名の教師をグループ分けするとき、「好きな食べ物」で分けさせようとするとうまくいかない原因を考えさせていたときのアドバイスだ。「こどもにうまくいかない責任を押しつけてはいけない」というのだ。

「人と人とは簡単にはわかりあえない」ということは結果ではなく、それを出発点としていかに工夫してお互いを理解するかというのが彼の信念であり、演出であると思う。

俳優が舞台で「同時多発的」に話すなど、リアルな会話に成果として現れた「コミュニケーションの追求」の帰結として彼が「ロボット演劇」に行き着いたとしても驚くべきことではないだろう。

俳優の台詞の間やニュアンスを細かく指導している光景はそれをコンピューターのプログラミングでロボットに実現させようという試みに繋がっているのが映画を観ているとよく分かる。ぼくは「演劇1」で俳優たちが練習でロボットのように正確に台詞を何度でも繰り返すことができることに感動した。

忘れてはならないのは、この映画作品は、前にこのブログでも書いたが(観るべき映画、想田和宏監督「精神」)、精神病で苦しみながら生きている患者たちのドキュメンタリー映画を撮った想田和宏の作品だということだ。

映画の最後に入る平田さんの大きなイビキの音は、かれが演出の休憩時間か列車での移動時間を利用して以下に眠って疲れをとることができるほど、激しい生活を送っているかを象徴的に音で表していた。それとは逆に劇団員の光景を移しているシーンで突然「音」を消すシーンが何度かあった。観客は突然、その光景を離れた別の次元で考えることになる。それは「精神」でも映っていたが、白い猫が映るのだが、映画の進行とは関係ないそれも似た効果を生み出しているのではないか。 

平田さんは前掲の本で「人を説得できる、人びとを力強く引っ張っていく能力」としてその必要性が声高に叫ばれている「リーダーシップ」に対し、「しかし、私は、これからの時代に必要なもう一つのリーダーシップは、こういった弱者のコンテクストを理解する能力だろうと考えている」と書いている。この映画では平田さんの二つのリーダーシップがあますところなく描かれている。舞台関係者は勿論のこと、教育関係者、組織で働く多くの人にも見てもらいたい作品なのだが、両作品ともあまりに短い上映期間で、しかも一日に一回しか上映されなかった。ぜひ再上映をお願いしたい。(2012年12月28日。番場 寛)

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