Final home(「究極の家」、「終の棲家」)という服

 あなたは、どんな「物語」を求めて服を買うのだろうか?

2月21日、金沢21世紀美術館に行ってきた。今回は新聞の記事で紹介されていた「Final home」と題された服の展示を観るのが第一の目的であった。

 最近は殆ど見ないが、同じ夢を何度か見ることがある。自分は、実際は築の浅い、鉄筋のアパートに住んでいるのに、その夢の中では、壁がなかったり、引き戸のように簡単に外部から入れるようになっていたりする部屋に住んでいるのだ。恐怖は感じないが、見知らぬ他人の声まで聞こえるのだ。それはちょうど、寺山修司の『レミング』という劇で突然世界から壁という壁が消えてしまう場面のような夢だ。

 この夢を見たことを、フランスで分析を受けるときに話すと、分析家は、それはあなたの不安を表しており十分理解できると言う。他人に話さなくても自分でもすぐに分かることだ。

退職して現在のような収入のなくなったときのことを考え、多量の本をすべて置くには不十分でも、雨露をしのげ、寒さや暑さから身を守ってくれるには十分な住まいを購入したのだが、場所とともに騒音には十分配慮し、自分にとってはほとんど理想的な住まいだと思っていたのに、やはり不安は残っているのだった。

日本語の「家」という言葉には「建物」「住まい」という意味の他に、「血縁関係」という象徴的な関係を表す意味がある。それは「墓」が石や形を表しているのではないのと同じだ。身を守って最低限の生活を送ることを保証しながら、自由をも守ってくれるそんな「住まい」を望むのは無い物ねだりなのだろうか? おそらく誰でも感じていることなのだろうが、「共同体」での「自由」と「拘束」とは自分の深いところで続いている問題なのだろう。

不動産と呼ばれる「家」に対する概念を根本的に否定した坂口恭平の『独立国家のつくり方』についてはすでにこのブログで書いた。そこに出てくる「モバイルハウス」という考え方にはすっかり惹かれてしまった。映画でも見たが(『モバイルハウスの作り方』)、「通販生活」というカタログにそれが近日売り出しというどこまで冗談なのか分からない製品として紹介されていたのには驚いた。

そんなとき新聞で「金沢21世紀美術館」で展示されている、ファッションデザイナー津村耕祐の「Final home」という服についての記事をみつけた。この服のコンセプトは前にこの『独立国家のつくりかた』について触れたブログでも書いたが、ずっと昔一人の学生が紹介した「ホームレスのための服」と発想が一緒で、現物を見たい、そしてもしそれほど高くないなら買ってきたいと思ったからだ。

同美術館のデザインギャラリーに、作品として高いところに吊されて展示されていたその服は半透明で、中に新聞紙や他の色のついた紙が詰められていた。服のいたるところにつけられているファスナーを開け、そこに新聞紙を詰め込むことで寒さや、地面の固さから身を守ることができる。つまり雨さえしのげればその服を着ていることがそのまま住まいになる、いわば「モバイルの家」とも言えるのだ。Final homeとは、そういったコンセプトを言葉にしたものだが、絶妙なネーミングだと思う。

実は、その展示の前に、同美術館で,ス・ドホという韓国出身の芸術家の「パーフェクト・ホーム」という展示を観た。
 
それはかなり大きな建物の模型の展示だったが、驚いたのは薄緑がかったり、薄い青色がかったりした透明な、中が透けて見える建物なのだ。プラスチックではなく、ストッキングのような素材でドアや金具や屋根の瓦までも、すべてがそのストッキングのような透明な素材で造られていた。これらは「『空間をスーツ・ケースに納めて運ぶ』という発想から始まった『ファブリック・アーキテクチャー(布の建築)』」と呼ばれる作品群だとチラシには説明されている。

僕が何度が夢で見ていたのは、壁が透明な家ではなかったが、外から丸見えだという点ではこの家とまったく同じだ。この作者は他に、飛行機かヘリコプターで、空に家を吊しパーシュートをそれにつけて落下させ、下の家にそれがぶつかり破壊されている光景の模型と、精密な集合住宅が真っ二つにされ内部が見える模型をも展示していた。

まったく異質な作品にみられる共通点は、「内部が完全に覗ける家」という発想である。もし実際の家がストッキング素材で造られておれば住むことはできないのだが、居住空間を保ちながら外部とも交流可能な空間がもし本当に可能ならそれは日本の伝統的な家屋の縁側といった発想の延長線上にあるだろう。現実の家ではそれができないからガラス窓がはめこまれているのだろう。

最初に紹介したFinal homeと題された服はすぐ横のショップで販売していた。服を着脱するためのものとは別のファスナーが縦方向に前と後ろに二本、左右の腕に一本ずつついており、すべてのファスナーに2つの持つ部分がついている。そこを開いて、新聞紙をつめて防寒や衝撃から身を守るのに使用したり、必需品を詰めて運んだりするのだと説明されていた。服につけられたカードには、津村自身の「安心をつめ込んで冒険を着る」と手書き(?)の言葉が書かれている。

値段も安かったというのがあるが何よりコンセプトに惹かれて迷わず購入を決めたが、サイズ選びで迷った。びっくりするほど美人でとても感じのよい、ショップの若い女性が、厭がらず次から次へを試着させてくれる。すっかり満足して購入して、現在着ているのだが、実際に最低限の必需品を携帯でき、雨露さえしのげれば、どこでも寝ることができ、本当の「モバイルハウス」として機能するかというと程遠いという感想を抱く。

それでも「終の棲家」がこの服のコンセプトのように、完全に個人の安全を保証しながら、「不動産の所有」という概念から解放され、他人とも接触可能な新たな自由の可能性を生み出すものであったなら、という夢をこの服は与えてくれる。(2013年2月25日。番場 寛)

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