何十年ぶりで初恋の人にあったかのような読書会―安部公房『燃えつきた地図』を読むオフ会―

 中学生の時の体育の先生が言った言葉を思い出した。「いいか君たち、若い頃にたくさん女の子を好きになった思い出はずっと残るんだよ」。正確ではないかもしれないが、そういう意味の言葉だったと思う。

 不幸にもいままで好きになった女の子は数えるほどしかいないが、好きになった作家は多い。アルベール・カミュに夢中になったことをここで書いたが、日本の作家で夢中になったのは、寺山修司と並んで安部公房であった。2年ほど前に立命館大学の研究会に参加したときのことをこのブログに書き、それを見たのか、岩田英哉さんが主催している「もぐら通信」というネット配信の雑誌を送ってもらっている。最初は熱烈なファン雑誌かと思っていたが、読むと愛好家であるがゆえの読みのレベルの高さに驚くようになった。

その「もぐら通信」に、東京と京都でオフ会があり奇しくも両方の会で『燃えつきた地図』を読むと告げられている。京都の会は2月2日の1時から5時までと書かれている。現在、締め切りを延ばしてもらっているある論文に取り組んでおり、追い詰められており迷ったが、安部公房の読書会への好奇心がまさり参加した。

この小説を何十年ぶりかで読み直したが、正直言って怖かった。ちょうど同窓会か何かで昔好きだった人に会うとあまりの変貌に失望するという経験をすることがあるが、昔夢中になった小説を再読し、同じように失望することが怖かったからだ。

自分を除くと5人の参加者がおり、3人がレジュメを配布し、それぞれ自分の読みを発表していく。それを聞いた後それぞれ自分の意見を自由に述べるのだが、学会発表と違うのは、何らかの真実に到達しようということで会話が進んでいくのではなく、小説の魅力というか、より謎を深める方向へと進展していくことだ。

ある失踪した男の捜索を依頼された私立探偵が、ほとんど何の手がかりもない状態で捜索を続けるうちに、依頼者である失踪者の妻の弟や別の男など手がかりとなっている男を失ってしまう。驚くのは小説の結末では、探偵だと思われていた男がその追いかけている男に成り代わってしまったかように終わっていることだ。

読み進めるにしたがい謎が解き明かされ、最後にはすべてが明らかになる探偵小説とは違って、しだいに深まっていく謎は最後まで解けない、いわば参加者の若い方の岡田さんが言ったように「反探偵小説」である。

レモン色のカーテンごしに見える依頼者の謎の女性のエロチスム。主人公が電話ボックスで人の大便を発見し、それをした人の孤独を思う場面。自らも失踪した男と同じく都会の匿名の存在と化したとき、偶然猫の死骸を見つけ、それに名前をつけてやろうと思う場面。何十年たっても感動はそのままだった。

いずれ「もぐら通信」に掲載されると思われるどの発表も素晴らしかったが、特に「『安部公房の愛の思想』の一つの結晶は「他者への通路を開く」こと」だという視点のもとに「砂の女」「他人の顔」「燃えつきた地図」から読み取れる安部の「都市論」を論じた岡田裕志さんの発表を聞いていてまったくの共感を覚え、自分がなぜ安部公房に夢中だったのかといる理由を再確認した。

また、岩田さん、岡田さんからは、いかに安部が18歳のときの「詩人の魂」とでも呼ばれる詩的感性を生涯持ち続け、それが抽象的な構築を支えていることを知らされたのは、自分にとって示唆に富んだ指摘であった。

岡田さんは、「家族」をもとにした共同体として成り立つ集団として「農村」を想定し、それに対立する概念として「都市」が設定されると安部の見方を要約する。岡田さんは、他人を束縛する「隣人」といった概念を放棄し、「他者と直接にコミュニケーションする、そういう関係を作る」考え方を安部が提示しており、それを可能にするのが「都市からの解放でなく、都市への解放が必要」という考えに基づく「都市」という概念なのだと指摘する。

何度もこのブログで書いているが、自分も農村で育ったせいだろうか、共同体の温かな結びつきには心地よさを感じながらも、束縛も常に感じており、それは東京、そして京都の都会のど真ん中で暮らしても同じである。

今回のオフ会は、こうした会こそ安部が理想とした「他者との直接のコミュニケーション」の一つのあり方ではないかと思ったが、驚いたのは、その会に発表者の岡田さんを常に支えている若い男性がいたが、彼は息子さんだったことだ。安部が批判した「疑似共同体」としての「家族」がこの父子のように、好きな作家で結びついており、しかもそれが安部公房であったとは・・・

互いに束縛しない他人との結びつきの楽しさ、驚き、温かさを感じることができるから、ダンスや演劇のワークショップに参加している。それらは利害関係からも自由だし、権力構造もまぬかれている。今回参加した読書会も人数が多くなり、だれの発表を雑誌に載せるかなどと普通の学会のようになると、このように自由で親密な関係は生まれないだろう。

4時間も一つの小説についてまったくの初対面の人と話し、その後酒を飲んでいるときも2時間も安部公房のことを話し続けることができたなんて呆れるし驚く。好きなものの共通する仲間と自由に言葉を交わすことの喜びを久しぶりに味わうことができた。

いくら好きなもので結びついているとしても「AKB48」が好きな若者が集まったとしても、「まゆゆ」や「マリコさま」の可愛らしさについて6時間も語り続けることはできないだろう(できるかもしれないが・・・)。安部公房の作品はそれだけ現実認識の鋭さと、今ある現実ではないもう一つの現実の可能性への夢を、その論理的で緻密な構成を支える詩的リズムによって見させてくれるからそれについて語りつきないのだろう。

最後にこの小説で最も謎に満ちたエピグラフをそのまま写すことを許してもらいたい。小説を最後まで読むと本当にこの通りだと思う。

 都会―閉ざされた無限。けっして迷うことのない迷路。すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた、君だけの地図。
 だから君は、道を見失っても、迷うことは出来ないのだ。(全集021,114頁)

ところで、あなたは何について6時間も人と語り続けられますか? (2013年3月5日。番場 寛)

広告

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中