卒業していく皆さん、そして見送る皆さん、別れは悲しくない・・・ ― 卒業式、テレビドラマ「泣くな、はらちゃん」「最高の離婚」「純と愛」-

「夕日があんなに美しいのは、沈んでいくときにみんなにさよならを言っているからなんだよ」
「アルプスの少女、ハイジ」の中でお爺さんはハイジにそのようなことを言った。

予想はしていたが、15日の卒業式の余韻からまだ回復できていない。特に2年生のときからフランス文化のゼミを担当してきた学生に、その日を最後にもうしかったり、ほめたりすることができないと思うと欠落感は予想以上だった。

ホテルで行われた記念パーティーでは、皆着飾って可愛く、美しく、かっこ良かった。卒論で、「シャネル」や「ファション」や「下着」をテーマに扱っていた学生たちも見違えるようだった。あまりに違っていたので思わずからかってしまい、「その眼鏡のつるを折ってやりたい」などと言わせてしまった。

他の授業で教えていた男子学生から授業のことでの感謝を言われたときは特に嬉しかった。
何年も前のこのブログで書いたが、そう「卒業式は教師が採点される日」なのだ。

みな華やかに装い、卒業できることは嬉しいはずなのに、ふと気づくとなにか浮かない表情をしているように見えるのはなぜだろうと思った。良かったという思いと同時に寂しさも感じていると思っているのは、ぼくだけでなく、ひょっとして学生たちもそうなのではないか?

ところでドラマの「最高の離婚」で光男(瑛太)の祖母(八千草薫)が遠くに引っ越すことになり、衝撃を受けている光男に彼女が言う台詞が、正確ではないがここに写していきたいくらい見事だった。彼女は言う。「あなたはいつもわたしを頼りにしているけどわたしだっていついなくなるか分からないでしょ。小さい頃思わなかった。なぜクレヨンって大切な色からなくなるんだろうって」

おそらくすべての人がそうだろうが、別れがとても苦手だ。だから「一期一会」という言葉をいつもお守りのように大切にして、別れに際して耐えるようにしている。この言葉を「花に嵐のたとえもあるさ。サヨナラだけが人生さ」と井伏鱒二が訳したのだと聞いたことがある。どんなに平凡でつまらなく思われる日であれ、その一瞬一瞬は常に逃れ去り二度と出会うことはできない。そう自分に言い聞かせて学生たちに接してきたつもりだった。

「純と愛」は、朝ドラにしてはとても展開が残酷で、主人公を次から次へと災難が見舞うだけでなく、彼女が愛した人たちが次から次へと死んでいく、おそらくNHKの朝ドラではかつてない悲惨な展開をするドラマで、ぼくは金曜日が土曜日にしかちゃんと見ることができない(その日のあたりでようやく普通のドラマくらいの明るい展開になるからだ)。

若い夫が「頭が痛い」とドラマの中で何度か言っていたので、伏線をきちんと張っている脚本家の性質から考えてもしや、と思っていたが、主人公、純の一番の愛の対象であり、心のより所であった夫の愛がどうやら亡くなってしまうようだ。見ていてつらい構成にするこればかりは同意できない。しかし、さらにその先にはそれ以上の感動を与えてくれることと祈りたい。

驚いたのは「泣くな、はらちゃん」である。前にこのブログでこのドラマを「哲学的なドラマ」だと書いたが、間違ってはいなかったようだ。現実世界に現れた「はらちゃん」たち、漫画の主人公たちは漫画の作者、越前さんのことを「神様」と呼ぶ。この現実世界の中の見る物、聞く物に感動し、現実世界の人たちともうまくいっていると思われたのに、ある日偶然、不良の青年たちに出会い、この世で初めて暴力を受け、皆傷つき、はらちゃんも越前さんを守るため無意識的に暴力をふるってしまい、自分にも絶望してしまう。

相手をなぐりながら、「なぜなんですか?」「これがこの世界なんですか?」と叫ぶはらちゃんの叫びは、現実の悲惨さに直面したときの私たちの言葉でもある。もう漫画の世界に帰りたいという登場人物たちに、作者である越前さんは泣きながら「みんなごめんなさい」と繰り返すばかりだ。

自分の「死」など、大きな運命を考えるとき、どうして「神様」というものを考えるように人間はできているのだろうか? 3.11の大震災の直後の『アエラ』で藤原新也は神は残酷にも多くの人間を殺したと書いていたことを思い出す(正確な言葉ではありません)。

悲しいとき、どうして人は「神」というものを作者のように考え、自分をその登場人物のように考えてしまうのだろうか?

ドラマでは、はらちゃん(長瀬智也)が、この世界には住めないと思い知り、仲間と一緒に再び漫画の世界に帰るため涙を流しながら、大好きな越前さんに別れを告げるとき、それ以上に悲しい筈の越前さん(麻生久美子)は微笑みながら、はらちゃんに言う。「はらちゃんのことは決して忘れないわ、わたしたちは両想いなんですから」と。

ある意味では漫画の世界のように保護された大学という空間から、厳しい現実世界に出て行く卒業生のみなさん、この大学で学んだこと、そしてぼくら教職員のことも忘れないでください。「わたしたちは両想いなんですから」
(2013年3月17日。片思いかもしれない番場 寛)

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