<私家版>声に出して読みたい日本語 No.1

 <私たちは「なぜ?」とか「これは何?」と問うたびに深く美しくなる生き物です。
 生まれてから何度この「なぜ」を繰り返してきたことでしょう?
 自由とは、この「なぜ」から解放されることだと誤解している人がいます。逆です。「なぜ?」に自分なりの答えを見つけていくたびに、人はますます自由になるのです。>
         長谷川祐子著『「なぜ?」から始める現代アート』(NHK出版新書)  

 これは東京都現代美術館チーフ・キュレーターとして働いている著者の二冊目の本の冒頭の文章であり、以下に続く文、そしてこの本ともう一冊の本の随所に見られる文章は要約、解説するよりそのままここに全文書き写したいくらい美しく感動的である。
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いつからか知らないが、気づいたときには、コンテンポラリーダンス、コンテンポラリーアート等、コンテンポラリーと名のつくものだったら何でも惹かれている自分に気づいた。

東京に行くたびに、六本木の「森美術館」や、遠く不便なところにある東京都現代美術館まで足を伸ばすことが多い。(最近、東京のある店で偶然見かけた変わったデザインのポロシャツが、ここで数年前に見て驚いたフセイン・チャラヤンのデザインによるものだと知って、自分に着こなせるかどうかと問う前に買ってしまった)。

また、パリにいくときは必ずポンピドゥーセンター(月曜日開いているのが嬉しい)にある現代美術館に行ってはピカソやバルチュスなどの巨匠の作品とは別の、普通に言えば「ガラクタ」の群れを見て、驚かされたり、途方に暮れさせられたりするのが好きだ。

現代美術の面白さはそれらを見ていると、直感的に自分の頭の中をかき回される感じ、ちょうど体を他人にストレッチされたとき、少し痛いのに気持ちのいいような感じに似た感じを経験する。

この著者の最初の本『女の子のための現代アート入門』(淡交社)に出会ったのは、「金沢二一世紀美術館」である。そこに常時展示されている、暗い部屋に白い斜面に大きな穴に見えるものが置いてある、アニッシュ・カプーアの<<世界の起源>>2004年、という彫刻作品を見た直後、それについて考えていたとき、そこの書店にあったこの本の記述を見つけた。

「美術館は知性と感性を磨くエステサロン」と思っている著者の考えから「女の子のための・・・」と題されたらしいのだが、この本も、そして冒頭に掲げた文章の入った二冊目の本も著者自身の言うように決して「入門書」ではなく、現代アートの荒波のただ中に、読者を誘い、途方に暮れる観客に一つの見方を提示してくれる著書である。

『女の子のための・・・』には、「自分の意見をはっきりと主張したり、人と違ったりすることをよしとしない日本のムラ社会のなかで、アートだけが唯一個性的であること、独創的であることを全面的に評価される領域であった」時代から変化し、現代は「独創的であること、自分の主張や意志をもつことと、他者を理解し、社会や共同体と意識を共有していくこととが矛盾しない―そうした個と集合性の新しい関係が生まれ始めています」と書かれている。

2冊の本は、やはり一冊目から読むべきだろう。写真も多く、実際に見ることのできない人にもかなり伝わるからだ。この2冊の本を前にして思うのは、自分もこのような文章を書けるようになりたいということであり、そのためには絶えざる思考の訓練の積み重ね、つまり絶えず「なぜ?」と自己に問い続けることが必要なのだろう。
 (2013年7月12日。番場 寛)

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