「いつでも夢を」の歌声はまるでオペラのように流れ―「あまちゃん」なんか嫌いだ(2)―

相変わらず人気の朝ドラの「あまちゃん」だが、昨日は、これこそ朝ドラの真骨頂と叫びたくなるほどの出来映えの回であった。

主人公アキが家族で立ち上げた会社のタレントとして、かつて所属し、クビになった会社のオーディションを受ける場面だが、その日に北三陸から、アキの祖母ナツが倒れたと電話が入る。

母親の春子(小泉今日子)が急遽帰り、病院にかけつけると祖母は救急治療室で手術の真最中である。北三陸の地元の仲間たちが心配で気をもんでいるときに、春子は仲間からナツが、若い頃、橋幸夫に会い、一緒に「いつでも夢を」をデュエットしたこと、その後もずっと彼のことを心の底で想っており、最近東京で再会できたことを始めて知らされる。

このドラマのすごさは伏線がずっと先の先まで張られており、それが分かったときの納得感に驚くことだ。前にユイをスカウトするために身分を偽って潜り込んだ水口がなんで琥珀を磨く動作を繰り返しているのかと思っており、ひょっとして、と思ったら、やはりアイドルの卵を見つけ、それを磨き育て上げるという、「原石を磨く」仕事をそのまま隠喩的に視覚化したものだった。

何で、随分前に流行った「いつでも夢を」がスピーカーから流れ、海女たちが漁に出かけるときにもみな歌っていたのか分からなかったが、その訳が分かったのは東京で橋幸夫と再会したエピソードが語られたときだった。

しかし昨日はその春子の口から自分は母親のことを何も分かってなかったと独白が漏らされ、不安を打ち消すために、春子の言葉に呼応するかのように、病室にいる地元のみんなが「いつでも夢を」を合唱する。

北三陸の病室の場面と東京のアキのオーディションの場面を交互に映し出し、アキが課題として出された台詞として「母ちゃん、親孝行できなくてごめんなさい」と叫ぶシーンがあるが、これはアキが先輩に恋を告白して振られ、泣きながら自転車を漕いでいき空に舞い上がった後海に落ちるシーンと並んで、歴史に残るシーンではないかとさえ思わせるほどすばらしい。

時間が隔たっていればいるほどそれが繋がって、ああそうだったのか、と思うとき、またある人が言うべき言葉をまったく別な人の口から出ているのを聞いたとき、つまり時間と空間の隔たりが一挙に結びついたとき、激しい感動を引き起こすのだろう。

ところで「いつでも夢を」はぼくが昔「美しい十代」と並んで、最初に好きになった歌謡曲であり、それを歌っていた吉永小百合は最初に好きになったタレントでもある。あらためて聞いてみると何て上品な歌だろうと思う。「夢を持て」なんて上から偉そうに言うのではなく、「お持ちなさいよ、いつでも夢を」を優しく語りかけているのだから。

「母ちゃん親孝行できなくてごめんなさい」という言葉を心の中で反芻している人は今、どれだけ多くいることだろう? 現にこのぼくもそのひとりだ。精神、身体とも衰え、次第に遠ざかってゆく母を見ているとこの言葉をつぶやかずにおれない。

歌謡曲なのにまるでオペラのように登場人物に歌わせ、決め台詞を言わせることで、人間の心の最も弱いところをぐっとつかみ、泣かせる。
「あまちゃん」なんか嫌いだ。
(2013年8月20日。番場 寛)

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