母の不在 ― 庭劇団ペニノ『大きなトランクの中』を観て ―

フロイト的精神分析に触発された舞台だという前評判で観た。実際入り口の所に置かれたモニターには、「男根、去勢、去勢不安、エディプス・コンプレックス、父」等、フロイトの精神分析の用語が続いて映し出されている。

ある舞台からある舞台へと即座に転換する回転式の舞台装置は、見事だ。ある部屋の紫色のタイルを天井を初めとする随所に曲線的に貼った装飾はバルセロナにあるガウディの造った建築物を模しているし、真っ白なタイル張りで、蛍光灯に照らされた天井の狭い部屋も誰かのインスタレーションで観たことがあるようだ。だれでもが記憶を元に創作するので先人の遺産を使うのはかまわないが、現代アートの集大成の舞台装飾のように思えた。

その中でも殆どすべての舞台で家具や壁に掛けられた装飾品、調度品等、殆ど全ての品が男性器を模した形をしており、それが無数に集まったオブジェを何体も制作している草間彌生の作品をすぐに連想させる。

頭をかきむしり、数式をつぶやきながら受験勉強をしている息子(いくつになったと聞かれて44歳?とか答えた)に突然、父親が部屋に入ってくる。怖れているのかと思っていたらそうではなく、驚くほど父親を慕っているのが異様だ。

次の舞台に素早く転換したと思ったら、どうやらそこは男の住む部屋の上の部屋のようであり、そこには奇怪な姿をした豚と牛のような生き物が生活していた。部屋には床と天井から2本の巨大な木の幹が突き出ており、一本からはミルクのような食べられる白い液体が採集でき、二匹の動物はそれを食べている。やがて床から出ているその木の幹は、次の舞台では階下に横たわっている主人公の股間から伸びていることが分かる。

これは劇の初めの部分だが、最後まで男根の形をしたオブジェを使う点は、舞台が変わっても同じである。まるで『不思議の国のアリス』のように主人公は部屋の壁や穴から隣の部屋へと移動する。

これは悪夢なのだろうか? 観客にとっては異様な光景でも、主人公はそれほど驚愕していないように見える。本当に異様なのは、「父親」に対し、幼児のように愛情をむき出しにし、「父親」も、これは「悪意」が隠されているのではないかと思わせてしまうほど。息子を溺愛しているような演技をする。

この劇は一体何を表したいのだろう? 男根が異様に表象化されている以上に変だと感じていたが、すぐにその理由が分かった。これはエディプスではない。いい方を変えれば、いわゆるエディプス・コンプレックスの概念を逆手にとった表現であり、エディプス・コンプレックスの不在こそ、これみよがしの男根を模したオブジェと絶対的な父を登場させることで描こうとしたのだろうか?

その理由は明確である。母親が不在だということだ。そのため息子にも父親にも、葛藤はなく、心地よい、とろけるような父子一体の快感のみが溢れている。母親が不在である以上、父親からの去勢不安もない筈で、劇の最後に息子は突然、自分の男根がなくなっていることに気づき、慌てるが、そこで劇の整合性はなくなっている、いい方を変えれば、この劇は精神分析の理論的整合性とは無縁の劇だとも言える。

これは劇なのであり、観客が楽しめればそれはそれでいいと思う。父と息子の関係を、通常のフロイト的解釈とは違っても、もっと理論的につきつめて、あり得るかもしれないもうひとつのエディプスの姿を表せたかのしれないという可能性を感じさせる作品であった。

それについて思い出されるのは、2年ほど前にここでそれについて書いた松井周演出、サンプルの『自慢の息子』である。そこには紛れもなく母と息子によって成立するディプスが描かれていた。

二つの劇の違いは、精神分析でいう「ファルス」は身体の器官としての男根ではないということを分かっているか、いないかという点ではないかと思う。

何度も書いてしまうが、「ファルス」とは子が、自分は母親の欲望の対象としてのファルスでもなければ、それを満たすものとしてのファルスを持ってもいないということを、父親の出現で思い知らされる挫折の経験であり、その挫折を経て自らもいつか父親のようにファルスを象徴的に持てるという希望を抱くのである。

しかしこれは劇であり理論ではないのだから、観客は、アリスのように迷いこんだ素晴らしい舞台装置の空間という不思議の国を「息子」と一緒に楽しめばよいのだろう。(2013年10月7日。番場 寛)

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