映画の秋、フランス映画のラッシュが続く

いろいろな提出書類の作成に追われている一方、年に一度の舞台芸術の祭典KYOTO EXPERIMENT 2013が始まっており、招待作品は全て観るつもりで通っており、疲れからか劇の最中に瞬間的に眠ってしまうことがある。

それなのになぜか「京都シネマ」ではフランス映画の上映が目白押しであり、いずれも異なった視点で描かれた作品であり、見逃すには惜しいので、こちらも仕事と、劇のない日を縫うように映画館に通っている。

 

フランス映画ではなくても、ここ最近観た作品を挙げると、「夏の終わり」(日本)これは満島ひかり、綾乃剛という人気俳優を使い、息苦しいまでの三角関係を描いていたが、最近授業で久しぶりに見たエリック・ロメールの「パリのランデヴー」の中の2つめの「パリのベンチ」と構造的にかなり似ていることに気づいた。

その映画の中では、一緒に暮らしている男と別れたいと言っているくせになかなか別れようとせず、別の男とパリのあちこちでデートを繰り返していた若い女が、最後に決心しその男とホテルに入ろうとしたら、そこに一緒に住んでおり、別れたいと言っている男が別の女と入っていくところを目撃し、自分の本当の欲望に気づくという話であった。

その女の言う、別の男とつきあっているのは、一緒に暮らしている男に対する満たされない気持ちを埋めるためであり、本当に好きなのはその一緒に暮らしている男なのだということを、その男に裏切られた瞬間に思い知らされるという心理のメカニスムは、倫理的な問題以上に学生には分かりにくいようであった。

他の映画もいずれも「京都シネマ」で観たものだが、列挙してみよう。

「ノーコメントbyゲンスブール」(残念ながら一週間で打ち切られてしまったが、すばらしいドキュメント映画で、あらためてゲンスブールが本当にかっこ良かったことを再認識させられた)。

「クロワッサンで朝食を」ジャンヌ・モローが、すでに心の離れた昔の愛人以外は、誰にも心を開かない孤独な老人を演じており、底なしの孤独の中にあるとき人はどのようにそこに耐えることができるのだろうかといういう可能性を示してくれる。

「大統領の料理人」これはかつてのフランソワ・ミッテラン大統領の料理人を務めていた女性の話をもとにした劇映画であり、「おばあちゃん料理」(日本流には「お袋の味」)にたけており、大統領も満足していたのに、他の料理人の嫉妬と、大統領の健康を配慮する政治的な理由から、自らの能力を発揮できず止めざるを得なくなる主人公の悔しさが描かれているが、中心となるのはフォワグラとトリュフをふんだんに使ったフランス料理の一つの頂点の映像化でもあろう。

「ポルトガル、ここに誕生す キマランイス歴史地区」。これはアキ・カウリスマキ、ペドロ・コスタ、マノエル・ド・オリビヴェイラというポルトガルに住む3人の監督がポルトガルの起源と言われている地区を舞台に撮った3つの作品からなくオムニバス形式の作品である。いずれも短いものだが十分にそれぞれの監督の対照的な特徴が発揮されている。

「スーサイド・ショップ」これは「髪結いの亭主」、「仕立てやの恋」等で日本でも人気の監督、パトリス・ルコントが始めて制作したアニメ作品で、自殺願望の人にそのための道具や薬品を販売する店の一家の物語であり、優れた映画だが、ブラックユーモアを理解しない我が国の教育関係者からクレームがつかないかひやひやしている。

その一家に突然変異のように生まれた太陽のように笑いをもたらす赤ちゃんが成長し、その一家を変えていき、生きる喜びへと導くという話で、キャラクターはいずれも、日本のアニメのようには、全然可愛くない。太ったお姉さんが裸で自分の部屋で踊るシーンには感心してしまった。

そのアニメのお姉さんのボリュームある肉体を実写で映したかのようなヒロインが出てくるのが「ルノワール 陽だまりの裸婦」である。紫や赤を初めとする様々な色が白に混ざって描かれている豊満な肉体を持つ裸婦のモデルとなる若い女性が、妻を亡くしたルノワール宅を訪れ、モデルとして働くうちに他のモデルたちやルノワールの二人の息子たちと交流し、上の兄とは恋愛関係になるという話で、何のひねりもない話なのに、なぜ最初から最後まで引き込まれてしまったのか、その理由を探している。

美しい自然とふくよかで美しい女性たちに囲まれていても、自らを襲っている老化と病による肉体的苦痛、それに輪をかけて戦争により息子たちを失ったり、失うことへの危惧に襲われている。

恋人をも振り切り戦友を裏切れないと言い、再び戦地へ赴く、ジャンという息子がのちの大映画監督、ジャン・ルノワールだと思い出したのは映画の最後の方であった。

これから上映される映画で観て絶対外れないのは「私はロラン」であろう。これは一回だけの上映会で観たのだが、男性が心から愛している女性に、自分がゲイであることを告白し、それでも自分を愛してくれるよう頼む、「究極の愛」のひとつのあり方を追求するカナダ映画である。

もうひとつは「母の身終い」といういうこのブログで触れた作品で、息子と母親の関係を、自ら安楽死を選択した母親とそれに対する息子の配慮という重いテーマを扱った作品で優れた作品であるが、重いテーマに耐えられるだけの精神の強さを観るものに要求する作品である。

いよいよ読書の秋であると当時に演劇、ダンスの秋でもあるが、映画の秋とも呼べるほど傑作が目白押しで忙しい。(2013年10月13日。番場 寛)

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