「人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ」-村上龍著「結婚相談所」『55歳からのハローライフ』所収を読んで-

買ってから一年ほどたっていたのだが、先日偶然手に取り読終えた。驚いた。村上龍っていつこんな小説も書ける作家になっていたんだろう。

村上春樹の方は新作が出るたびに買って読むのだが、ほぼ同時期にデビューした村上龍の方は最初は読んでいたのだが、センセーショナルな話題や極度に歪んだ状況や人物の設定がどうも好きになれなかった。それでも『イン・ザ・ミソスープ』のように現代日本の時代と状況を、普通気づかない角度から浮かび上がらせる手法を持った作家だという評価は持っていた。

この本を読もうと思ったのは、ここに収められている「キャンピングカー」を雑誌で連載されていたとき一部だけを読んだのだが惹かれたことと、タイトルを「55歳からのハローワーク」と読み違えて、何てリアルなタイトルだろうと身近に感じた。村上が以前出しヒットさせていた、『12歳のハローワーク』というこどものための仕事案内の本のタイトルが頭に残っていたせいだ。

「キャンピングカー」という中編小説は、会社の方針が変わり窓際に追いやられることになった58歳の主人公が会社の早期退職制度に応募して退職したのだが、それは、退職後、妻とキャンピングカーで全国を気ままに旅をするという長年の夢を実現したいと思ったためだ。

しかし、いまの生活の場を離れたくないというという理由だけでなく、子どもたちの結婚資金なども考えると一千万円というキャンピングカーの購入に同意してもらえない。娘の提案で再就職を始めるが、いままで自分の培ってきた営業の実績に基づく自信が、会社の看板を外され世間の客観的な評価にさらされたとき、いかにもろいものかと思い知らされ悪銭苦闘する話である。

いずれも年齢的に近い登場人物がリアルな設定で描かれているため身につまされる話なのだが、個人的に一番感動したのは、冒頭に収められている「結婚相談所」という作品と、「ペットロス」という作品である。

前者は外から見れば何不自由ない生活を送ってきた主婦が定年して家にいるようになった夫と一緒に暮らしていくことに耐えがたくなり、離婚する。しかし将来の不安や寂しさを感じ、58歳になった婚活を始めるという話である。相談所で出会う様々な男の描写は面白いがそれほど驚かない。皆自分の状況は棚に上げて自分に喜びをもたらしてくれる相手を求めてしまう姿が滑稽に描かれている。

韓流ドラマに熱中する主人公が、その婚活のためのパーティに行く途中で、レストランで薔薇の花束を傍らに置き泣いている若い男を見かける。主人公はその男の話を聞き、慰め、二人で男が持ってきたDVDを一緒にホテルの部屋で観ることになる。

感動させるのは、その若い男が、7年間も日本を離れてノースキャロライナで暮らしていたため遠距離恋愛だった恋人に別れを告げられた話である。そしてわざわざかれに会いにくるが、それは関係を修復するためではなく、直に別れの気持ちを伝えるためである。そのとき彼に彼女の気持ちは映画の「ひまわり」を観れば分かるはずだと伝える。

「ひまわり」は確かぼくもかなり映画館で観た映画としては初期のものではっきりと覚えている。イタリアで熱烈に愛し合っていた妻(ソフィア・ローレン)と離れ、戦地に赴いた夫(マルチェロ・マストロヤンニ)が戦地のロシアで死ぬところを助けられた娘と結婚し、子どもも生まれてしまう。

夫が死んだとは思えない元妻は現地まで探しに行き、幸せそうに新家庭を築いている夫を見て泣きながらイタリアに戻る。その後夫がわざわざイタリアに行き、元妻と再会するが、二人は二人が戻れないほど隔たった関係の中にいることを確認してまた別れるという作品である。

列車の窓から畑一面に見える「ひまわり」は太陽を浴びた「性愛」の喜びの象徴でありながそれが絶望的な悲しみへと変化する素晴らしい映像だった。

村上の小説の主人公は、その若い男に別れた恋人がしたことに感動し、よりを戻そうと復縁を願い会ってくれるよう頼む元夫と自分も会おうと決意することになる。彼女がホテルの部屋で若い男と一緒に「ひまわり」を観たあと彼に言う。

「・・・うんと遠くにいる相手のところまで行って大切な何かを伝えるって、それだけで、すごい価値がある気がする。誠意がないとだめだし、相手のことを愛していなければできないことだし、でも、そうすることで、気持ちを尽くすことができるでしょう? 尽くすって、全部使ってしまうという意味と、相手のために何か努力するという意味があるけど、その両方が、あなたの彼女にも、ソフィア・ローレンにも、そしてソ連で所帯を持った元夫にも、もちろんあなたにも、その両方がね、必要だったんじゃないかなって思うの」

若い男と別れた後、主人公はさらに映画について「わたしたちは、別の人生がはじまると、別の人間になる、(・・・)『ひまわり』があれほど切ないのは、年月と状況によって人間が変わってしまうことを、ミもフタもなく正確に描いているからだ」と考える。

そして「心を尽くす」つもりで別れた元夫と再会するが、それはどんなに寂しくてもこの彼とはもう二度と暮らせないことを確認するために会うのであり、それが彼女にとっての「気持ちを尽くす」ことだと考える。

「お金や健康など、不安はある。不安だらけと言ってもいい。だが、人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ。孤独ではない」と自分に言い聞かせ一人で生きていくことを決意する。

これだけで長くなってしまい他の作品を紹介することはできないが、この小説の主人公たちはいずれもアンチ・ヒーロー、ヒロインであり、どの人も現在を必死で喘ぎながら生きている人間である。みな下り坂の人生の途中において何とか踏ん張り希望を見出そうとしている。読み終えて思うのは、これは単に年齢的なことでもなくて、人生の上り坂にいる若いぼくの学生たちだってきっと勇気づけられる作品だということだ。

この『55歳からのハローライフ』を読んで、いつ村上龍はこんなに成熟したのだろう、変わったのだろうと驚くばかりである。(2013年11月4日。番場 寛)

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