クリスマスって何だろう?

さっきコンビニに入ったら、胸元の開いた服を着た若い女性が客に対応していたが、別のレジの女性もやはり胸元を開けた赤いサンタの服装で対応してくれた。街角に流れるジングルベルだけでなく、こんなことでもうすぐクリスマスだと感じさせられたのは、今年が初めてだ。「コンビニのおでん」というのは俳句の季語になるのだろうかといつも思うのだが、「コンビニのサンタのコスプレ」というのも季語になったら楽しいと思う。

そこから歩いてすぐの交差点の一等地に何か工事をしていたが、一階の建物らしく何ができるのだろうと思っていた。できたのは「牛丼の吉野家」だった何年か前にここで「吉野家のクリスマスストーリー」という小説を書いた。遠くに離れた所に住む友人からは、いつもは褒めてくれるのに、この小説はまるでへたな学生のレポートを読むようだと言われてしまったことを思い出した。今年は素敵なクリスマスストーリーを書けない。

この時期は、まるで一年のいろいろな感情の溜まったものが一挙に押し寄せる感じだ。喪中を知らせる葉書が何枚も届き、人は亡くなるのだという当たり前のことを思い出させられる。

年賀状の来なくなった知人のことを別の知人に聞いたら、その人はすでに2年前に亡くなっていたことを知らされ愕然としたことも今年は2度もあった。過ぎ去ったこの一年を思い、亡くなった人に思いを馳せることで、自分自身の残された時間をいかに使おうかと思うならそれは悪いことばかりではないことなのだろう。

今年は4年生のゼミを持たないので、研究室で指導する学生を待ちながらクリスマスを過ごすということはしない。しかしそのため、どう過ごそうかと思案することになる。

4年生の皆さんは今が踏ん張りどころだ。全力を出して自分の書きたいことを振り絞ってほしいと思う。先日、国際文化学科のあるゼミの中間発表会をわずかな時間だが聞かせてもらった。皆とてもよく調べてあると感心したが、自分がなぜこのテーマを選んだのか、自分にとってこのテーマはどういう意味があるのか、何が何でもこのことは分かってもらいたいという気迫が感じられる発表か、という点ではまだ改良の余地があると感じた。

皆さんの書いた卒論は少なくとも2人の教員がそれこそ嘗めるように一生懸命読んでくれます。「卒論」という言葉が季語なのかは分からないが、皆さんが頑張っただけの満足感を皆さんに与えてくれることだけは確かです。皆さんの頑張った結果を読ませてもらうことをわれわれ教員も楽しみにしています。(2013年12月22日。番場 寛)

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