都市全体がグローバル化のテーマパークであるシンガポール

ひょんな事でシンガポールに行った。自分にとって切実な一つの問題を解決するためにある人に会うためだ。相手の都合で24日に会うことになったのであり、クリスマスと重なったのは偶然にすぎない。

せっかく行くのだからと三冊もガイドブックを買って調べれば調べるほど、自分にとっては興味の持てない所だと思った。真っ暗な気持ちで行く土地で、偶然にも独りでクリスマスを送るなんて、とも思ったが、アジアの国に行くのは初めてだし、あわてて英会話のCDを聞くなど準備した。

シンガポールに着いてまず感じたのは、まるで東京のパラレルワールドのようだということだ。近代的な地下鉄に日本人に似た殆どアジア人が乗っており、多くの人はスマートフォンを覗いている。だが分からない言語を話しており、耳を傾けると英語だけが聞き取れる。英語、マレー語、マンダリン(標準中国語)、タミール語の表記があり、観光スポットでは日本語の表記もある。地下鉄の車内に危険物と並んでドリアン持ち込み禁止と書かれているのがいかにもシンガポールらしい。

まいったのは暑さだ。24度から26度くらいで、今は雨期だということも事前に調べていたのだが、出発する当日までの京都の寒さからどうしても服装は冬物を用意していった。

着くとみな半袖や半ズボンの人が多く、頭で分かっているのだが、体が暑さに対応しない。

勝手が分からないので、とにかく交通に便利な所ということでシティホールという駅から1分とかからないスイソテル・ザ・スタンフォードホテルというホテルに泊まった。真っ暗な気持ちのときだからホテルくらい普段よりいいところを選んだつもりだった。

眺めのいいところをお願いしますと頼んだら45階に通してくれた。映画のシーンでしか見たことのないような広々とした窓から見ると眼下に広がるシンガポールの緑とビル群の眺めは絶景で、独りでいるのがよけい勿体なく感じた。室内は軽いジョギングくらいならできそうなほど広かった。シンガポール夜景 001

驚いたのは朝食がシンガポールドルで45ドル(約4千円)もして、メニューを見ると普通のビュッフェの内容でとてもそこで食べる気はせず、近くのマクドナルドで食べていた。朝食専用のメニューで、写真ではおいしそうなのに、実際はひからびたベーコンや、油っぽいコロッケのようなものなど体に悪そうな内容だと思った。

このまま終われば悲惨なままで終わったのだが、用を済ませてから楽しくなった。シンガポールで唯一行ってみたかったのは、マリーナベイにある下の方が狭く上に行くに従って広くなっている3つの高層ビルの屋上に舟のように屋上をつなげた建物マリーナ・ベイ・サンズである。そこに行きエレベーターで上がったが、いつもそうなのだが、上がってから自分が高所恐怖症であったことを思い出した。遠くを見ているときは平気なのだが、斜め下を見ると急に怖くなり、15分もしないで降りた。そこから向かいの岸に、よくみる水を口から吐き出しているマーライオンが見えたので、そこまで歩いて写真を撮り、反対側の自分が昇った例のナリ-ナ・ベイ・サンズを写真に収めた。マリーナ・ベイ・サンズこれじゃただのお上りさんじゃないか、と思ってガイドブックを見ると3つの文化を横断するコースがあると書かれている。

まずシンガポールで有名なイスラム教のサルタン・モスクに行った。金色のソフトクリームのようないかにも、といった外観に反して中は意外なほど西洋風で驚いた。スカーフを被った寺院の女性に「日本の方ですか?」と声を掛けられた。彼女はこちらの男性と結婚され、7年間こちらに住んで、寺院の案内の仕事をされているという。いっしょにおられた方も日本人の女性でもう40年こちらに住んでおられると教えてくれた。

ある授業で盛んに「記号論」という言葉を使うのだが、人間のあらゆる方面の営みをその具体性ではなく、フォルムとして見たとき何らかの本質が見いだせるのではないかとう狙いでその「記号論」という言葉を使っている。

次にヒンドゥー教の寺院であるスリ・マリアマン寺院に行く。極彩色の装飾と漫画のように大きな目や誇張された顔が強烈で信仰心を理解しないと少し滑稽に感じてしまうかもしれない。 シンガポール夜景 058

観光客の入れない箇所では片肌をさらした僧侶たちにより参拝客に神聖な儀式が繰り返されている。待っている参拝者には遠くで見ているとおからのような食べ物が配られ、もらった人はそこで食べている。

忘れられない光景がある。脇の別の建物では、若いカップルとその家族がいた。結婚式なのかと思ったら違った。見ると赤ちゃんが寝かされ、そこに僧侶が洗礼(?)のようなものを施している。この国で生まれ、これから歩んでいくその赤ちゃんの幸せを祈った。

翌日今度はこの地で一番古いと言われている中国式の仏教寺院であるシアン・ホッケン寺院に行く。極彩色の装飾や仏像の大げさな表情はどこか前日見たヒンドゥー教の寺院に似ている。しかし参拝者はお線香を数本手に持ち、お参りしている。中に何かを入れた容器をじゃらじゃら鳴らし必死でお参りをして、それを下に落とし、それを寺の人に見せている男性がいた。何かを占ってもらっていたのだろう。

特にこの寺院は空を見上げると、高層ビルがいくつものしかかるように見える。

人が必要な行為としてどんなに文化が違っても持っている「祈る」という行為、その対象としては、たしかに「偶像崇拝」はおかしいのだが、その祈る対象としては何かを設定せずにおれないというあらゆる文化に共通のものが透けて見えるような気がした。

さて食事だが、普通のレストランに入ろうと入り口のメニューと値段を見ると高いというのもそうだが、おいしそうに見えない。どうしようかと思ってチャイナタウンを歩いていると、客で溢れている店が何軒もある。そのうちに1軒に入る。メニューをというと、ないと言われ当惑したがそこは「鶏油麵」と確か書かれておりチキンを黒酢と醤油で焼いたものを焼きそばのようなものに絡めたもので、本当においしかった。魚の味のスープと合わせても確か4ドルくらいだった。

よくもこんな形のものを建てたものだ。地震が来たとき大丈夫なのだろうか? そう思うような高層ビルが建ち並び、すぐその近くに葉っぱの大きな熱帯植物が生えていることが象徴的なように、ここはいくつものレイヤーが重なり合っている都市なのだ。

世界の資本が集中する金融都市であり、そこで働くビジネスマンや高級リゾートを求めて集まる人用の高いホテルやレストランがあると同時に、チャイナ・タウンやアラブストリートなどのように(道路に並べられたテーブルでカレーのようなものを手づかみで食べている人たちをまねしたかったが暑くてとてもそこに座る気になれなかった)、安く生活する人たちも多いのだ。

人に勧められて国立植物園に行った。広大は敷地の植物園は無料で十分楽しめたが、中にある有料の国立欄植物園はさらに素晴らしかった。日本ではつねに大きな祝い事に飾られる欄という花がどちらかというと好きでないというか、ぼくには花という感じがしないのだ。

しかしそこで地面に生えたり、根を包まれたりして栽培されている多くの欄で溢れた園内は本当に綺麗だった。これはまるであのカラフルで形も奇妙さを競っているこの都市のビル群にも似ていると思った。

ここでは演劇もダンスも観られないと思っていたら、マレー・ヘリテージセンターとよばれる歴史博物館で、クリスマスだということでマレーの歴史の変遷を、部屋を移動しながら演劇仕立てで説明するものを偶然見せてもらった。こんな演劇を見たのは初めてだった。

植物園からの帰りバスに乗った。ふらついていたせいか子どもを連れた女性に席を譲られてしまった。疲れ切っていたので親切が身にしみた。その女性は近くにいた老人が降りるときも体を支えてあげていた。

25日クリスマスの夜は村上龍の小説で、知っていた有名なラッフルズ・ホテルでシンガポール・スリングというカクテルを飲んだ。たしかにおいしかったが、英語とフランス語を話すヨーロッパから来たらしい客たちに混じって、いかにも高級リゾートホテルに来ているという感動以外のものはなかった。

帰りに例のマクドナルドの近くを通ったらみな幸せそうに食べているというか話している。

なぜみんなこんなものを楽しそうに食べているのだろう?そう、何を食べるかではなく誰とどんな気持ちで食べるかが重要なのだという当たり前のことを再認識した。

この都市は、人間にとって必要なもの、言語、宗教、お金、食べ物、ファッションがグローバル化の波に飲み込まれているがゆえに却ってその特徴を際立たせているのが裸で目に入ってくる本当に面白い都市だ。いつか今度は本当に楽しい気持ちで来られたらいいと思った。(2014年元旦。番場 寛)

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