歯の痛さにのたうちまわっている時に見た映画― 「マダム・イン・ニューヨーク」

  「歯が痛い時に最も人間の孤独を感じる」と言ったのは誰だったろう。一週間ほど前からそれを切実に感じている。昼はともかく夕方から夜にかけてまるで頬の中をペンチで挟まれているように痛く、顔が変形するのではないかと思うくらい痛い。歯医者に行き痛み止めをもらったのだが、飲んで薬が効くまでに一時間ほどかかる。それまで七転八倒の苦しみで、特に夜中に薬効が切れて痛さで目覚めたときにはなすすべもない。
        
        よくSNSで自分の身体や肉体の辛さを書き込んでいるのを見る度に、人に読んでもらう文章にそのような苦痛を伝えることは、「フード・ポルノ」(自分が食べたおいしい料理やお菓子を写真をそえてページに載せること)以上に良くないことだと内心思っていた自分にまるで罰が当たったかのようにここに書くことになるなんて。
        
昨日大学に行く途中、地下鉄の中で偶然出会ったO先生につい歯で苦しんでいることを話したら、歯の痛みは他の身体の痛みと違ってほうっておいても痛みが消えないとおっしゃったが本当にそうだと思う。前にここで腰を痛めてかなり長い間寝込んでしまった体験を書いたが、歯の痛みは動けるが、歯医者で何とかしてもらわなければ痛みは消えない。

飛んでくるミサイルに怯え,死の恐怖にさらされるのには比べものにならなくてもこの痛さは、まるで風景をも違って見せる。O先生も言われたが、痛み止めの効いている間だけ、思い知らされるのは、ただ痛みがないというだけでこんなにも生きていることが幸せに思えるなんて、ということだ。

そんな中、成績をつけるめどもついたので何本か映画を見に行った。こんな泣き言につきあったくれたあなたのためにそのうちの一本を簡単に紹介しよう。それはインド映画で、インドで夫と二人の子どもと一緒に暮らしていた専業主婦の女性が姉の結婚式の準備のために突然ニューヨークに一人で行き、英語が殆ど話せないまま姉の家族と一緒に生活することになった話の映画である。

もう一月ほどたっているのにいまだに立ち見の日があると聞いて特別みたいと思わなかったのに見たのだ。そのシャシという主婦はインドでも自分だけが英語を話せないことで子どもにまで馬鹿にされている自分にコンプレックスを抱いていた。

他人から見れば何不自由ない生活に見えても、本人は心の中で料理が上手なことだけで評価される自分に満足していなかったのである。そんな彼女が偶然見つけたのが4週間で英語が話せるという広告である。姉の家族にも自分の家族にも内緒で有り金はたいてその会話学校に通うのである。

日本人の観客が多い理由が分かる気がした。みなそれなりの満ち足りた生活をしているようでも心の底では他人からの「自己承認の欲望」に飢えているのだ。それは目には見えなくてもちょうど歯の痛みのように心を蝕む。

この映画で自分にとって本当に良かったと思ったのはシャシが通う会話学校の授業風景だ。単語を並べて何とか意志を伝えようとする学生の気持ちを、ゲイの先生が鼓舞する姿だ。自分なりに頑張っているつもりだが、ぼくもどうしたらあの先生のように学生の心を動かす事ができるのだろうか?

映画のクライマックスは、結婚式が会話学校の試験と重なって出られなくなったとき、「わたしはずっとやってきたことをやりとげたい」と料理の方を選んだシーンだ。

この映画は現代がENGLISH VINGLISH であるように、「外国語」がテーマだと思う。片言でも外国語でコミュニケーションすることで世界を広げる喜びと同時に、自分の本当に気持ちは母語でしか表せないということも教えてくれる。

それは会話学校で知り合い、そのインド人の主婦に恋をしてしまったフランス人の男性と主人公がともに相手の分からない言葉を声に出し自分の本当の気持ちを伝えるシーンでわかり最も感動的なシーンであった。

言葉は伝わることで相手の心を動かすが、伝わらない言葉でもそれを、心を込めて相手にぶつけるときにも心を動かす。それは歯の痛みとは決定的に違っている。(2014年8月7日。番場 寛)
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